俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

家畜

2010-06-22 11:08:56 | Weblog
 西洋人の肉食に対する考え方は日本人には理解し難い。彼らは、家畜は食べられるために生まれ、野生動物は自由に生きるために生まれたと考える。だから家畜の生殺与奪の権は人間が握っており幾ら食べても構わないが、鯨やマグロなどの野生動物は保護しなければならないと主張する。
 日本人は野生動物は食べても良いが家畜やペットは食べるべきではないと長年考えて来た。野生の猪は「山鯨」と呼ばれて、肉食の習慣が無い間も食べ続けた。魚や鯨などの水産資源を食べるのは当たり前のことだった。
 一方、家畜やペットを食べることなど犬畜生のすることだった。犬や猫や馬などの家畜は食用ではない。鶏だけが唯一の例外で食用に使われる家畜だった。
 西洋人は手塩に掛けた牛や豚を食べる。日本人は手塩に掛ければ掛けるほど情が移って食べられなくなる。
 家畜とペットの境界について日本人はかなり曖昧だ。西洋人が日本の畜産農家を見れば、鶏以外はペットとして飼育されていると思うのではないだろうか。ペットのつもりで飼っていた豚をそうとは知らずに食べた少女は当初は号泣したが、「○○(豚の名)は美味しかった」と言ったそうだ。
 親密なものを食べられないのは自然な感情だろう。多分、多くの畜産農家は自分が育てた牛や豚はできるだけ食べないようにしているのではないだろうか。どうせ食べるのなら情の移らない野生動物を食べたいと考えるほうが自然な感情と思える。

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