俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

傷みと痛み

2015-09-27 09:32:42 | Weblog
 日本語ではどちらも「いたみ」という言葉を使うので混同され易いが傷みと痛みは明確に区別されねばならない。
 切り傷が一番分かり易い。痛みを感じなくても傷口があれば傷んでいることが分かる。治りかけの時には最早、痛みを感じないが、傷口が開かないように充分に気を付ける。それは痛みが無くても傷みがあるからだ。
 関節痛は完全に混同されている。傷みがあるから痛むのだが、痛みが無くなっただけで傷みも無くなったと思い込む。痛みを感じなくなっても傷みが完治していない状態で普通に使い始めれば傷みが悪化して再び痛み始める。
 最悪は痛み止めだ。傷みを放置したまま痛みだけを消す。軽症であれば痛みを抑えている内に自然治癒力が働いて傷みも治るが、重度の傷みの痛みを薬で抑えて無理をすれば取り返しのつかないことにもなりかねない。昔、甲子園球場では、痛み止めを注射して肩や肘の痛みを抑えて熱投をした投手がいたが彼らの多くはは投手としての能力を失った。痛みの原因は炎症であり炎症を放置したまま痛みだけを消して投球をすれば炎症は悪化する。傷みと痛みを区別できなかったことが招いた悲劇だ。今ではこんな登板は禁じられている。
 頭痛についても同じことが言える。痛みが無くなっても安心できない。二日酔いや生理痛のような原因が明白な一過性の痛みであれば、痛み止めで症状を抑えている内に勝手に治る。しかし脳腫瘍などが原因であれば手術しなければ治らない。薬で痛みが消えても安心すべきではない。痛み止めは痛みを感じにくくするだけであって治療薬ではない。
 多くの病気は痛みや不快感を伴う。殆んどの患者は痛みや不快感の緩和を望み医者も患者の希望を叶えようとするから却って病気を悪化させてしまう。これがヤブ医者によるヘボ治療だ。風邪の諸症状の緩和に代表される対症療法は治療ではない。中でも解熱剤は最悪だ。折角、自然治癒力が働いて病原体と戦っているのに、体温を下げてしまえば病原体が生存・増殖し易い環境を作ることになり治癒しにくくなる。、

コメントを投稿