俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

客観性

2016-08-16 09:44:42 | Weblog
 子供の頃に親しんだ童話の大半が寓話だった。子供を教え諭すという目的を持って大人に選ばれた作品が大半でそれらは玉石混交だった。後になってから気付いたことだが、当時の私が気に入った童話の大半がイソップ寓話だった。大学生になってから改めて読み直してこれが童話ではなく大人のための物語であることを知らされた。
 イソップ寓話以外の童話は好きになれない作品が多かった。物語として陳腐で教訓は平凡だった。特に「白馬の王子様に見初められる物語」は大嫌いだったしアンデルセンの「裸の王様」もまた嫌いな話だった。大体「馬鹿には見えない繊維」という設定がくだらないし周囲が「馬鹿と思われたくないから見えるふりをする」という進行も不自然過ぎる。極め付けは「権威に拘束されない無邪気な子供が真実を明かす」というオチだ。私は子供のほうが大人以上に権威主義的だと感じているからこのオチには全く納得できなかった。
 大体こんなくだらない話を子供の脳味噌に詰め込もうとするのは、子供に客観性を求めているからだろう。客観性を推奨する童話を多く読まされるし学芸会でもそんなテーマの作品が多く取り上げられた。誰の作品なのか知らないが、手鏡の中に誰がいるのかを巡って王であるライオンが「鏡の中にいるのはライオンだ」と主張して他の意見を認めず、人間の子供が事実を教え諭すというくだらない劇を演じさせられたこともあった。この作品のテーマは客観性の重視以外に「言論の自由」まで含めていたようだった。様々な手段を使って教え込まなければならないほど子供は客観性も公正さも欠いている。
 こんな物語を利用するよりもスポーツによる教育のほうがずっと有益だと思う。プレイヤー同士で相互審判をしていれば、一番嫌われるのは不公正な判定をする者だ。たとえその競技が得意で所属することによってチームが強くなるような同級生でも不公正な判定をすれば両方のチームから嫌われる。揉めるばかりで一向に楽しいゲームにならないからだ。これが公正さに対する目覚めでもあり児童心理学者がしっかりと研究すべき課題だろう。
 文化度の低い国民はルールを遵守しない。たまたまだが日本が国境を接する3国はどれもスポーツ界での問題国だ。偽装することがまるで国策であるかのような中国、国ぐるみでドーピングをやってオリンピックから締め出されたロシア、世界一汚いサッカーをするということが国際的にも認められている韓国と、日本は野蛮な国に囲まれている。こんな3国を文化によって教化することは難しく、市民スポーツを普及させることによってフェアプレーの精神を身に付けさせるのが一番良いのではないだろうか。相手の文化レベルが上がるまでは我慢せねばならないが、スポーツを通じた交流によって文化後進国を啓蒙するという気長な対応も必要なことだろう。
 

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