俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

させない権利

2013-10-15 09:41:18 | Weblog
 人には「する権利」と「しない権利」はあると思うが、近頃なぜか「させない権利」を主張する人が多い。「子宮頸癌ワクチンの接種を中止せよ」とか「歩きスマホをやめさせろ」とか「臭い柔軟剤を販売禁止にせよ」あるいは「エスカレータ上を歩かせるな」などだ。私は他者に危害を加えない限り「する権利」は最大限に認められるべきだと考えており、こういう「させない権利」には違和感を覚える。
 自由は権利以上に基本的かつ重要な概念だ。「する権利」も「しない権利」も実は「する自由」と「しない自由」から派生した概念に過ぎない。殆んどの国に「自由党」はあるが「権利党」は無い。このことからだけでも「自由」が人間にとって普遍的に重要な概念であることは明らかだ。「自由・平等・博愛」がフランス革命のスローガンであったように「自由」こそ近代社会にとって最重要な概念だ。
 「させない権利」および「させる権利」はそれぞれが他者の「する自由」と「しない自由」を侵害する。「させない権利」は余りにも頻繁にマスコミが取り上げているために正当な主張であるかのように錯覚されているが、これは肥大した権利意識が生んだ妄想だ。
 念のために日本国憲法の全文を読んでみた。「する自由」は1度、「の自由」は4度、「する権利」は9度、「しない権利」は1度登場するが、「させる権利」や「させない権利」は1度も出現しない。代わりに「させる義務」が1度だけ、「子女に義務教育を受けさせる義務」として登場する。
 「させない権利」に類する主張は「権利」という言葉を利用して他者の自由を奪おうとするかなり卑劣で我儘な放言と思えてならない。

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