「江戸のウグイスの声は訛っておじゃるのぉ」と言ったかどうかは知らないが、京から江戸の寛永寺に赴任した公弁法親王は江戸のウグイスの鳴き声に憤って何と3,500羽のウグイスを京から取り寄せたと言う。その甲斐有って江戸のウグイスも「ホーホケキョ」と鳴くようになったそうだ。この地は今では鶯谷と呼ばれている。
ウグイスは教わらないと正しく鳴けない。多分正しく鳴けば繁殖において有利なのだろう。個体数が多い土地では皆が正しく鳴くが、個体数が少なければ泣き声がバラバラになるらしい。訛っていたウグイスも正しい声を聞けばすぐにその真似をするらしいから、多数決ではなく「正しい鳴き声」という基準があるのだろう。
人間も正しい行為を見れば不正な自分が恥ずかしくなる。何が正しいかを定義することは難しいが「悪の否定」としてなら定義できる。子供向け番組の「正義の味方」は犯罪組織や怪獣をやっつけることでしか自らを正義の味方と位置付けられない。
平和や繁栄や秩序などを脅かすことが「悪」であってその悪を倒すことが「正義」とされる。正義とは何とも消極的な概念だ。ハーバード大学のサンデル教授も「正義でないこと」について話すばかりで正義については殆んど話していない。正義とは一次的な概念ではなく二次的な概念だ。
ウグイスは教わらないと正しく鳴けない。多分正しく鳴けば繁殖において有利なのだろう。個体数が多い土地では皆が正しく鳴くが、個体数が少なければ泣き声がバラバラになるらしい。訛っていたウグイスも正しい声を聞けばすぐにその真似をするらしいから、多数決ではなく「正しい鳴き声」という基準があるのだろう。
人間も正しい行為を見れば不正な自分が恥ずかしくなる。何が正しいかを定義することは難しいが「悪の否定」としてなら定義できる。子供向け番組の「正義の味方」は犯罪組織や怪獣をやっつけることでしか自らを正義の味方と位置付けられない。
平和や繁栄や秩序などを脅かすことが「悪」であってその悪を倒すことが「正義」とされる。正義とは何とも消極的な概念だ。ハーバード大学のサンデル教授も「正義でないこと」について話すばかりで正義については殆んど話していない。正義とは一次的な概念ではなく二次的な概念だ。
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