俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ゲロと便

2009-04-21 15:56:05 | Weblog
 ゲロも便も汚い。しかし体の中にある間は汚くない。誰もが体内にゲロも便も隠し持っているが外に出さない限り汚くない。もしかしたら便で膨らんだ女性の下腹部を美しいと感じる男もいるかも知れない。
 ゲロや便を隠し持っている人間を醜いと断罪したり、人間を巨大な糞袋として否定するつもりは全く無い。逆に、ゲロや便を持っていても人間は美しいと考える。
 「アンデスの聖餐」において、人は人を食べて生き残った。極限状態において人間は通常とは全く異なった行為を選択できる。このことをもって人間の本性を「悪」だと主張することは、ゲロや便を隠し持つから人間の本質は「汚」だと主張するようなものだ。
 極限状態に追い込まれない限り、人間は優しく思いやりがあり、お互いに気配りできる素晴らしい動物だ。優しさと人肉食は矛盾しない。これはゲロや便と「美」が矛盾しないのと同じことだ。隠れ潜んでいる醜い物があってもそれが「本質」という訳ではない。

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