小学校の「道徳」の時間に「イギリスの紳士は積極的に謝る。足を踏まれたほうの人が謝ることさえあるくらいだ。これは社会をギスギスしたものにしないための知恵の現われだ。」と教わった。
その後どこかで「アメリカ人は基本的には謝らない。訴訟社会のアメリカでは謝ったら非を認めたことになり裁判で不利になるからだ。」と教わった。
同じアングロ・サクソン中心の国でも歴史が違えば国民性も変わるものだと思ったものだ。
その後、実際にアメリカ人と会って、彼らは自己主張は強いが陽気で礼儀正しいと感じた。路上などで体が接触した場合彼らは自然に`sorry'と頻繁に口にする。平気で通り過ぎようとする日本人のほうが余程礼儀知らずだと思った。
このギャップの原因は1986年にマサチューセッツ州で生まれた「アイムソーリー法」によって生じたようだ。この法律の主旨は「事故の時点での謝罪は裁判において不利な証拠にはならない」ということらしい。現在では同様の法律が全米の35の州で制定されているそうだ。
社会に潤いを与えるこんな法律なら大歓迎だ。日本でも市民を支配するためや党利党略のための法律ではなく、こんな市民目線の法律の制定が望まれる。残念ながら日本には「市民のための法律」は余り見当たらない。敢えて挙げるなら「ストーカー規制法」がその数少ない例外だろう。
その後どこかで「アメリカ人は基本的には謝らない。訴訟社会のアメリカでは謝ったら非を認めたことになり裁判で不利になるからだ。」と教わった。
同じアングロ・サクソン中心の国でも歴史が違えば国民性も変わるものだと思ったものだ。
その後、実際にアメリカ人と会って、彼らは自己主張は強いが陽気で礼儀正しいと感じた。路上などで体が接触した場合彼らは自然に`sorry'と頻繁に口にする。平気で通り過ぎようとする日本人のほうが余程礼儀知らずだと思った。
このギャップの原因は1986年にマサチューセッツ州で生まれた「アイムソーリー法」によって生じたようだ。この法律の主旨は「事故の時点での謝罪は裁判において不利な証拠にはならない」ということらしい。現在では同様の法律が全米の35の州で制定されているそうだ。
社会に潤いを与えるこんな法律なら大歓迎だ。日本でも市民を支配するためや党利党略のための法律ではなく、こんな市民目線の法律の制定が望まれる。残念ながら日本には「市民のための法律」は余り見当たらない。敢えて挙げるなら「ストーカー規制法」がその数少ない例外だろう。
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