俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

競争

2015-12-13 09:48:31 | Weblog
 動物界には種族外競争(生存競争)と種族内競争(異性による選別)がある。たとえ優れた個体であっても生殖する相手に恵まれなければ子孫を残せず淘汰されてしまう。
 種族外競争と種族内競争は車の両輪のようなものでありバランスが必要だ。歪んだ進化の典型例はクジャクの尾羽であり、種族内競争での最適者が種族外競争での最不適者になっている。種族内競争の鍵を握るのはメスだ。授精だけが役割のオスは選り好みをせず下手な鉄砲を数打ち続けるが、メスは受精だけではなく出産もせねばならないから、受精の時点で上手く選別をしなければ次世代以降の繁殖において不利になる。クジャクのメスはオスの大きな尾羽に性的魅力を感じて受け入れるが、肥大化した尾羽は飛ぶためにも走るためにも邪魔になり、敵から逃げる力を失わせる。オスの巨大な尾羽は繁殖を有利にするだけで生存のためには著しく不利になる。
 群居動物である人類の祖先は多分、木の実を食べ傷を舐め合って暮らしていただろう。そういう環境において他者を思いやる心や慈しむ心が進化した。つまり「優しい心」が種族内競争において有利に働いたと思われる。
 しかし動物は種族内だけでは生きられない。恐ろしい敵もいるし、肉食のためには他の動物を殺すことも必要になる。種族外競争において重要なのは身体能力だ。敵から逃げるのであれ獲物を捕らえるのであれ高い身体能力が欠かせない。しかし身体能力だけでは不十分だ。逃げるためには臆病さが、戦うためには勇敢さが必要だ。臆病さと勇敢さは矛盾する。これを調整するのが見極めだ。強い者に対しては臆病であり、弱い者に対しては勇敢であって初めて生存競争に役立つ。誰にでも勇敢であることは蛮勇に過ぎずこんな性質は真っ先に淘汰される。
 種族内競争によって協調性が高まり、種族外競争によって臆病さと勇敢さが高められた。しかし人類全体が同質化する必要などあるまい。国民皆兵が必要でないように、種族外競争のスペシャリストがいて然るべきだろう。
 これが性別進化を促したと思われる。協調的なメスと競争的なオスへの分化だ。人類のオスとは競争社会対応に特化したサイボーグのようなものではないだろうか。高い身体能力と競争心を植え込まれた戦闘マシーンだ。戦闘マシーンとして作られたからこそ男性の犯罪率は高い。
 人類のオスも本来は協調的な動物だ。仲間内で傷を舐め合っているほうが居心地が良い。しかし戦闘マシーンとしての役割がそれを許容しない。オスは否応なく競争社会放り込まれる。寿命が短く自殺率も高いのは、男役割が苛酷でありかつ矛盾に満ちていることの現れではないだろうか。

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