何年生だったか覚えていないが、小学生の時に夢から醒める夢を見たことがある。その夢から醒めた時には、しばらくは夢か現実かと疑いつつ自分を抓って痛みを確認して、多分現実だろうと思ったものだ。確信できなかったのは痛みを感じる夢もあるからだ。
中国には胡蝶の夢や邯鄲の夢のように夢と現実の等価性を語る寓話が多数ある。荘子が蝶になった夢を見たのか蝶が荘子になった夢を見たのか区別できないといった話だ。
実際には夢と現実は明確に区別できる。延々と続きを演じさせられるほうが現実の世界だ。夢ならその時限りだが現実は決してリセットできない。これは悪夢ではないか、と思っても目覚められないのが現実世界だ。
嫌な現実から目を背ける人がいる。嫌なことは無視していればそのうちに過ぎ去ると考える人だ。台風一過というように一過性のものは耐えていれば終わるが、大切なのは耐えられるということだ。予め台風に備えていなければ耐えることはできない。台風に耐え得た人だけが台風後の安泰を喜べる。
人はいつまでも若くいられる訳ではない。誰もが必ず老いる。その現実を見なければ若いつもりでいられる。しかしいざ何かをしようとすれば否応無く現実に直面させられる。頭も体も思い通りには働かない。そんな現実に直面してから慌てても手遅れだ。台風に備えるように老化に逆らい老化に抵抗する必要がある。
現実は夢ではない。夢ではないから目覚めることはできない。夢ならリセットできるが現実はリセットできない。嫌な現実であろうとも肯定するしか無い。嫌な現実を肯定するためには現実に対して抵抗する必要がある。台風に耐えるために備えが必要であるように、老化を受け入れるためには鍛錬が欠かせない。現実から目を逸らしても現実は変わらない。一層悪くなるだけだ。事実を認めて初めて対策が可能になる。
中国には胡蝶の夢や邯鄲の夢のように夢と現実の等価性を語る寓話が多数ある。荘子が蝶になった夢を見たのか蝶が荘子になった夢を見たのか区別できないといった話だ。
実際には夢と現実は明確に区別できる。延々と続きを演じさせられるほうが現実の世界だ。夢ならその時限りだが現実は決してリセットできない。これは悪夢ではないか、と思っても目覚められないのが現実世界だ。
嫌な現実から目を背ける人がいる。嫌なことは無視していればそのうちに過ぎ去ると考える人だ。台風一過というように一過性のものは耐えていれば終わるが、大切なのは耐えられるということだ。予め台風に備えていなければ耐えることはできない。台風に耐え得た人だけが台風後の安泰を喜べる。
人はいつまでも若くいられる訳ではない。誰もが必ず老いる。その現実を見なければ若いつもりでいられる。しかしいざ何かをしようとすれば否応無く現実に直面させられる。頭も体も思い通りには働かない。そんな現実に直面してから慌てても手遅れだ。台風に備えるように老化に逆らい老化に抵抗する必要がある。
現実は夢ではない。夢ではないから目覚めることはできない。夢ならリセットできるが現実はリセットできない。嫌な現実であろうとも肯定するしか無い。嫌な現実を肯定するためには現実に対して抵抗する必要がある。台風に耐えるために備えが必要であるように、老化を受け入れるためには鍛錬が欠かせない。現実から目を逸らしても現実は変わらない。一層悪くなるだけだ。事実を認めて初めて対策が可能になる。
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