俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

群居本能

2014-01-25 09:34:54 | Weblog
 500万年前の猿人の時代から人類は群居生活を続けている。多分、30万世代にも亘るだろう。当然、人類は群居生活に適応する。つまり群居動物に相応しい本能を身に付けることになる。集団としての利益を守ろうとすることこそ群居本能の現れだ。
 個体の利益と集団の利益は必ずしも一致せずしばしば矛盾する。この矛盾に対応するために人類は高い知性を獲得したのではないかとさえ私は考えている。
 集団の利益を守るために必要なことは異端者の排除だ。例えば鴉は仲間が攻撃されれば集団で反撃する。この時、反撃に参加しない者がいれば、彼は仲間からは守られているのに仲間を守るための危険を冒さないのだから、生存の可能性が高まる。こんな個体が増えれば鴉の共同社会が滅ぶのでこんな変種は群から排除される。変種を識別するために必要なのが高い知性だ。個体を特定して彼の貢献と裏切りを正確に記憶しなければ信賞必罰はできない。
 人類が恩と恨みに対して敏感なのは味方と敵を識別するためだろう。恩や恨みは貸借関係として長く記憶される。恩返しとは違って、恨みを晴らすことは必ずしも公認されてはいないが合法的な手法であれば許容される。忠臣蔵や半沢直樹が人気を集めるのは人類には群居本能から派生した報復欲が備わっているからだ。
 群居本能があるからこそ思いやりや労りの感情が生まれるのだが群居本能は諸刃の剣だ。当たり前の話だが群居本能は知性ではない。だから有害なものだけではなく異質なものの総てを嫌う。自分達と異なる者を異端として排除しようとする。民族であれ宗教であれ、少数者を差別する。これは群を同質化しようとする群居本能の暴走だ。差別やいじめは本能に基づいているからこそ解決が難しい。

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