約束に当たる英語はpromiseだがpromiseにはそれ以外に「契約」という訳語も当てられている。約束と契約は似て非なるものだ。
欧米の契約書と比べて日本の契約書は簡潔だ。契約書として書面にしなくてもお互いに約束を守ることが期待されているからだろう。しかし契約と約束には根本的な違いがある。契約すればそれがルールになるが、約束はマナーに過ぎない。契約不履行であれば罰則があるが、約束を破ったことを理由にして相手を罰することはできない。罰則の無い約束が成立するのは相互に信頼関係がありお互いに契約書以上のことを果たすことが暗黙の了解になっているからだ。
約束を守らない人は信頼されない。しかし様々な事情があってどうしても約束を破らざるを得ないことは起こり得る。これは避けられないことだ。
昔ベストセラーになった俵万智さんの「サラダ記念日」にこんな句があった。「今我を待たせてしまっている君の 胸の痛みを思って待とう」。待たされる側は辛いが、待たせている側も辛い。好き好んで待たせている訳ではあるまい。待たされる側は被害者意識を持つものだが、待たせる側にも事情がある。
太宰治の「走れメロス」に描かれたように、約束を果たそうとする姿は美しい。しかし約束が無限責任になり命懸けで守らねばならないようなら重過ぎる。むしろ予め契約として義務を制限したほうが気楽だ。ドライな関係になる。
その意味で一神教の神は理解し易い。新約聖書や旧約聖書の「約」は契約でありその指示は明快だからすべきこととすべきでないことが簡単に識別できる。むしろ聖典を持たない日本人のほうがずっと大変だ。個々人が相手の心を推し測って、相手が喜ぶことをして、嫌がることを避けねばならない。しかし人は千差万別であり、良かれと思ってしたことがとんだ迷惑になることもあり得る。
そうなると最も確実なのは約束を守ることだ。約束においては相手の意思が明確に表示されている。外国人と比べて日本人が特に約束を大切にするのは、他の価値が曖昧で相対的であるのに対して、約束は明確で絶対的だからだろう。
欧米の契約書と比べて日本の契約書は簡潔だ。契約書として書面にしなくてもお互いに約束を守ることが期待されているからだろう。しかし契約と約束には根本的な違いがある。契約すればそれがルールになるが、約束はマナーに過ぎない。契約不履行であれば罰則があるが、約束を破ったことを理由にして相手を罰することはできない。罰則の無い約束が成立するのは相互に信頼関係がありお互いに契約書以上のことを果たすことが暗黙の了解になっているからだ。
約束を守らない人は信頼されない。しかし様々な事情があってどうしても約束を破らざるを得ないことは起こり得る。これは避けられないことだ。
昔ベストセラーになった俵万智さんの「サラダ記念日」にこんな句があった。「今我を待たせてしまっている君の 胸の痛みを思って待とう」。待たされる側は辛いが、待たせている側も辛い。好き好んで待たせている訳ではあるまい。待たされる側は被害者意識を持つものだが、待たせる側にも事情がある。
太宰治の「走れメロス」に描かれたように、約束を果たそうとする姿は美しい。しかし約束が無限責任になり命懸けで守らねばならないようなら重過ぎる。むしろ予め契約として義務を制限したほうが気楽だ。ドライな関係になる。
その意味で一神教の神は理解し易い。新約聖書や旧約聖書の「約」は契約でありその指示は明快だからすべきこととすべきでないことが簡単に識別できる。むしろ聖典を持たない日本人のほうがずっと大変だ。個々人が相手の心を推し測って、相手が喜ぶことをして、嫌がることを避けねばならない。しかし人は千差万別であり、良かれと思ってしたことがとんだ迷惑になることもあり得る。
そうなると最も確実なのは約束を守ることだ。約束においては相手の意思が明確に表示されている。外国人と比べて日本人が特に約束を大切にするのは、他の価値が曖昧で相対的であるのに対して、約束は明確で絶対的だからだろう。
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