27日にオウム真理教の元信者の菊地直子被告に対する逆転無罪判決が下された。批判的な意見が少なくないが妥当な判決だと思う。オウム真理教の信者の大半は麻原彰晃(松本智津夫)という狂人に人生を狂わされた気の毒な被害者だ。IS(イスラミックステート)のようなテロを目的とした組織とは根本的に違う。
それにも拘わらずマスコミの報じ方は昨年3月の袴田事件とは全然違っていた。死刑判決が確定していた袴田死刑囚の再審と釈放が決まった時、マスコミは好意的に報じた。しかし菊地被告の無罪判決には疑問を挟んだ報道が少なくなかった。
一審の裁判員裁判の判決は明らかに誤っていた。薬品を運んだことを根拠にして殺人未遂幇助とされたが、これはオウム憎しという感情が露呈したものだろう。夫が台所にあった包丁を使って殺人事件を起こした時に妻に殺人幇助の罪を着せるような判決だ。
有罪と主張する人のもう1つの論拠は17年も逃げていたことだ。犯罪者という自覚が無ければ名乗り出た筈だ、と言う。これもこじつけだ。冤罪と分かっているからこそ逃げることもある。
昔大ヒットしたテレビドラマがある。「逃亡者」という作品だ。これは妻殺しの濡れ衣を着せられた医師が逃亡を続ける話だ。無実の人間の逃亡という設定にリアリティがあったからこそ共感を呼んだ。
もっと身近な例がある。痴漢の冤罪だ。身に覚えが無いことであれば堂々と潔白を主張すれば良いと言う人もいるがこの冤罪は少なくない。犯罪があったことなら証明できるが無かったことを証明することは実質的に不可能だからだ。しかも痴漢に関しては刑法の大原則である「疑わしきは罰せず」が適用されていない。お勧めできることではないが、痴漢の冤罪から逃れる最も有効な方法は、逃げることらしい。菊地非告も加担しなかったことを証明することは困難であり疑わしいだけで罰せられると考えたからこそ逃亡を続けざるを得なかったのではないだろうか。
オウム憎しの感情は理解できる。しかし被害者でもある一般信者に対する憎悪は誤りだ。菊地被告の無罪判決に不満を持つ人の大半が、彼女が何をしたかさえ把握していない。オウムの関係者だから悪人だという論法は余りにも乱暴だ。偏見以外の何物でもない。オウムの犯罪者と一般信者は、ISとその支配地の住民ほどに異なると思う。
オウムの実行犯も決して極悪人ではなかろう。狂人の言葉を信じた気の毒な人だと思う。ニュルンベルク裁判の連合国の裁判官はナチスの戦争犯罪人が揃いも揃って余りにもまともな小市民であることに驚愕したと言われている。言われたことを忠実にこなす小役人のような人ばかりで到底大虐殺の首謀者とは思えない平凡な人々だったらしい。オウムの犯罪者もナチスと似たタイプではないだろうか。勿論、オウムの犯罪者もナチスの戦争犯罪人も罰せられるべきだ。しかしその罪が一般信者や一般党員にまで及ぶとは考えられない。オウムの元信者に対する憎悪は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」以上に不合理な感情だ。オウムの元信者の多くは加害者ではなく被害者だ。
それにも拘わらずマスコミの報じ方は昨年3月の袴田事件とは全然違っていた。死刑判決が確定していた袴田死刑囚の再審と釈放が決まった時、マスコミは好意的に報じた。しかし菊地被告の無罪判決には疑問を挟んだ報道が少なくなかった。
一審の裁判員裁判の判決は明らかに誤っていた。薬品を運んだことを根拠にして殺人未遂幇助とされたが、これはオウム憎しという感情が露呈したものだろう。夫が台所にあった包丁を使って殺人事件を起こした時に妻に殺人幇助の罪を着せるような判決だ。
有罪と主張する人のもう1つの論拠は17年も逃げていたことだ。犯罪者という自覚が無ければ名乗り出た筈だ、と言う。これもこじつけだ。冤罪と分かっているからこそ逃げることもある。
昔大ヒットしたテレビドラマがある。「逃亡者」という作品だ。これは妻殺しの濡れ衣を着せられた医師が逃亡を続ける話だ。無実の人間の逃亡という設定にリアリティがあったからこそ共感を呼んだ。
もっと身近な例がある。痴漢の冤罪だ。身に覚えが無いことであれば堂々と潔白を主張すれば良いと言う人もいるがこの冤罪は少なくない。犯罪があったことなら証明できるが無かったことを証明することは実質的に不可能だからだ。しかも痴漢に関しては刑法の大原則である「疑わしきは罰せず」が適用されていない。お勧めできることではないが、痴漢の冤罪から逃れる最も有効な方法は、逃げることらしい。菊地非告も加担しなかったことを証明することは困難であり疑わしいだけで罰せられると考えたからこそ逃亡を続けざるを得なかったのではないだろうか。
オウム憎しの感情は理解できる。しかし被害者でもある一般信者に対する憎悪は誤りだ。菊地被告の無罪判決に不満を持つ人の大半が、彼女が何をしたかさえ把握していない。オウムの関係者だから悪人だという論法は余りにも乱暴だ。偏見以外の何物でもない。オウムの犯罪者と一般信者は、ISとその支配地の住民ほどに異なると思う。
オウムの実行犯も決して極悪人ではなかろう。狂人の言葉を信じた気の毒な人だと思う。ニュルンベルク裁判の連合国の裁判官はナチスの戦争犯罪人が揃いも揃って余りにもまともな小市民であることに驚愕したと言われている。言われたことを忠実にこなす小役人のような人ばかりで到底大虐殺の首謀者とは思えない平凡な人々だったらしい。オウムの犯罪者もナチスと似たタイプではないだろうか。勿論、オウムの犯罪者もナチスの戦争犯罪人も罰せられるべきだ。しかしその罪が一般信者や一般党員にまで及ぶとは考えられない。オウムの元信者に対する憎悪は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」以上に不合理な感情だ。オウムの元信者の多くは加害者ではなく被害者だ。
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