俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

なりたい自分

2010-07-30 14:10:50 | Weblog
 「こんな人になりたい」と考える時、それは誰の願望に基づいているのだろうか?「馬鹿なことを言うな」と言われそうだ。「自分がなりたいと思う人」に決まっていると多くの人は考えるだろう。しかし本当にそうだろうか。
 人は周囲の意向に沿って考え行動する。親、友人、学校、社会、マスコミなどが共通して良いと考えることをほぼ無条件に良いものとして受け入れてしまう。昭和の初期の日本人が軍人に憧れて悲惨な目に会ったことを忘れてはならない。人、特に日本人の自我は周囲の期待と自分の願望とを混同してしまうほどに曖昧なものだ。
 芸能人、スポーツ選手、芸術家などになりたいと思う人は本当に自分の願望に基づいているのだろうか。社会的地位が高いから、つまり周囲から一目置かれるという理由からではないだろうか。自分の願望が満たされるからではなく、周囲の人が憧れているからという理由だけでその仕事に憧れているのではないだろうか。
 これでは株の投資のようなものだ。株が値上がりするのは企業の業績が良い時とは限らない。値上がりしそうだと多くの人が期待した時に株価は上がる。
 美人コンテストでも同じようなことが起こる。美しいと思う人にではなく多くの人に美女と評価されるだろうと思われた人に票が集まる。
 この社会において自分で決められることは意外なほど少ない。自分で選べる数少ないチャンスの筈の自分の将来を、株や美人コンテストのような基準で決めるべきではない。周囲の意向に迎合するのではなく自分の本当の願望を見つけるべきだ。そうしないとかっこいい仕事を選んだつもりでいたら過酷な労働を強いられてすぐに転職するということにもなりかねない。

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