「AかBか」と二者択一を迫るのはズルイやり方だ。
論理的には①「AもBも」という「止揚」②どちらも選ばない、つまり「AでもBでもなくC」という第三の選択肢や③判断保留という方法が可能だ。
抽象論では分かりにくいので具体例を挙げよう。昼食をラーメンにするかカレーにするか迷ったとしよう。
①による解決はカレーとラーメンの両方を食べるかカレーラーメンを選ぶということだ。
②による解決はカレーもラーメンも選ばず全く別のメニューを選ぶということだ。
③による解決はとりあえず2店の前まで行って込み具合などを見てから決めるということだ。
余りにも卑近過ぎる例を出し過ぎたかも知れない。しかし論理は単純で普遍的なものだ。そのことを明確にするためには卑近な例のほうが良かろう。
二者択一を迫られた場合は、本当にその2つのどちらかしか選べないのかどうかを吟味する必要がある。二者択一というマヤカシの状況を作れば論理的には分かり易くなる。しかし「分かり易い」ということと「正しい」ということは必ずしも一致しない。分かり易さは安直への道でもある。
論理的には①「AもBも」という「止揚」②どちらも選ばない、つまり「AでもBでもなくC」という第三の選択肢や③判断保留という方法が可能だ。
抽象論では分かりにくいので具体例を挙げよう。昼食をラーメンにするかカレーにするか迷ったとしよう。
①による解決はカレーとラーメンの両方を食べるかカレーラーメンを選ぶということだ。
②による解決はカレーもラーメンも選ばず全く別のメニューを選ぶということだ。
③による解決はとりあえず2店の前まで行って込み具合などを見てから決めるということだ。
余りにも卑近過ぎる例を出し過ぎたかも知れない。しかし論理は単純で普遍的なものだ。そのことを明確にするためには卑近な例のほうが良かろう。
二者択一を迫られた場合は、本当にその2つのどちらかしか選べないのかどうかを吟味する必要がある。二者択一というマヤカシの状況を作れば論理的には分かり易くなる。しかし「分かり易い」ということと「正しい」ということは必ずしも一致しない。分かり易さは安直への道でもある。
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