「言論の自由」と言われながら誰もが避けるテーマがある。それについて触れるだけで謂れ無き迫害を受ける。そんなテーマについて敢えて火中の栗を拾いに行ってみようと思う。第一回目として「優生学」について書く。
「優生学」と言えばすぐにナチスと結び付けられて「差別」のレッテルが貼られる。しかしこれは論理的には正しくない。仮に「ナチス=悪」であったとしてもナチスの政策の総てが悪になる訳ではない。
優生学として私が採り上げたいのは次の2つだ。
①子供の間引きは許されるか?
②明らかな欠陥者に対する断種は許されるか?
先天的な欠陥を持った子供を育てる親の負担はとてつもなく大きい。四六時中世話をせねばならないし、医療費等の金銭的負担も大きい。こんな子供を持ってしまえば到底他の子供を育てることはできない。
先天的に重大な欠陥を持つ子供を間引いてはいけないのだろうか。本人も苦しいし親も苦しいし社会にとってもお荷物にしかならない。
堕胎が許されるなら出産後の選別も許されて良いのではないだろうか?
俗に「出来の悪い子供ほど可愛い」と言うが、限度を超えれば可愛くなくなる。支援が無ければ日常生活にも困り、意思の疎通も困難な子供が果たして可愛いだろうか。「私が助けてあげねば」という気持ちにはなるだろうが、これは産んでしまったことの責任を押し付けることでしかない。
奇妙なことに優生学はフェミニズムと相性が良い。これは男女の繁殖戦略の違いによるのだろう。無限に繁殖機会を持てる男と、どれだけ頑張っても一生に20回ぐらいしか繁殖のチャンスが無く身体的負担も大きい女とでは戦略が異なる。男は下手な鉄砲を多数打ちたがるし、女はできるだけ「良い子」を産もうとする。
優劣を認めないことが日本人にとっての良識となっているようだが、実際には優劣は存在する。同じ育てるなら少しでも「出来の良い子」を育てたいと思うのが本音ではないだろうか。
「優生学」と言えばすぐにナチスと結び付けられて「差別」のレッテルが貼られる。しかしこれは論理的には正しくない。仮に「ナチス=悪」であったとしてもナチスの政策の総てが悪になる訳ではない。
優生学として私が採り上げたいのは次の2つだ。
①子供の間引きは許されるか?
②明らかな欠陥者に対する断種は許されるか?
先天的な欠陥を持った子供を育てる親の負担はとてつもなく大きい。四六時中世話をせねばならないし、医療費等の金銭的負担も大きい。こんな子供を持ってしまえば到底他の子供を育てることはできない。
先天的に重大な欠陥を持つ子供を間引いてはいけないのだろうか。本人も苦しいし親も苦しいし社会にとってもお荷物にしかならない。
堕胎が許されるなら出産後の選別も許されて良いのではないだろうか?
俗に「出来の悪い子供ほど可愛い」と言うが、限度を超えれば可愛くなくなる。支援が無ければ日常生活にも困り、意思の疎通も困難な子供が果たして可愛いだろうか。「私が助けてあげねば」という気持ちにはなるだろうが、これは産んでしまったことの責任を押し付けることでしかない。
奇妙なことに優生学はフェミニズムと相性が良い。これは男女の繁殖戦略の違いによるのだろう。無限に繁殖機会を持てる男と、どれだけ頑張っても一生に20回ぐらいしか繁殖のチャンスが無く身体的負担も大きい女とでは戦略が異なる。男は下手な鉄砲を多数打ちたがるし、女はできるだけ「良い子」を産もうとする。
優劣を認めないことが日本人にとっての良識となっているようだが、実際には優劣は存在する。同じ育てるなら少しでも「出来の良い子」を育てたいと思うのが本音ではないだろうか。