昨日の夕刻は、東京地方も雪がチラつきました。
寒い、本来の1月です。
今年は正月早々より能登半島で大地震と津波による災害も発生しました。
また、羽田空港では民間機と海保機との事故もあり、民間機は奇跡的に乗客と乗員は奇跡的に全員助かりました。しかし海保機は機長だけの生存です。
今回の旅は天候にも恵まれました。
私たちだけが、このような旅をして良いのかとも考えます。
それぞれが、その環境で生きて(暮らして)行くしかないのでしょう。
鵜の岬の日の出です。
ここは8階の展望風呂です。
HPから拝借いたしました。実際は滑り止めのマットが長く敷いてあります。
陽が登ると、辺りの景色や建物の配置などが分かります。
ここでバイキング形式の朝食です。
先ずはコーヒーをゆっくりといただき、その後トレーを持って出陣です。
やはり水戸納豆をチョイスしました。
腸に良いと言われてヨーグトを取りに・・・。
もう欲と二人連れで、端からチョイスしてしまいます。
朝食を終えて、館内(庭)を散歩です。
どこのロビーも同じで、地域の名産品が売られています。
意味もなく鐘を鳴らしてみました。
鵜の岬と言われる所以です。
このトンネルの先に鵜の捕獲場があります。
天皇陛下と雅子妃殿下もご覧になったようです。
鵜は冬には九州へ、そして夏は北海道へ回遊するそうです。
その途中で立ち寄るのがこの岬付近とか?
そろそろ時期なのでしょうか?岬に鵜がいます。
ここで捕獲された鵜は、山梨の釜無川や長良川など鵜飼いが行われる日本各地に送られるとのことです。
岩場の吐出している部分に、おとりの鵜を置いて寄ってきた鵜を捕まえるのです。
罠やカギ棒などが展示されていました。
開いているよしづの穴から外を見てみました。
本格的な春になれば、多くの鵜が寄って来るのでしょう。
散歩途中ですが、30cmくらいの段差から飛び降りる?ような場所がありました。
駐車場や芝生を横断した時です。その段差を女房が飛び下りた時に転がって膝を強打し起き上がれない状態になりました。しばらくして立ち上がりましたが、やはり膝を擦りむいていました。ほっとした一瞬です。
それからは、手をつないでの散策(安全と介護のため)です。
+++++++
宿を出ました。ここからは帰り路になります。
途中、「道の駅常総」か「日立おさかなセンター」を考えましたが、結果帰路につくには近い「日立おさかなセンター」に向かいました。それでも高速道を使っても1時間半の道のりです。
イメージしていたものとは異なって、センター全体が浜焼きの場になっていました。
何か所もある駐車場は満杯です。
同じような店ですが、どこも長蛇の列になっています。
好きな魚貝類をチョイスして丼ぶりに乗せたり、また海老やサザエなどを浜焼きにしています。
凄い賑わいです。これは東京で開店すれば流行るだろうな!と思いました。
楽しそうな場所です。お腹が空いていれば立ち寄ることも良いのでしょう。
持ち帰るような魚類など買い求めて発泡スチロールに入れて帰宅しました。
途中、小腹も空いたのでMORIYAサービスエリアで休憩です。
ハンバーグをいただいて(少し休憩して)、外環道に入りました。
往復約400kmの小さな(1泊)旅でした。
4時過ぎには帰宅でき、夕食はサザエやマグロの中トロなどを美味しくいただきました。近ければまた行きたい場所です。
+++++++
茨城県への小さな旅でしたが、いろいろな方のお世話になりました。
茨城県民の特性が紹介されていました。
関東の北部に位置する茨城は、徳川御三家である水戸藩の御家元です。
「水戸黄門」が有名な茨城県民は、ドラマで見る黄門様の穏やかな雰囲気とは違い、荒々しく、短気な人が多いと言われています。
関東の中ではなまりがきついので、普通に話をしていても誤解されることもあるのかもしれませんと・・・。
茨城には「水戸っぽ」という言葉があります。
これは「水戸の人らしい」と言う意味で、「怒りっぽい、飽きっぽい、忘れっぽい」の3つの「ぽい」を現します。と書かれていました。
*そんなことは、全く感じない茨城県でした。ただ交通ルールはあるかも知れません。交差点でも少し隙間があると右折してくる車が多かったですね。
しかし、国民宿舎鵜の岬のもてなしにも感謝です。
道中、道が分からず地元の方にもお聞きし、丁寧にお教えいただきました。
また、茨城県水戸土木事務所の偕楽園公園センター方々にもです。
特に、メールでご丁寧にご案内いただいたご担当のY山さんにも感謝申し上げます。大変参考になりました!
もてなし・やさしさ・親切丁寧も茨城県民の特性だと思います。
Hiro