昨日の昼食はちゃんぽん麺でした。
新しい箸を使いました。
「箸にも棒にも掛からない」の語源(意味)ですが、あまりにもひどすぎて手が付けられず、どうしようもない」という意味を表す言葉で使われています。
同じような使い方で、「でくのぼう」もあります。
1.人形。あやつり人形。をでくと言うようです。
2. 役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。また、そのような人をののしった言葉になっています。
今ではあまり聞かない言葉です。昔は熊さん八っさんと大家さんなどが落語の世界で聴いたことがあります。
今日の話は箸のことです。
昨日、女房が街に出かけた先のデパートで、職人展があったようで次男坊の誕生日と私たちが使っている箸を買い求めたとのことです。
これは私用で、軽く使いやすい箸で気に入りました。
箸より重たいものは持ったことが無いと言いたいのですが・・・。
でも、最近は食器も箸も軽いものにしています。
生ビールの大を頼んで腕をねん挫したことがあり、それから中ジョッキまでにしています。
一番軽いのはサイフの中身かも知れません。
そして、女房用です。味わいがあっていいですね。
そして誕生日祝いにと次男坊用です。
シーズンに入ると、試合結果が翌日の朝食で分かるくらいです。
折れた(使えない)バットを再生して、箸にしています。
私からは現金にしました。吹けば飛ぶような額です。
棒とは言えませんが、山から切り落とした原木(棒)にシイタケ菌を打ちました。
庭でシイタケが収穫できるなんて、贅沢かも知れません。
他の語源では、『箸にも棒にも掛からない』は、文字通り「小さな箸でも大きな棒でも持てず、どんな道具でも拾い上げることができない」というところから来ているようです。
小さくて細かいものであれば、箸でつまみ上げることで取り出せます。
大きなものであれば、棒にひっかけたり、挟んだりすることで取得できるでしょう。
しかし、箸でも棒でも取れないものは、どうしようもありません。
そんなに何でも利用できる道具?は中途半端で使いづらさがあるのかも知れません。
オキザリスも満開です。(意味のない画像です)
良いじゃないですか!それぞれ万能でなく、使い道があれば十分です。
万人が大谷選手ではありません。世の中も小さな歯車がその役割を果たして動き回っているのです。
庭で収穫した春菊などの青物を入れていただきます。
これは軽い箸には調度良い食材かと思います。
「箸にも棒にも掛からない」人生を75年も続けてきました。
人さまにご迷惑をお掛けしなければそれで十分です。
これからは誰かのお世話になる暮らしになるのかも知れません。
認知症予防?にブログを続けている私がいます。
今日は道志に入ります。
Hiro