自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

何故か被災地に行くことが多い私

2024年01月15日 | なかま道志ベース

今年、元旦に能登半島地方で震度7を記録する大地震と津波で、甚大な被害をもたらしています。

報道各社も「義援金」の協力をとしています。

テレビなどの映像には崩れた家や崖、復旧の目途が立っていない交通網、そして雪や大雨も予想されています。

東日本大震災発生時の我が家近くのスーパーです。

ガソリンスタンドは長蛇の列、計画停電もありました。

大船渡付近です。漁港から離れた住宅街まで大型船が打ち上げられていました。津波の怖さを感じます。

陸前高田付近です。海岸から遠く離れた場所まで津波が押し寄せたのでしょう。何もありません。

近年では阪神・淡路大震災、東日本大震災(岩手県の被災地支援基地とする遠野市を経て陸前高田市・大船渡市など7回ほど入りました)、熊本城が崩壊するような大地震、そう中越と中越沖地震もありました。

これらの被災した場所にも入りました。

陸前高田は海に面する広大な部分が、すべて津波で甚大な被害が発生しました。

九州地方の豪雨による大災害も発生しています。また西日本を中心とした豪雨による甚大被害も発生いたしました。

岡山県高梁市です。土手は合流する個所では越水してかなりの場所まで浸水いたしました。

そう、中越沖地震では柏崎も行きました。

能登半島と場所も近いことから、被災状況が似ていました。

柏崎市でも、山古志でも揺れで甚大な被害を受けました。

あの柏崎原発の近くでも、活断層があり近くの施設も壊滅状態でした。

常に災害と隣り合わせの日本です。また、被災された方や市町村等に対しても寄付文化が高まっています。

さて、標記の「義援金」「支援金」「寄付金」「見舞金」の違いはご存知でしょうか?

それぞれの違いがありますので何かの参考にしていただければ幸いです。

「義援金」とは:被災者に直接渡されるお金です。したし、平等に渡すために災害発生からしばらく経てから配布されます。誰に渡したか何に使われたかは、募金した方には分かりません。

「支援金」とは:被災地で活動を行う団体や機関(NPO/NGO)に対しての支援です。何に使うかは団体等の自由です。

「寄付金」とは:被災者支援活動をする団体(主にNPOや自治体)への支援です。このお金は公共道路や湾岸の復旧支援事業のために使われることが多くあります。

「見舞金」とは:直接その被災した市町村や組合等・施設等へ直接支援するお金です。

誰からいただいたものか。金額はいくらかなど、はっきりとします。何に使うかはその市町村(組合等)の裁量になります。

したがって、赤い羽根共同募金も含めて、義援金は誰にも公平に分けられますが、時間も要して誰から誰に渡したのかもわかりません。

お気持ちは察しますが、何に使って欲しいのか支援の方法を再度考えても良いかと思います。

これに使って欲しいとして、社会福祉協議会や市町村宛にお送りするのもあるかと思います。

子どものために。高齢者のために。災害復旧のためにと、自分の意思と目的に合わせてご支援する方法もあるのでしょう。

支援する方法もいろいろとあるかと思います。

「義援金」「支援金」「寄付金」「見舞金」の違いをご照会いたしました。

 

Hiro

 


茨城 鵜の岬をあとにして帰宅へ

2024年01月14日 | なかま道志ベース

昨日の夕刻は、東京地方も雪がチラつきました。

寒い、本来の1月です。

今年は正月早々より能登半島で大地震と津波による災害も発生しました。

また、羽田空港では民間機と海保機との事故もあり、民間機は奇跡的に乗客と乗員は奇跡的に全員助かりました。しかし海保機は機長だけの生存です。

今回の旅は天候にも恵まれました。

私たちだけが、このような旅をして良いのかとも考えます。

それぞれが、その環境で生きて(暮らして)行くしかないのでしょう。

鵜の岬の日の出です。

ここは8階の展望風呂です。

HPから拝借いたしました。実際は滑り止めのマットが長く敷いてあります。

陽が登ると、辺りの景色や建物の配置などが分かります。

ここでバイキング形式の朝食です。

先ずはコーヒーをゆっくりといただき、その後トレーを持って出陣です。

やはり水戸納豆をチョイスしました。

腸に良いと言われてヨーグトを取りに・・・。

もう欲と二人連れで、端からチョイスしてしまいます。

朝食を終えて、館内(庭)を散歩です。

どこのロビーも同じで、地域の名産品が売られています。

意味もなく鐘を鳴らしてみました。

鵜の岬と言われる所以です。

このトンネルの先に鵜の捕獲場があります。

天皇陛下と雅子妃殿下もご覧になったようです。

鵜は冬には九州へ、そして夏は北海道へ回遊するそうです。

その途中で立ち寄るのがこの岬付近とか?

そろそろ時期なのでしょうか?岬に鵜がいます。

ここで捕獲された鵜は、山梨の釜無川や長良川など鵜飼いが行われる日本各地に送られるとのことです。

岩場の吐出している部分に、おとりの鵜を置いて寄ってきた鵜を捕まえるのです。

罠やカギ棒などが展示されていました。

開いているよしづの穴から外を見てみました。

本格的な春になれば、多くの鵜が寄って来るのでしょう。

散歩途中ですが、30cmくらいの段差から飛び降りる?ような場所がありました。

駐車場や芝生を横断した時です。その段差を女房が飛び下りた時に転がって膝を強打し起き上がれない状態になりました。しばらくして立ち上がりましたが、やはり膝を擦りむいていました。ほっとした一瞬です

それからは、手をつないでの散策(安全と介護のため)です。

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宿を出ました。ここからは帰り路になります。

途中、「道の駅常総」か「日立おさかなセンター」を考えましたが、結果帰路につくには近い「日立おさかなセンター」に向かいました。それでも高速道を使っても1時間半の道のりです。

イメージしていたものとは異なって、センター全体が浜焼きの場になっていました。

何か所もある駐車場は満杯です。

同じような店ですが、どこも長蛇の列になっています。

好きな魚貝類をチョイスして丼ぶりに乗せたり、また海老やサザエなどを浜焼きにしています。

凄い賑わいです。これは東京で開店すれば流行るだろうな!と思いました。

楽しそうな場所です。お腹が空いていれば立ち寄ることも良いのでしょう。

持ち帰るような魚類など買い求めて発泡スチロールに入れて帰宅しました。

途中、小腹も空いたのでMORIYAサービスエリアで休憩です。

ハンバーグをいただいて(少し休憩して)、外環道に入りました。

往復約400kmの小さな(1泊)旅でした。

4時過ぎには帰宅でき、夕食はサザエやマグロの中トロなどを美味しくいただきました。近ければまた行きたい場所です。

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茨城県への小さな旅でしたが、いろいろな方のお世話になりました。

茨城県民の特性が紹介されていました。

関東の北部に位置する茨城は、徳川御三家である水戸藩の御家元です。

「水戸黄門」が有名な茨城県民は、ドラマで見る黄門様の穏やかな雰囲気とは違い、荒々しく、短気な人が多いと言われています

関東の中ではなまりがきついので、普通に話をしていても誤解されることもあるのかもしれませんと・・・。

茨城には「水戸っぽ」という言葉があります

これは「水戸の人らしい」と言う意味で、「怒りっぽい、飽きっぽい、忘れっぽい」3つの「ぽい」を現します。と書かれていました。

*そんなことは、全く感じない茨城県でした。ただ交通ルールはあるかも知れません。交差点でも少し隙間があると右折してくる車が多かったですね。

しかし、国民宿舎鵜の岬のもてなしにも感謝です。

道中、道が分からず地元の方にもお聞きし、丁寧にお教えいただきました

また、茨城県水戸土木事務所の偕楽園公園センター方々にもです

特に、メールでご丁寧にご案内いただいたご担当のY山さんにも感謝申し上げます。大変参考になりました!

もてなし・やさしさ・親切丁寧も茨城県民の特性だと思います。

 

Hiro


国民宿舎 「鵜の岬」

2024年01月12日 | なかま道志ベース

これからご照会するのが、国民宿舎で全国ナンバー1の「鵜の岬」です。

東京を出て200kmくらい運転していたのでしょうか?

やはり、茨城県の広さを感じます。

女房の知り合いが、”茨城県の鵜の岬国民宿舎に行って来て良かったわよ!”言われて、さっそく電話予約をして見るとすべて満室とのことでしたが、運よく(普段の行いが良いのか?)キャンセルがあり宿泊することが出来ました。

前述しましたが、電話の中で1月5日~6日(1泊)はたまたまキャンセルがあるとのことで、女房も正月休み中なので即予約したとのことです。

そんなに 人気のある国民宿舎鵜の岬とは思いませんでした。県内の方も行ったことが無いとか、よく取れましたね?と仰っています。

この宿が取れたと聞いたのは後日のことでした。(決済権はいつも女房です)

普段なら一泊2食付きで1万4千円くらいですが、正月料金でもう少し高かったようです。*きっと食事代も高かったのかも知れません。

3カ月先まで予約が取れない人気の国民宿舎「鵜の岬」ようです。

聞くところによると国民宿舎では20数年、常にナンバーワンとのことでした。

たしかに、リゾートホテルやそれなりのホテルの接客(おもてなし)を感じますが、鵜の岬はそれ以上かも知れません。

私たちは和室タイプで、こんな感じです。

あまり、他の宿とは変わらないようにも思えます。

東京からですと、9時半ごろに家を出て昼に牛久沼の鰻屋さんで昼食、その後水戸偕楽園により、そしてこの鵜ノ崎国民宿舎には夕刻の5時に到着です。

片道約200kmの走行ですので、私にとってはちょっと遠い感がありました。

ひと風呂浴びて、6時からの夕食です。

せっかくなので、美味しいものを食べたいとAコースを注文していたそうです。

こんなご膳になっていました。

どこからご紹介して良いのか分かりません。パチリした順番です。

せいろ蒸しかな?

常総牛のすき焼きとご説明がありました。

あとはメニューを参考にしてください。

普段なら2~3品の粗食に心がけていますが・・・。

どれも美味しくいただきます。まぁ~この日はいいか!です。

料理の画像が多過ぎますね。

Aコースでなく下げて、Cコースでも良いくらいです。

揚げたての常磐沖目光唐揚げです。これも美味しい!(ほんとに!)

地酒味比べです。最初の一杯目はフルーティーで美味しい酒だと思いましたが、会話に夢中になり あとはどれも同じように感じて、よく味わっていませんでした。

〆のデザートです。

料理長は清水 勝巳氏です。

食事中(長い時間)は、比較的会話の多い夫婦だと思いますが、いろいろなことを話しましたね。

今までのことこれからのこと健康(ボケやダンスも)のことも、その他諸々です。両方の親も他界しました。もう親に甘えることはできません。

一番楽しいのは食事はもちろんですが、この会話がもっとも楽しいの時間かと思いました。

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部屋に戻ると布団敷かれていました。入室して布団を敷かさせていただきましたと添え書きもありました。
*退室の際は、その添え書きに「快適な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございます」と記して置きました。

鵜の岬では、布団敷きの際に、お客さんの靴を磨くのが昔から伝統のようです。

「靴磨き?」と思うかもしれませんが、そこには、「自分の家に大切なお客様が来たときのような気持ちで、おもてなしをする」という、このサービスを始めた元総支配人のモットーがあるとのことです。

そのおもてなし心が、人気の宿になっているのでしょう。

翌朝ですが岬に鵜がいました・・・。
 
帰宅の途は、次回ご照会いたします
 
 
Hiro

水戸偕楽園と好文亭

2024年01月11日 | なかま道志ベース

牛久沼のほとりで美味し鰻をいただき、次に目指すのは水戸の偕楽園です。

この紋所が目に入らぬか~。控えおろ~!が名文句ですね。

事前に県の偕楽園公園センターにメールをして、伺う日に開園しているかをお聞きしました。するとご親切にも担当の方より茨城県の観光などもお教えいただきました。

>偕楽園は年中無休で開園しております。(好文亭のみ、12/29~31は休館となります)

併せて、偕楽園と対の施設、弘道館も是非ご覧ください。

茨城県の観光ですが、水戸からは、(山沿い方面)・常陸太田市の秋蕎麦(けんちん蕎麦)・西山荘・竜神大橋でバンジージャンプ(茨城県知事も飛びました)

時間がございましたら、袋田の滝(少し遠いのですが、大子町にあります。厳冬期には氷瀑が見られます)

→鵜の岬→(海岸方面)・日立おさかなセンター・・・。(中略)

よろしければ、茨城県観光物産協会のHPもご覧ください。

https://www.ibarakiguide.jp/site/search_course_results.html

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 茨城県水戸土木事務所

 偕楽園公園センター Y山さん

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メールと電話をいただきましたので、丁寧にご案内いただいたY山さんにお礼を言いたくて、隣接する土木事務所に伺いました。Y山さんは不在でしたが、他の職員の方よりいろいろとご説明いただきました。

広大な偕楽園ですのであちこちに駐車場はありますが、近い駐車場と道順もお教えいただきました。

東門近くの有料の駐車場が良いとのことでした。有料の表示がありましたが何故か無料でした。

ただ、道が複雑に交差しており、間違えてこどもスポーツ子ども園?の方に行ってしまい地元の方にお聞きし、戻ったのですがまた東門の入口が分からず大きく偕楽園を一周いたしました。

なんとか駐車場にたどり着き、先ずは常磐神社にご参拝です。

さすが歴史ある境内です。

女房がお賽銭を投げ込んでいるすきに、私も手を合わせました。

願いごとは健康(ボケ防止)でありますようにです。

神拝詞です。

祓い給ひ・清め給へ・守り給ひ・幸(さきは)へ給への三唱です。

おみくじを引き(小吉いつもです)、お守りを買い求めました。

暮れから正月三が日は、大変な混雑だと巫女さんが仰っていました。

好文亭の場所をお聞きしたところ、若い巫男(アルバイトの高校生)が門までご案内いただきました。

ちなみに、昔は男性は巫(かんなぎ)と言って、女性を巫女(かんなめ)と言うようです。今は男性は禰宜(ねぎ)。女性を巫女(みこ)と呼ばれるそうです。

梅の名所ですので、2~3月に向けて剪定作業をしています。

見晴亭?

荘厳で歴史のある茶室のしつらえです。何度か焼失していますが、復元されていました。

つつじの古木柱(屋久島産)と説明があったのはこの場所かと思います。

ふすま画には驚かされました。もちろん造りもです。

殿奥が利用した本間や、控えの僧侶の部屋もあります。

また、侍従の部屋までありました。

障子の向こうで佇む見学者をパチリしました。

この床の間も凄い!今では宮大工くらいで、こんなしつらえは出来ないかと思います。

蹲(つくばい)も灯篭も、似たものが我が家にもあります

我が家も古い家ですが、どうするか迷っていました。

手入れして、古きものの良さを再構築しようかと思い始めました。

昔の食事処なのでしょう。(現在はこんな素敵なラウンジ?になっています)

板戸や天井などを見ていると、関係者なのでしょうか?いろいろとご説明してくれました。

漆塗りの床・すどうし仕掛けの障子・料理人がふすまの取っ手金具から覗ける仕組みも・・・。

取っ手金具が半分に開き、中の様子(食事の進み具合)を伺えるようになっているのです。これが日本の文化(おもてなし)なの真髄なのでしょう。

立派な板戸も何枚もありました。

いやぁ~海外旅行も良いのですが、日本の歴史や建物のすばらしさを知らない自分がいます。

また、機会を作ってここだけでも、もう一度見たい場所に感じます。

早咲きの寒桜でしょうか?咲き始めています。

さすが、水戸藩の力強さを感じます。

お庭も丁寧に整備されています。

海外の方をお連れしたらきっと驚らかれる場所だと思います。

水戸藩第九代藩主「徳川斉昭」(1800~1860)

偕楽園創設の理念

「一張一弛」(いっちょういつし)

「一張一弛」とは『礼記』にある言葉で、厳しいだけでなく時には緩めて楽しませることも大切であるという教えとありました。

斉昭は、偕楽園と弘道館に数多くの梅を植えて、見るのも良し!そして梅干しにして、軍事や飢餓の際の非常食となることも考えて、領内に広く植樹したとありました。

長くなってスミマセン!

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その後、破魔矢売り場で若い巫男(アルバイトの高校1年生*一見大学生と思ったくらいです)に門までご案内いただいたお礼でご挨拶に売り場に向かいました。

ありがとうと言って「旅行道中交通安全」のステッカーを買い求めました。

笑顔でその高校生は頭を下げていました。

清々しい好青年です。

もう、午後3時は過ぎています。

これから目的地「鵜の岬国民宿舎」に2時間かけて向かいます。

 

Hiro


鰻「鶴舞家」(茨木県牛久沼)

2024年01月10日 | なかま道志ベース

たまたま、昨年の暮れのことですが、女房が知り合いから「鵜の岬の国民宿舎」良いよ!聞いたそうです。

行って見たくなったのでしょう、早速 鵜の岬に電話すると予約でいっぱいとのことです。人気のある国民宿舎でした。

電話に出られた方が、調べてくれて1月5日~6日(1泊)キャンセルが出たそうで、即申し込んだとのことです。

その後、道中での食事や見るところを検索したり、偕楽園が開園しているかも事務所にメールしました。

せっかくですので、昼は大好物の「鰻」にしました。

牛久沼周辺は鰻の名所になっています。

その中で、場所は茨城県龍ケ崎市の牛久沼の見える店を選びました。

「鶴舞家」さんです。

看板に「元祖」を掲げる創業80余年になるお店で老舗のようです。

昼時に付くように、家を出ました。結構走りましたね。

11時45分に到着です。(カーナビ時間は正確でした)

注文して待つ時間も楽しいものです。

もちろん注文を受けから焼くのですから、時間もかかります。

好物の鰻が出てきましたよ!

この照りと味がいいですね!

ご満悦の私です。

肝吸いも、もろ味漬の香の物もいい。

老舗ですので、接客も行き届いています。

「鶴舞家」さんの味はもちろん美味しいのです、湖面のガラスもきれいにしていますね!と女将に伝えました。

そんなところまで気が付いてくれる方は少なくと嬉しいとのことでした。

毎日、従業員総出で拭いているようです。

その後、水戸光圀公の偕楽園に向かいました。

偕楽園のことは、「その2」でご照会いたします。

 

Hiro


粗食がちょうどいい歳になった

2024年01月09日 | なかま道志ベース
朝食です。
今年は喪中でしたのでお節料理も作らず、まぁ~普段の食事生活と変わらない日々になっていました。
 
 
 
 
作ったニジマスの干しものを焼いて大根おろし、そして大根葉を炒めて、玉ねぎとかつお節がおかずです。
 
 
この正月は餅をいただきました。
これも食べつくさなきゃと、餅を焼いて海苔を巻きました。
何故か、これで十分なような気もいたします。
 
 
そして、いつもの塩昆こんぶ茶です。何故か口がサッパリするのです。
もちろん、朝イチにはコーヒーを淹れています。
 
 
こんなモノも飲んでいます。
左側がビフィズス菌が入った腸に良いと書かれたものです。
右側が安らかな睡眠がとれると書かれています。
 
 
ある福祉団体が作った栞です。
読んでいる雑誌に挟んでいます。
 
そう、自転車のサドルを3cm下げました
 
もう、いい格好しては乗れません。安全第一です。
 
 
Hiro

ニジマスの干しモノが得意になった

2024年01月08日 | なかま道志ベース
ニジマスも料理の仕方によっては、いろいろなレシピがありますね。
 
私は道志村の養魚場で、ニジマスの骨抜き半身を何枚もいただきます。
こちらも、女房の作ったイカ飯や作業服の直しなどを頼まれての物々交換です。
 
 
冷凍してありますので、先ずは自然解凍(流している水でも良し)、ぬめりを取るように洗います。
水気をペーパーキッチンなどで拭き取ります。
そして粗塩を振って2時間くらいラップに包んで寝かせます。
 

次に、この粗塩を洗い流します。そして、適度な大きさにカットします。
 
 
また、ペーパーキッチンで水気を取れば、あとは干すだけです。
その前に、塩を軽く振りかけます。
いろいろと試みてみましたが、結局は市販の「アジ塩」が一番よく馴染みました。
 
 
時期や天候によっても異なりますが、夏場は乾きも早く朝に干せば夕方にはできています。
冬場は、一晩は干しても良いのかも知れません。表面が少しベト付くくらいで完成です。
やはり、一番大事なのは塩梅(塩加減)ですね。
それと乾き具合を見て、干している身をひっくりがえすことです。
 
 
出来上がったものは、100均や通販で買い求めた、吸引ポンプの付いた真空パックで冷凍保存します。
ニジマスですので、私はスーパーで売っているチリ産の塩シャケ(甘口)より美味しいかと思います。
差しあげたみなさんから、これは美味しいと言われます。
 
 
余談ですが、道志では家で使い古したイス枠(鋳物製)に原木を加工して、こんなイスも作りました。
このイスは、地元近くのある社会福祉施設の前がバス停になっており、そこに置いて年配の方々に喜ばれているようです。
 
Hiro

蔵の利用法を考えている

2024年01月07日 | なかま道志ベース

古い家です。

今後、どうするか考え中です。

以前古物商(質屋)を営んでいて、それには法的に蔵が必要でした。

今では、空っぽで何も入っていません。

蔵=お宝と想像しがちですが、何もないただの倉庫です。

少し、構造をご照会いたします。

大扉です。

開けるにもダイアルがあり、左に○○番で〇回、右に○○番で〇回、また左に○○番で〇回とありますが、何も入っていないので開けっ放しです。

大扉の厚さは指をいっぱいに広げたくらいです。

そして、厚い鉄製の引き戸があります。

更に風通しの良い引き戸の網戸になっています。

これでは防犯や耐火に優れているかと思います。

蔵の中の照明用スイッチは、こんな古いものです。

窓は一階に一か所。二階に1カ所の二つだけです。

まずはガラス戸(引き戸)

開けると、次に厚い鉄製の引き戸。

次に網戸。

牢屋のような鉄格子。

そして、陽と風を通す分厚い扉になっています。

同じ構造の窓が一階と二階の2か所だけです。

壊すのもいろいろとありますが、使い勝手が分かりません。

自分が書いた軸装や額装の書を飾るとか?昔ならオーディオを置いて音量上げても外には漏れないかと思いますので、そんな方法もあるかな?と思いましたが、その興味も薄れました。

若ければ、何もないこんな雰囲気の中で、お茶でも飲める場所としてもあったのでしょう。今ではそんな気もありません。

「この蔵をどうするか考えているところです」

 

Hiro


茨木県に来ているため お休みします

2024年01月05日 | なかま道志ベース

 

Hiro


銀座でも人形町は下町の風情

2024年01月04日 | なかま道志ベース
 
だいぶ以前ですが、明治座近くの人形町をぶらりしました。

それは女房が経営する仕入れ先が人形町にあって、運転手でお付き合いしました。

用事(仕入れ)が済むまで、コンデジ持って付近をぶらりです。

このレトロ感もいい!

一応は江戸っ子五代目ですが、東京知らずです。

しかし、面白い街ですね。

明治座近くで、銀座からも程遠くない場所ですが落ち着いた下町の雰囲気をかもし出しています。

ほとんど画像だけになります。

昔なつかしい、当時の総理六人衆の瓦せんべいや屋さんです。

お洒落感のある店舗も多い。

 

茶巾、伊達巻き、海苔巻き、穴子と鱒の押し寿司の美味しい店で、芸人さんなどが利用していたこの店も今では閉店しているようです。

きっと、有名店なのでしょう。

立ち呑み「魚平」も入って見たい。

こんな街に住んだら楽しいな!と思うような店がいっぱいです。

今半もあります。

天ぷらで有名な「中山」も・・・。

2022年の天ぷら百名店に選出されている名店。
黒天丼が有名です。孤独のグルメでも紹介されたことがあるようです。

入って見たい店です。

美味しそうなハンバーガーショップに入りました。(いま、あるかは分かりません)

下町の老舗の店が多い中、ランチはハンバーガーにしました。

全体にまとまり感があって、また横丁を歩きたくなる街でした。

しかし、残念ですが老舗と言われる店が閉店・撤退しています。

ご時世の流れを感じます。

これも東京の一部です。でも、道志には道志の良さが沢山あります。

どうしても、小菅村と比較されますが、ある意味では村の施策の明確になっていないような気もいたします。

これが、道志村だと言えばそれきりですが・・・。

 

Hiro

 


喪中の静かな正月

2024年01月03日 | なかま道志ベース

今年は喪中の正月を迎えました。

例年ですと、お節料理やおそとをいただき良き年と健康を願います。

年賀状の整理や獅子舞もやってきます。

お節料理もなく、簡単な新年の食事です。

大晦日はあるものをいただき、出来合いもので普段と変わらぬ簡単な食事で済ませました。

例年なら女房も仕事を持っている中で、お節料理などを作るのが大変だったかと思います。

本来、お節料理は主婦の休養のためであり、台所を取り仕切っている主婦は、普段は非常に忙しく過ごしていますので、正月の三が日くらいはゆっくり休息を取れるようにと、おせちを食べる習慣が始まったといわれています。

おせち料理はどれも保存が効くようにつくられます。元日におせちを食べて、その後2~3日はおせちの残りを食べることで、主婦は休息をとれます。

したがって、我が家でも主婦の休息のためか、正月の箸袋などには名前も書き、自分で片付けていました

いつしか、男連中は酒を飲み、その世話も女性がしていましたね。

私にとっては今年のように静かな正月を迎えて、これが毎年でも良いかな?と思うくらいです。

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暮れにディスクトップが壊れて、買い替えるしかないと思っていました。

常に2台は動かせています。

大晦日に大手家電の正月セールのチラシを見ると、これでも良いかな?と思うノートパソコンがありました。

昨日(元旦の朝)、オープン前に並びました。この品は1番の整理番号です。

セットアップは次男坊にしてもらいました。

あと、ソフトなどは自分でインストールできます。

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その間に、墓参りに行って来ました。四谷の菩提寺です。

住職も病気療養中で、病院から戻り自宅のベットに横たわっていました。(思ったよりお元気です)

お寺より事前に連絡があり、お参りは午後2時過ぎにしてもらえないかとのことです。

住職より、直接話したいことがあるとか・・・。

私はこの寺の筆頭総代(先々代より)を仰せつかっていますが、若き日には嫁さんを探して仲人をしたり、私が兄貴のような存在だったのでしょう。

ベッドのそばで、将来についてもいろいろとお聞きしました。

そして、私と妻には「生前戒名」を付けたいと手書きのモノをいただきました

大変珍しいことですが、もし住職に何かあった場合に私たちに合った戒名にしたかったのでしょう。

その後、次の住職が戒名を付けるのは、私たちが陰ながら功徳を積んだ寺に対する想いが伝わらないと思ったようです。

立派な「生前戒名」でした。住職曰く戒名をいただくことは、俗世から一歩仏の道に入り込んだと同じだとのことですと・・・。

毎日を精進して、健康で人のためになるよう暮らして行かなければならないと、元旦早々に心に残しました。

年初めの出来事でした。

 

Hiro


いろいろとあった75歳の一年

2024年01月02日 | なかま道志ベース

沖縄那覇市の日の出です(7月18日撮影)

はじめに、新年早々に失礼ながら後期高齢者と言われる世代になって、昨年の出来事を時系列で記録したもをご照会いたします。

したがって、内容も個人的なモノで「亡くなる・無くなる・忘れる・探す・壊れる・認知・落ち込み(衰え)など」ネガティブな言葉が並びますが、お許し願います。

① 母は令和4年11月に満100歳となり、総理・知事・市長さんなどから長寿の慶賀状や記念品が届きました。

その母も95歳くらいから令和5年まで施設のお世話になり、穏やかに暮らしていました。

② 3月3日、バイク運転中に飛び出してきた貨物ワゴン車と接触事故に遭遇しました。私は被害者です。

幸い軽傷で済みましたが、その後の保険会社とのやり取りでいろいろとひと悶着もありました。会社名は伏せて置きます。

救急搬送されました。

ケガより加入していたバイク保険会社とのやり取りでかなり疲弊しました。

事故は場面によって異なりますが、こちらに正当性があっても過失割合いがあり私は2で加害者は8となります。

レヴォーグにバイク特約保険も入っていましたので、相手の直し代も2割負担になりますが、全額この特約保険ですみました。

③ 3月10日 結婚50周年(金婚)となりました。

これまでの間、いろいろと本当に良くやってくれた女房です。

感謝のしようもありません。いつまでも健康で仲良く暮らしたいものです。

④ 4月4日 母(行年102歳)で他界する。特に肉親のこのような出来事はかなりの心労になります。

男って、やはり母親に対する想いが強いのでしょうか。75年間も育ててくれたことに感謝です。昨年末には手続き関係も片付き気持ちも少し落ち着いてきました。

⑤ 5月 ノートパソコンが旧型で作動不能となる。いわゆる寿命です。

*やはり、一昨日の話しで、西方のお笑い芸人さんが82歳で老衰で亡くなりましたと報道されていました。この82歳で老衰と言うのがショックです。

⑥ 6月 道志にて剪定作業中にメガネを無くす。(フレームは母の形見を使用し、レンズ交換だけで約5万円相当でした)

自分が道志に行くたびに、そのメガネを探しましたが見つかりません。8月に女房が道志に入って、ものの10分で見つけてくれました。探し物名人です。

作業していた場所の枝に引っかかっていたとのこと。

 時を同じくして、スマホから補聴器にブルートゥースで音楽(電話も)などを聴く接続機器を無くしましました

左側のシルバーの機器です。

現職の頃(25年くらい前)、突発性難聴で会話が聞こえなくなりました。デジタル式の補聴器ですので、両耳だとかなり高額な補聴です。(片手10万円以上です)

耳穴の型を取り、スッポリと入るものです。(ワイデックス社製です)

無くしたこのシルバーの機器(コムデックス)は4万5千円くらいしていました。

大変優れもので、通勤の電車の中では大変便利なもので、車内の騒音をシャットダウンしてくれます。野良作業では音楽を聴きながらです。

*野良作業中に落としたか、家のどこかに置き忘れていたのだろうと思っていました。(結局、道志のタネを入れる箱に入っていました。なぜ、こんなところに入れたのか記憶がありません)

⑧ 7月18日~20日 母の百ヵ日忌も終え、慰労も兼ねて女房と沖縄旅行

私は18歳の時でしたが、返還前の沖縄にパスポート(身分証明書)取って、一人旅をしたことがあります。もう57年前のことです。同じ場所を訪れました。

会社の沖縄支店の同僚が、冷えたビールを飲もうと誘われたのも、沖縄を目的地とした一つです。

⑨ 8月18日 道志に入る。酷暑で熱中症気味になる

雑草との戦い。池の水漏れ補修等で暑いさなか動き回っていました。

朝方の気温です。すでに30度を超えています。

気が付けば呼吸は荒く、ふらつく状態でした。軽度の熱中症状態になっている私です。

⑩ 8月26日 ピロリ菌2回目の除菌検査時に、十二指腸潰瘍が見つかる。(投薬で治療する。その後、ピロリ菌除菌の投薬処置。(結果まだ分からず)

⑪ 10月13日 7回目のコロナワクチン接種

7回もワクチン接種をするとは思ってもいませんでした。

⑫ 10月14日 女房の自転車が壊れ、走行不能になる。新たな自転車を買い求める。

以前のモノは15年くらい乗っていた電動自転車でが、今度のはフルパワーと言って、普通の自転車より軽く走れます。

何でも老朽化による故障はあるものです。同じくして、コンデジにレンズにホコリが入り修理に出しました。修理費も高く、買い替えるかどうか迷ったくらいです。

⑬ 11月5日 友人との一杯会を失念する。駅で待っているとラインあり。翌日気が付く)*平謝りで次回の日程調整

12月8日にお詫びの一杯会実施する。気の合った仲間との一杯がストレス解消になります。

⑭ 12月1~4日 やっと作る気になったウッドデッキ製作に取り掛かりました。

⑮ 12月9日 ついにコタツを導入。結婚して50余年、我が家にはコタツがありませんでした。

⑯ 12月14日 運転免許書更新のため後期高齢者認知機能検査受験(何とか受かる)

4パターンで1パター14図を覚えるのが大変だった。

合格点は36点で、年月日と受験した時間を書けば15点、図を覚える努力は必要なかった。

⑰ 12月24日 ウッドデッキついに完成

構想から半年以上かけて、やっと完成したウッドデッキです。これが最後の大仕事になるのでしょう。

凍てつく道志です。ボート池も氷で張り付いています。朝の気温はマイナス6度でした。

⑱ 12月26日 同じく自動車教習所にて認知症と事故に関する学科と実車講習を受ける。

シニアドライバー用の教本渡される

⑲ 12月29日 母の遺産分割がほぼ終了する

分割協議書作成にあたって会計士にお願いしていたが、会計士と司法書士の役割も分からなかったため、書類の内容等で困惑していたのも事実。

姉・妹・私の間では、トラブルなども無く、手続きに沿って終了しました。あとは相続税の払い込みです。

⑳ 12月31日 大晦日にバイク修理をお願いするため出かける。

もう乗らないかと思った、ホンダスパーカブ70ccですが、知り合いの材木屋さんが大変器用で、正月休みを利用して直してくれるとで持ち込みました。

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前述しましたように、昨年の出来事でした。

個人的な内容で大変失礼いたしました。

きっと、みなさま方に置かれましても、いろいろあった年かと思います。

世界情勢や国内外の事件は別にして、団塊の世代はいろいろな出来事が発生し、それにぶち当たって行かなければなりません。

近所や友人でも、他界したり認知症の方も多くなりました。私自身こんな筈じゃないと思いながらも、衰えを感じています。

しかし、ここがターニングポイントで昨年の反省も含み、気持ちと努力次第で次の人生が待っていることに期待して、新年を迎えました。

喪中のため、お節などは無く質素な大晦日と元旦を迎えました。

時代は変わってきました。もうお節などもいらないような気もいたします。

 

Hiro


粗食

2024年01月01日 | なかま道志ベース

2024年(令和6年)になりました。

国内外とも、どんな一年になるのでしょうか?

不安材料が山積しています。

今年は喪中ですので、正月飾りや元旦の祝い事は行いませんでした。

それでも、蕎麦や雑煮はいただきました。

年越し蕎麦と出来合いの天ぷらです。

例年ですと、お節やお屠蘇で正月を祝っていました。

大晦日と正月は全くの粗食です。

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昨年暮れだったと思います。次男坊がどこからか買ってきた海苔のふりかけです。

いま、ちまたで流行っているようですが・・・。

マネっこして見ました。

山芋の千切り

昨夜の残り、肉じゃがです。

そして、みそ汁・・・。

こんな朝食ですが、どれも美味しくいただきました。

道志も寒いだろうなぁ~と思います。

 

Hiro