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還るということ ーそして、私たちは愛に帰るー

2009年12月03日 | 映画
「そして、私たちは愛に帰る」 2007/ドイツ・トルコ
    監督・脚本 ファティ・アキン
見事な脚本です
2007/カンヌで最優秀脚本賞受賞。



”国内に多くのトルコ系移民を抱えるドイツとEU加盟問題に揺れるトルコ、
そんな両国の社会情勢を背景に、ドイツとトルコにまたがって絡み合う3組
の親子の葛藤と絆を綴るヒューマン・ドラマ・・・”
                     -オールシネマよりー

息子を一人で育てあげたトルコ人の初老の父親と教授の息子。
トルコ人の娼婦と政治活動をしてトルコを追われたその娘。
ドイツ人の母親とその娘の学生。
この3組の親子それそれ6人がリンクしストーリーが展開していく。

まず舞台はドイツ。
同郷(トルコ)の娼婦と出会った父親は、娼婦の稼ぎの同額を支払うという
条件で同居を求める。大学教授の息子ネジャット(バーキ・ダヴラク)はそんな
父親を感情を押さえ冷静に対処するように努めている。
息子は娼婦との対話でその抱えている状況を知ることになる。
最愛の娘のために学費を稼ぐ必要があり、そのためには娼婦をも厭わない
という姿勢に微塵の揺らぎがない。この人の常に口元をきつく引き締めて
いる表情が印象的だ。
やがて、同居するうちにある諍いが原因で父親は娼婦を危めてしまう。
思わぬ結果で罪を負ってしまった父親は刑期を終え故郷へ戻る。
息子は父を案じトルコへ訪ねてみるのだが、そこで新たな展開がある。
感じの良い書籍を売る店舗が売りに出ていて、息子はこの店舗を購入する
ことにし、教授職を辞めここで居を構えることを決心する。
この過程は唐突ではなくいささかも奇を衒った感じはない。
”導かれた”という感がある。そんな雰囲気がこの書店の内装にある。
(こんな書店があったら度々通いたい。好ましき雑多感!)↓



娘アイテン(ヌルギュル・イエシルチャイ)は政治活動(テロリスト)をしてトルコを
追われている。そんな追われる生活の中、ドイツ人の女学生ロッテ
(パトリシア・ジオクロースカ)と出会う。
女学生はアイテンの持つ独特の強さ危うさに惹かれていく。


女学生の母(ハンナ・シグラ)はこんな二人を危惧して見ている。
リベラルな風情をもつこの母親は、トルコの問題はEU加盟で解決できる
と説くのだが、気持ちの固いアイテンとは平行線のまま交わることがない。
やがて、この母親の危惧は現実のものとして表れる。
娘がアイテンの依頼で活動中に誤って撃たれてしまう。
悲嘆に暮れた母親は娘が撃たれたトルコへ向かう。

娘が一時部屋をレンタルしていたのはあの元教授ネジャットの家。
そんな経緯で母親とネジャットは出逢うことになる。
二人には共有できる感情がある(根に同じものを持っている)
それぞれの人生を経て、人の繋がりを得て、巡りめぐって
辿り着いた二人(いや、3人)。男女の仲という括りではなく、人が生きる
道で出会うべき人と会ったのだ。
この場所で母親は娘の描いた思いを知ることになる。
娘が賭したアイテンを救い出し、お互いの理解を得て再会した場所は、
今はネジャットが経営するあの店だ。
こういうシーン作りがとても上手い。
例えば、母親とネジャットが部屋の窓から眺めるその目線の先には
モスクに祈りに向かう人々が石階段を降りてくるシーン(画像参照)も
示唆的だ。


息子ネジャットとドイツ人の母親の静かな演技がとてもいい。
激情で人を傷つけないように抑制する自制心。
悼んでいる人に語りかけるきっかけを託す短い言葉。
哀しみと許しを讃え豊かに感情を伝えてくる。










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