ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、四年半使用し続けた、グリチルリチン酸配合のATPリピットゲルを中止。リバウンド体験中。

改めて自己紹介

2010年09月20日 14時34分18秒 | 自己紹介

2009年9月14日より、四年半使用し続けた、グリチルリチン酸配合のATPリピットゲルを中止し、2009年10月13日より脱保湿開始しました。

ステロイド並みのリバウンドを体験中ですが、現在は大分良くなってきました。
(ステロイドからの離脱よりは少しマシかも)

ステロイド剤からのリバウンドは、過去に体験済み。
二十歳の時、四年間顔に使い続けたベトネベートN軟膏をストップし、壮絶なリバウンドを経験しました。

最近、リウマチの初期症状のようなものが現れてきてます。

現在の私の生き方のモットーは、できるだけ西洋薬、漢方薬を使わず、自然治癒を目指すこと。
特に、ホルモンや免疫に作用する薬、抗炎症剤などは、西洋薬、漢方薬、サプリ、薬草にかかわらず、避けなければならないと思っております。

サプリもできるだけ使わず、体に悪い、添加物やトランス脂肪酸をなるべく避けること。
(サプリや漢方薬には、食べ物として相応しくないものが入っていたり、食べ物でも内容を濃くしたものが入っていたりするため)

なるべく毎日ヨガをやり、食事の量、睡眠、休憩などは、体に聞きながら行うこと、などです。


毎日の入浴で行うこと

2010年09月16日 11時30分11秒 | 自己紹介

グリチルリチン酸入りのATPゲルをやめてから、顔も体も痒くなり、お風呂に入りながら毎日体を掻いて、垢を出しております。

まず、背中の届く範囲を手で掻きます。
垢が出たり、時にはブツブツの部分から出血したりします。
届かないところは、背中掻き棒で掻きます。

次に腰を掻きます。

その後、胸と首を掻きます。
どちらも垢がボロボロと出ます。
胸は、以前ひどいときは、ブツブツの部分から出血したし、出血しない時でも、掻くと血の匂いがしました。

そして、首の後ろと、うなじ、髪の生え際から後頭部も掻きます。
背骨の部分からは、たまに出血することがあります。

あとは、体の痒い部分、腕や足も、時々掻いて垢を出します。

お風呂からあがったら、顔も掻きます。
おでこは普通の力で掻き、顔は、耳から
顎のラインの幅5㎝くらいは普通の力で掻き、その他の部分は、指一本で軽く掻きます。

掻くと、全身すっきりさわやかになります。


アトピー人生

2010年08月02日 17時36分46秒 | 自己紹介

幼稚園と小学校の時は、毎年冬になると、右ひじに直径5センチ位の円形の湿疹が出て、冬の間は汁がたくさん出ましたが、夏になると何も塗らなくとも自然に治ってました。

六年生の時、自分で皮膚科に行き、ステロイド軟こうをもらってきて、それ以来肘に湿疹が出たらそのステロイド軟こうを塗るようになりました。
でも、数回塗れば、後は塗らなくとも治ってきて、夏の間は塗らずに過ごせました。

中学生時代は、顔の赤ニキビに悩まされました。
そのため、とても引っ込み思案な性格となり、恋愛にも消極的でしたし、周りの友達からも、「あの顔でねぇ」などと言われているようでした。


高校一年の夏に、顔が爆発しました。
それまで、顔にはステロイド剤など塗ったことはありません。
ブツブツと汁が出て、とても学校に行ける状態ではなく、薬局から買ったベトネベートN軟膏を塗り続けました。

最初は赤ちゃんのような美しい肌になりましたが、使い続けるうちに、だんだんと効かなくなり、赤ら顔で汚い肌となって行きました。
それに、すごく食欲があり、太って、青春や恋愛とは程遠い状態でした。

社会人一年生となったある日、ある雑誌のステロイド剤の副作用の記事を読み、ステロイド剤を止める決意をしました。
しばらくして、ものすごいリバウンドがやってきました。
あまりのひどさに、皮膚科に行き、非ステロイド剤をもらい塗ったら落ち着きましたが、こんなことをやっても、アトピーを押さえるにすぎないと気が付き、その非ステロイド剤も止め、汁が出るのにまかせました。
ただし、オリーブオイルと化粧水、粉おしろいはつけてました。

お風呂で顔をこすると、ものすごい大量の垢が落ち、その後、汁が大量に出て、ティッシュで何度も何度も拭きました。
顔は赤くすごく腫れ、痒みでものすごい状態。
顔の毛穴からは、押せば押すほど脂肪がニュルニュルと出てきます。
そのころから、毎日全身にものすごい蕁麻疹が出るようになり、痒くて会社のトイレで掻いておりました。

それでも、一日たりとも会社を休むことなく行きました。

案の錠、社内いじめの対象にされたと思います。
「ブス」とからかわれました。
それでも友達はいたので、めげずに出社しました。

そんなこんなで、二年が過ぎるころには、離脱症状もだいぶ治まりましたが、顔はもと通りにはなかなかなりませんでした。
こんな状態ですから、周りの友達や同僚たちが、彼氏と付き合ったり華やかに青春してるというのに、自分は彼氏ができるわけもなく、一人毎日会社と家の往復を繰り返しました。

離脱して三年を過ぎるころ、また軽い悪化がありましたが、それも通り過ぎ、かなり落ち着いてきました。
しかし、顔はもとには戻りませんし、ニキビ跡がボコボコと残っておりました。

そんな私でも、ある人の紹介で結婚することができました。
その後は、アトピーは落ち着き、一人目の子が生まれました。
その子はとても肌の綺麗な子でした。
高校二年までは。

そして、二人目の子が生まれましたが、この子は生まれてすぐにアトピーが出て、皮膚科にかかり、ステロイドとワセリンを混ぜたものを塗ったりしておりました。
でも、薬は使いたくなかったので、それも数カ月で止めたら、子供の体から汁が大量に出るようになり、痒がって夜中に泣き、何度もさすって掻いてあげなくてはならなくなりました。

そんなことを続けておりましたから、自分の体調もどんどん悪化していき、パニック障害、不眠症、胃炎となってしまいました。
そして、現在も不眠症は治っておりません。

二人目の子が四歳のころに、顔のアトピーに、ロコイド軟膏を半年塗り続けて効かなくなり、リンデロンもあまり効かなくなり、あんなにステロイドで苦しんだのに、子供に対してなんてバカなことをしてしまったんだろうと自分を責めました。

そして、思い切って子供もステロイドから離脱しました。
真っ赤な顔と血と汁ですごい顔になってしまいましたが、幼稚園には行かせました。
おそらく、子供もかなりみんなからいじめられたと思います。
でも、子供は離脱も早いようで、三か月過ぎるころからどんどん良くなってきました。
お風呂には一日二回は入れてましたが。

二人目の子のリバウンドがようやく落ち着いたころ、自分の顔のアトピーが少し悪化してきました。
頬から汁が出るようになりました。
自然からできたと言われる化粧品は使ってましたが、それを止めて、手作りの化粧水をつけたりしておりました。
汁は数カ月は出ておりましたが、そのうち出ないようになりました。

そして、手作り化粧水で落ち着いてた肌に、もっと化粧乗りがよくなるものはないかと探していたところへ、突然の上の子のアトピー発症。
顔にブツブツが出て、汁がものすごく出て、とても学校に行けるような状態ではありませんでした。
アズノール軟膏を三カ月塗り、落ち着き、その後アトピー肌用のグリチルリチン酸入りのゲルを見つけ、自分も子供と一緒に使うようになりました。

子供の方はゲルは自然と止めてしまいましたが、私はせっせと毎日四年も塗り続けてしまいました。
そして、ゲルからの離脱で、ものすごい状態となり、おでこから汁が止まらず、その汁が固まって、一時期、まるでお岩さんのようなおでこになりましたが、ゲルを止めて10カ月たった今は、このように顔も掻くことができるくらいにまで回復してきております。

私の今までの人生は、まさにアトピーに翻弄され続けているのです。
同じように、子供たちもアトピーによって失っているものがたくさんあるようです。
上の子は、学校を一年休んだ上に、転校となりましたし、下の子も、顔と手のアトピーが良くなったり悪くなったりを繰り返し、私には言いませんが学校で汚いといじめられたことと思います。
子供と手をつなぐのが嫌だと言われたとか。

しょうがないのです。
子供は正直ですから。
誰だって、ブツブツが出てる手の人と、手をつなぎたいとは思わないのです。

子供たちには、絶対にステロイド剤と免疫抑制剤とグリチルリチン酸は使っちゃいけないと念を押しておりますが、友達からは「なんで医者に行かないの?」と言われたりするそうです。

そのうち子供たちも独立し、自分の意思でアトピーと戦うことになると思います。
私がしてやれたことは、子供にステロイド剤を使わないことでした。
(下の子には数カ月使ってしまいましたが。)
今後、私がいなくなり、子供が自分の考えでアトピーにステロイドを使って痛い思いをするかもしれません。
痛い思いをしないとわからないことってありますから。

私のようにアトピーを薬を使わずに自然治癒で治そうとすれば、数ヶ月間は見た目も悪くなり、青春が無くなったり、他人からいじめられたりします。
それでも、ステロイド剤からのリバウンドと比べれば、すごく軽いものです。

でも、アトピーの場合、薬を使って普通の人のように外見を綺麗な状態に保ち続けるというのは、いつか必ず破綻すると思います。
ホルモン剤、免疫抑制剤は、どんどん効かなくなる薬であり、最後にはステロイドの点滴さえも効かなくなるからです。


グリチルリチン酸入りゲルをやめてからの顔の状態の変化

2010年06月06日 16時19分15秒 | 自己紹介

2009年の夏
ATPゲル(グリチルリチン酸入り)をやめて、一ヶ月くらいソンバーユを使い続けましたが

お風呂でこすると皮がボロボロと取れ、それを繰り返していたら顔が真っ赤に腫れあがり、こすった部分(主に耳から顎のライン)からは汁が出て、シミになりました。
あまりのひどさに、こするのをやめても、耳から顎のラインからは汁が出て、毎日大量に皮がむけました。

2009年の秋
顔じゅう、ものすごい痒みに耐え切れず、耳からおでこのラインはシミができ、掻かなくても汁が少し出るようになりました。
そのため、耳からおでこのラインを掻くようにしたら、汁がダラダラ出ました。
それでも、おでこの痒みに耐え切れず、おでこ全体を掻くようにしたら、おでこが真っ赤になり、おでこ全体から汁がダラダラ出るようになりました。

2010年の冬
あまりにひどい状態になったため、顔全体を掻くのを中止して、ウナクールを塗って、我慢しました。
おでこからは、毎日皮が大量にむけました。

2010の春
顔は絶対にいじらなかったため、顔からの脱皮はほぼなくなりましたが、地獄の痒みがあり、買い物も辛いほどでした。
それに、いじらないのに、風呂上がりに頬がガサガサし、細かく皮がむけてきて、頬全体が赤くなり、少し汁が出るようになりました。

このままでは治らないと思い、耳から顎のライン、耳からおでこのラインと眉毛、全体として顔の三分の一を掻いて皮をむくようにしました。
どんどんひっかいて皮をむいていくと、血や汁が少し出て、赤い点々ができます。
しかし、去年のようにダラダラにはなりません。

そして、顔の他の部分も、痒いときは軽く掻くようにしましたが、悪化しないようになってきました。
むしろ、良くなってきております。
しかし、掻くと、まだ少し蕁麻疹状になります。

※グリチルリチン酸入りゲルをやめると、肌が蕁麻疹状になります。
 ものすごい痒みがおこります。
ちょっとでも掻くと、掻いた部分が赤く腫れあがり、グリチルリチン酸入りゲルをやめて数ヶ月間は、汁が出ます。
 
それに、私の場合は、グリチルリチン酸入りゲルをやめてから、顔だけではなく、体のあちこちに湿疹が広がりました。
このように、グリチルリチン酸入りゲルは化粧品なのに全身に作用する怖いものでした。
ステロイド剤よりはましかもしれませんが、やはりステロイド剤からの離脱と似ております。


私の自律神経失調症の経過

2010年04月08日 12時44分27秒 | 自己紹介

私の自律神経失調症の経過

1994年
連日、食欲あまり無い。
連日、睡眠、一日二、三時間しか取れない。
夜中に、心臓がバクバクして寝られない。

長距離のドライブ中に、助手席でパニック発作。
なんとか治まるが、遊園地で子供が迷子になり、またパニック発作的になり、歩けなくなる。

家にいて、過呼吸発作。
病院に行き、点滴してもらう。

一か月に一度くらいのペースで風邪をひき、熱を出す。

1995年
家の外壁の塗り替えで、その臭いに気持ち悪くなる。
実家に避難しようとして子どもと車で出かけたが、10分くらい走ったところでパニック発作起こす。
コンビニに寄り、休憩し、なんとか家にたどり着く。
病院に行くが、血液検査の結果なんともなしと言われ、帰される。

秋頃、胃腸の具合がかなり悪く、売薬を飲んでも良くならない。
食欲、全く無し。
近くの胃腸科で胃カメラ検査をし、胃炎と言われ、初めて安定剤と抗うつ剤、胃薬を処方される。
しかし、抗うつ剤を飲むと具合が悪くなり、血圧が下がり、三日しか飲めず、あとは飲んでない。

家にいてパニック発作を起こし、胃腸科で注射してもらったら、良くなる。

運転、五分もできない。
100メートルが歩けない。
電話で話するのも苦しい。

飲んでた薬は、デパスが朝と夜、レンドルミン半分はほぼ毎日。

1996年
実家に半年くらい子どもと里帰りする。
実家の近くの病院で、デパスがソラナックスに変わる。

子どもと電車で里帰りした時に、電車の中でパニック発作になり、頓服の安定剤を飲むが、効いてくるまで苦しい思いをする。

食欲、あったりなかったり。
薬は、ソラナックス朝と夕、レンドルミンは眠れないときのみ。

1997年~1998年
家にいて、まあまあ普通の生活に戻る。
パニック発作はほとんど起きなくなる、というか、自分を追い込むとパニック発作が起こることがわかり、自分である程度コントロール可能となる。

薬はソラナックスからコンスタンに変更になり、コンスタンも夜だけ一錠で大丈夫な日がでてくる。
夜も眠れないときのみレンドルミン半分。

1999年
実験的にコンスタンを徐々に減量し、カイバホジンガンを飲みつつ、コンスタン無しでも眠れるようになり、全く安定剤と睡眠薬を飲まない日々が一年くらい続く。
しかし、友達とのランチが辛くて、コンスタン再開。
結局、睡眠がうまくとれなかったり、体調悪化したため、毎日コンスタンを飲むことになる。
カイバホジンガンは怪しげな薬のため、中止。

パートで三ヶ月くらい働くが、だんだんと食欲がなくなり、最後にはほとんど食べられなくなり退社する。
その後食欲が戻るのに、時間がかかる。
再開した薬は前年と同じ。

2000年
パートの仕事を一ヶ月くらいするが、またもや食欲がなくなり辞める。
薬は前年と同じ。


2001年
また別のところで三ヶ月くらいパートで働くが、熱が出たり、胃腸の具合が悪くなり退社する。
そこの会社の人から、辞める時に自律神経失調症を隠していたことに対し、散々嫌味を言われる。

薬は前年と同じ。
漢方薬のハンゲコウボクトウを飲み始める。

2002年~2003年
またまた別の会社でパートとして働く。
割と自分の自由がきき、なんとか一年半働いたが、会社の方で店舗を閉鎖することになり解雇される。

薬は前年と同じ。

2003年~2008年
まあまあ、普通の生活を送っていられる。
ときどき食欲がなくなったりするが、段々とまた戻ってきたりする。

旅行に行くと、必ず眠れなくなり、レンドルミンは必需品。
旅行などで疲れると、胃腸の具合が悪くなる。

薬は、コンスタン、ほぼ毎日夜一錠くらいでなんとかなっている。
ただし、友達とのランチなどで息が苦しくなったり、フラフラしたりするので、その時はコンスタン半分か一錠追加。
夜は、めったに飲まないが、頓服としてレンドルミン半分常備。
しかし、たまに旅行でなくても眠れなくなることあり、レンドルミンは数カ月に一度は処方してもらう。

歯医者に行く時は、必ずコンスタン一錠飲んで行くのだが、心臓バクバクが治まらない時があり、治療中苦しい思いをすることがある。

運転は、一人でも20分くらいはできるようになり、電車も40分くらいは一人で乗ることができるようになる。
しかし、たまに電車の中で体調が悪くなることあり。

風邪は一年に一度か二度くらいひく。

2009年~2010年
夫の母、認知症となり、介護がスタート。
子供に協力してもらいつつ、なんとか毎日を過ごす。
毎日のデイサービスの送り迎えも、なんとかこなす。

薬は前年とほぼ同じ。

疲れると、胃腸の具合が悪くなり、食欲がなくなる。
しかし、風邪は全くひかず、熱も出ない。

いまだに苦手なものは、高速道路の渋滞、長いトンネル、立ち話、授業参観、散歩、一人でのドライブ、一人での電車など。


アトピーとの戦い

2009年11月04日 10時46分35秒 | 自己紹介

二人目の子は、生まれてすぐにアトピーになり、全身ぐちゃぐちゃに汁が出たりしておりましたが、ステロイド剤はほとんど使わずにおりました。
しかし、4歳の時、顔がちょっと悪化してしまったため、医者に行ったらロコイド軟膏を処方され、それを半年使い続けて、効かなくなってしまいました。

どんなにロコイドを塗っても、どんどん顔は悪化するばかり。
他の医者に連れてったら、
「なんで、きちんと医者にかからないんだ。だから治らないんだ。この子は、重症だから、アトピーは治らない。一生付き合っていかなくてはならない。」
と突き放されました。

別の医者に連れて行ったら、顔から全身にリンデロンを塗られ、全身包帯でぐるぐる巻きにされ、医者からこう言われました。
「もし、これでアトピーが良くならなかったら入院だからね。」
私はがっかりして、子供を家に連れて帰り、お風呂で塗られたステロイド剤を石鹸で洗い落し、2度とその医者には連れていきれませんでした。

もう、どの皮膚科にも、連れて行きたくありませんでした。
ただ、感染症が怖いので、感染しているように思うときは、以前小児科からもらっておいた抗生物質を飲ませたりしてました。
とにかく清潔が一番と、お風呂には1日2回入れて消毒したりして頑張りましたら、3ヶ月くらいで全身がほとんど綺麗になってしまいました。


上の子は、高校生の時、突然アトピーになり、顔から汁が出て、皮がボロボロはがれてきて、湿疹は体の方にも広がりものすごい状態になりました。
もちろん、学校には行けません。
学校の先生に言われました。
「こんなにひどいのに、なぜ、入院させないのですか?入院すればすぐに良くなるのに」
人事だと思って、よくもそんなことが言えたものです。
入院すれば、ステロイド治療しかないのです。
そんなことをして、子供の一生を棒に振るわけにはいきません。

でも、上の子のアトピーはなかなか治らず、子供も学校を休み、引き籠る日々が続きました。
それでも、アトピーを発症して3か月が過ぎたころから、パッと見、少しニキビが出てるくらいに回復しましたが、以前の卵肌には戻れず、高校生という多感な年ごろのためか、学校にはなかなか行こうとしませんでした。
行けば行けたのに、それができなかったのは、子供にも責任がありますが、休めば休むほど、学校には行けなくなるし、みんなが好奇の目で見るので、よほど精神力を強く持っていかないと、学校には行けません。

そういうわけで、子供は1年遅れで別の学校に転校となってしまいましたが、ステロイド剤を使わなかったおかげで、今ではアトピーはほとんど治り、友達とどこにでも出かけていきます。

アトピーの子供を持ち、皮膚科にも連れて行かず、ひどい状態にさせておけば、周りのお母さんから白い目で見られたり、噂されたり、学校の先生からも医者に行くように勧められたり、義母や義父にまで医者に連れていくように強要されたりします。
親戚の人たちからも、さんざん嫌味を言われました。
「あんた、馬鹿じゃないのか」って。

一番ひどいのは皮膚科の先生です。
「こんなにひどい状態にしたのは、お母さんが悪いからです。」
と、はっきり言い切ります。

でも、負けてはなりません。
子供を守るためには、人からなんと言われようと、馬鹿と言われようと、絶対にステロイド剤を使ってはならないのです。
使えば、後々、子供が苦しむことになるからです。

アトピーは、何も塗らないで、清潔にしておけば、日にちはかかりますが、必ず良くなっていくものだからです。


私のアトピー体験談

2009年09月01日 12時44分10秒 | 自己紹介

私がアトピーになったのは、幼稚園の頃に打った予防接種の後でした。
両腕の上の方と両肘にジュクジュクとした痒いものが出て、包帯を巻いてた記憶があります。
薬は何も塗らなかったと思いますが、自然と治りました。

その後、小学生の間は、毎年冬になると、必ず右腕の肘の部分にジュクジュクした痒い皮膚炎が出ました。
子供なので、思い切り掻いてましたから、よく下着に汁がべったりついてましたね。
つけてた薬は、ガマの油みたいな、よくわからない軟膏でしたが、治りませんでしたね。
ただし、きまって7月に入る頃には治ってました。

中学時代は、肘のアトピーは出ませんでしたが、顔ににきびがたくさん出ましたね。

そして、悪夢の高校時代。
一年の夏に、突然顔に赤いぶつぶつが出てきて、おまけに汁まで出てきたのです。
こんな顔では学校に行けないと思い、近所の薬局から「ベトネベートクリーム」というやつを買ってきてつけましたら、三日ほどで赤ちゃんのような肌になったのです。
しかし、そのクリームをやめるとすぐに、また赤いぶつぶつが出てきたので、ずっとクリームを使ってました。
そのクリームがどんなに恐ろしいクリームかも知らず、注意書きを読もうともせず。

最初は綺麗になった顔でしたが、どんどんクリームが効かなくなり、塗る量も増えた割には、段々肌は汚くなっていきました。
その上、なぜかすごい食欲で肥り、顔もまん丸状態でした。

そして、20歳の時、ある雑誌で、ステロイドの副作用の記事を読んだのです。
驚いた私は、その日から、四年間も塗り続けたベトネベートクリームをストップしました。
案の定、お決まりのものすごい離脱症状。
(ベトネベートクリームは、ステロイド剤と抗生物質の混ぜたものなので、耐性菌や真菌の問題とか、本当に恐ろしい薬です。)
それでも、仕事は一日も休まずに頑張って行きましたね。
働かないと、食べていけませんからね。
接客業じゃないのが幸いしました。

離脱症状はほんとにひどくて、一度は皮膚科にかかり「アンダーム軟膏」という非ステロイド剤で良くなったものの、薬に頼りたくなかったため、それも三日ほど使ってストップして、自力でがんばりました。
だけど、青春まっただ中だったため、精神的にも追い詰められ、死んだ方がましだと、何度も思いましたね。
周りの人の視線も気になり、心ない言葉に傷つきました。
ほんとに、私の青春なんて、華やかな思い出はあまりありません。

あの頃、母のことを恨みましたね。
母は働いてましたから、私が高校生の頃、何をしているかは全然わからなかったし、興味もなかったと思います。
だけど、母親なら、どんなに忙しくても、最低限、子供の体調や行動に気を配らなくてはならないと思うのです。
もし、母が、私の塗っていたベトネベートクリームを注意して見ていてくれたら、あんなに何年間も使い続けることはなかったのではないかと思いますね。
でも、逆にベトネベートクリームの代わりに皮膚科のステロイド剤を使っても、同じ結果になっていたかもしれませんが。

20歳からの五年間は、大中小の離脱症状の波はありましたが、それでも、25才になる頃には、ほとんど顔の離脱症状も治まり、結婚もしました。
子供も生まれ、アトピーに悩まされることもほとんどなくなりましたが、二人目を出産後、また顔から汁が少し出てくるようになりました。
しかし、それも数カ月で徐々に治まってきました。

そして今現在、突然腕に日光皮膚炎ができたりしております。
顔には四年くらいATPゲルやホームスタイルゲルを塗ったりしておりますが、たまにプツンと赤く出ることはあっても、ひどくはなりません。
ただし、ATPゲルをやめると顔はガサガサになるようですが。


子供のアトピー体験談

2009年07月24日 17時51分41秒 | 自己紹介

私のもう一人の子は、生まれてから十何年もずっと肌のきれいな子で肌トラブルなどは経験したことがありませんでした。
しかし、ある日突然、顔に発疹ができ始めました。
ステロイド剤を三日間だけ塗り、一度は綺麗に治ったものの、すぐにまたぶり返してきました。
(その後一切ステロイド剤は使ってません)

そして、発疹は日を追うごとに顔から首、腕と広がっていきました。
その上、顔と頭からは、汁も出るように。
あまりのひどさに、子供は鏡を見ることができない状態でした。

そんな状態が一か月続き、試しにアズノール軟膏をつけてみたら、少し良くなり、アズノール軟膏を三ヶ月くらい使い続けました。
大分良くなったように思いましたが、顔にはにきびのような湿疹があり、なかなか治りませんでした。

その後はATPジェルに切り替えました。
湿疹はひどくならない状態ですが、にきびのようなものも、相変わらず出てました。
そして、突然の発疹から一年後、まだ少しニキビのような発疹は出てましたが、70パーセント完治といえる状態になりました。

あれからもう四年くらい経ちますが、子供のアトピーはあれ以来ひどくならず、今では90パーセント完治と言える状態を保ってます。
そして現在は、ホームスタイルゲルを顔に使ってます。


私の説明書

2008年08月27日 12時15分08秒 | 自己紹介

今、血液型の本がバカ売れですね。
私もすべての血液型の本を買いました。
私はO型ですけど、「O型自分の説明書」に書いてあるのとは、ちょっと違ってるところがあるなと思いましたね。
当たってるところも結構ありましたけどね。

私は・・・・

自分を素直に表現できず、強がってしまうので、周りからは悩んでないように見られる。
だけど、本当はかなり悩んでる。
すごく気になることがあると、眠れない。
ストレスが続くと食欲がなくなる。

周りのちょっとした一言に傷つく。
ゴタゴタには巻き込まれたくない。
自分の考えはその日によって違う。
目立ちたくないし、リーダーにはなりたくない。

人との約束はできる限り守る。
自分との約束を守らない人とはさよならする。
自分を大切にしてくれる人を、大切にする。
自分を裏切る人を、裏切る。

この世で一番怖いのは病気。
だから、遊び人とは付き合わない。
なにか病気を持ってそうだし、うつされたら怖いから。
病気を持ってても、いい人となら、病気をもらわないように友達として付き合う。

かなり寂しがり屋。
だけど、他人とワイワイやったあとは、ものすごく疲れる。
みんなでカラオケに行ったりすると、その後、疲れて動けなくなる。
ストレスは一人で好きなことをして発散。
カラオケで発散なんて、絶対に無理。

一人で読書したり、パソコンいじってる時間は幸せ。
だけど、時々、友達や仲間と無性にワイワイしたくなる。
けど、そのあと、数日は誰にも会いたくなくなる。

自分は半分死んでるんじゃないかと思ってる。
元気な人の半分しか元気がないから。
とても健康体とは言えない。半健康体持ち。

いつか、自分がガンとかひどい病にかかったら、苦しい思いをする前に死にたいと思う。
楽に死ねる方法はないかと、ひそかに考えたりしてるけど、わからない笑。

この世には、天国も地獄も存在するし、天国の住人も地獄の住人も存在してると思う。
だけど、その中間層が一番たくさん存在してるのかもしれない。
たまに、なんでこの世に生まれてきたのかな、なんて思う。
こんな苦しみのたくさんある世界に。
そんなことを思いながら、自分勝手に子供を産んだりして、子供にほんとに申し訳ないと思ったりする。
子供、この世界に産まれてきて、幸せなのかなって。ごめんね。

場の空気は読む。
人を傷つけたくないと思うから、疲れてても笑顔でふるまう。
だから、よけいに疲れる。
多少体の具合が悪くても笑顔で接するから、他人からは具合が悪いと思ってもらえない。

子供、命です。
この世で一番大切なのは、子供です。
子供がいないと生きていけないと思います。
子供が死んだら、自分ももしかしたら死ぬかも。。。

お金は、できるだけ無駄遣いせずにせっせと貯めます。
だって、お金がないと生きていけないから。
ギャンブルは嫌いです。お金がもったいないから。

好奇心はありすぎます。
好奇心のために、いろいろな冒険みたいなことしたりします。
結果が分かるまではワクワク。
だけど、結果がわかったら、終わり、みたいな。
いろんな事に興味がありすぎて、やりたいことが死ぬまでに終わりそうにありません。
たぶん、中途半端でこの世とさよならしなくちゃならなくなるのでしょう。
それが、とても心残りです。

主婦が毎日集まって井戸端会議って、時間の無駄って思います。
たまになら楽しいですよ。
だけど、毎日じゃ、自分のやりたいことが何もできないじゃないですか。
井戸端会議から得られるものは、人の噂や身近な出来事だけ。
私は、もっと世の中の大きな部分をつかみたいのです。
そのためには、一人で読書する時間が絶対に必要なのです。
だからかなぁ。友達は少ししかいません。

電話は自分からあまりかけません。
もらえばかけますけど。
積極的なタイプじゃないですね。
むしろ消極的で、いつも遠慮ばかりしています。