先日、矢作直樹さんの動画を見ていたら、縄文人は争いのない平和な社会を築いていた話をしていました
なぜかというと、縄文人は自分の役目を知っていたからなのだそうです。
それを、矢作さんは人間の身体に例えて、脳細胞には脳細胞の役目があり、皮膚細胞には皮膚細胞の役目があり、どちらも人体にとってはかけがえのない働きをしている。
そして、脳細胞が皮膚細胞になりたいとか、皮膚細胞が脳細胞になりたいなどとは思わずに各々の役目をこなしているとおっしゃいます
同じように、縄文人は、リーダー的な役目の人、それを補佐する役目の人、下働きをする役目の人、食料を作る役目の人など、各々が自分の役目を知り、決して争わなかったのだそうです。
なるほどなぁと思いました。
人が争うのは、リーダーになって、権力をもって、自分の思い通りに人を動かしたいから、なのでしょうか。
しかし、縄文人は、リーダーも農民も下働きの人も、かけがえのない働きをしていることをみんなが理解し、そこに上下関係がなかったのだと思います。
そこで、最近私がよく保江邦夫先生や矢作直樹先生の動画を見ているのですが、私とはまるで違う生活をされていて、うらやましく感じたり、それに比べて自分はなんてつまらない人生を送っているんだろう、なんて思ってしまうことがあったのです。
お二人とも、大学教授の経歴を持ち、世界中で仕事をし、日本中を飛び回っています。
あちこちで講演し、たくさんの人が先生たちの話を熱心に聞きます。
そして、先生たちはその活動上でさらにたくさんの人脈を作って行かれるのです
まさに、華々しい生き方をされています。
人体に例えれば、彼らは紛れもなく脳細胞の役目を担っているのでしょう。
では、私は何なのか。
毎日同じことを繰り返し、ここから動かないで、人脈もここ何年も全く増えない。
海外に行く機会もなく、国内ですら旅行でたまに移動するくらい。
私は人体の皮膚細胞なのかもしれません。
しかし、人体は脳細胞だけで生きることはできませんから、その他の細胞だって、立派な役目をになっているはず。
ということは、私のような人間も、人体、いやこの世界で、何らかの役目を持っていることになります。
そう考えたら、私は今のこの環境で、自分の役目を粛々とやっていくことが正しいことになります。
だから、他の人の役目をうらやましがったり、妬んだりする必要などなかったことに気が付きました
しかし、人体と違って、人間は自分の役目を喜んでやりながら、自分の好きなこともやっていくうちに、知らず知らず役目が変わることがあるのです。
それは、誰かを妬んだりうらやましがったりして手に入れるものではなく、毎日自分の役目を楽しくやっていて、気が付いたら少し自分の役目が変わっていたというような感じです。
その繰り返しをして、どんどん重要な役目を任されたりすることもあるんですね。
私も今の自分の役目を喜んでやりながら、知らないうちに別の役目を任されるような人生を歩めたらいいなと思います。