23日はバイトでしたが、仕事中、何気なしに入口のドアを見たら、誰もいないのにドアが少し開いたのです。
この店のドアは、自動ドアではなく、押して開けるタイプのものです。
なので、ドアが少し押されたという感じです。
ドアは重いので、風で開くような事はないし、その日は風は強くありませんでしたし。
何だったんでしょうね。
23日はバイトでしたが、仕事中、何気なしに入口のドアを見たら、誰もいないのにドアが少し開いたのです。
この店のドアは、自動ドアではなく、押して開けるタイプのものです。
なので、ドアが少し押されたという感じです。
ドアは重いので、風で開くような事はないし、その日は風は強くありませんでしたし。
何だったんでしょうね。
何の苦労もなく、人生を歩んでいるように見える人がいる。
お金も生活するには困らないくらいあり、家族も皆健康で、さらに容姿も良い。
配偶者とも仲良く、子供も良い子で、介護を必要とする老人とも同居していない。
そんな、順風満帆の人生を歩んでいるように見えるのが、友人のA子だ。
なぜ、こんなに順調なのか、わからない。
前世での行いが良かったのか、はたまた、A子のレベルが高い?からか。
でも、私から見て、失礼だが、A子の徳のレベルはそれほど高いとは思えない。
なぜなら、A子は、他人を見下すし、他人を馬鹿にするからだ。
では、なぜそんなA子が、順風漫歩の人生をおくっていられるのだろう。
A子が、結婚は旦那の職業で選んだからなのだろうか。
しかし、順風満帆の人生が、ベストというわけではないのではないか。
というのは、順風満帆の人生は、あまり悩まなくてもよく、弱い人の気持ちが理解できず、学ぶことが少ないのではと思うからだ。
いろんな苦労があるから、考えるし、学ぶことも多くなる。
いや、だけど、不幸な出来事は、私だって望まない。
だが、介護で悩んだり、アトピーで悩んだり、嫁姑で悩んだりすることは、そこから何かを学ぶことになると思う。
まったく介護をしたことがない人には、学べないことを学べ、お舅やお姑と同居したことがない人には学べない事を学ぶことになる。
アトピーで苦しんだことがない人には学べないことも、アトピーで苦労することにより学ぶことができる。
そういう意味では、何の苦労もないよりは、小さい苦労は人生の糧となるように思う。
このところ、食欲がかなり落ちている。
先週は、お昼は美味しく食べていたし、夜も、少食ではあるけど美味しく食べていたのに。
14日に、イタリアンレストランのバイキングに行ってから、すごく胃がもたれ、食欲がなくなった。
イタリアンレストランでも、そんなに食べたわけではない。
ピザ4分の1と、パスタ3分の1、それにお惣菜少しと、デザートのケーキほんの少し、あとは、ソフトクリームをほんの少しだったが、帰ってきてから、胃腸の調子がすごく悪くなってしまった。
以前も、6月13日に、イタリアンを無理して食べたら、蕁麻疹が出たが、その時も食欲が無かった。
最近は、食欲がまあまあの時と、ないときと、交互に出現する。
私は、少食で、最近はちょっとでも食べ過ぎると、胃腸が石のように硬くなって動かなくなる。
特に、イタリアンを食べ過ぎると、必ずやられる。
若いころから、ピザは1切れで十分で、それ以上食べたいとは思わなかった。
だから、平気で1枚平らげる人をすごいと思ったものだ。
今はガスも出ない。
ガスが出ないということは、胃腸の働きが弱っているということだ。
こういうときは、胃腸になるべく負担をかけないで、少しずつ胃腸に聞きながら食べ、回復を待つしかない。
で、今回は非常に胃腸が調子悪いので、今日からセルベール1日3錠飲むことにした。
14日、17日と、続けて知人と会食したのだが、話をしていると息苦しくなってしまい、両日ともコンスタンを半分ずつ飲んだ。
14日は、3時ころまではなんとか大丈夫だったのだが、フラフラして息苦しくなったので、半分飲んでしまった。
17日は、1時ころ、頭から血の気が引くような感じになり、目眩がしてきて、コンスタン半分飲んだ。
17日の会食のお相手は、とにかく頭をうんうんとうなずきながらしゃべる人なので、私もつられて相づちをずっとうっていたら、脳貧血のようになってしまった。
両日とも、コンスタンを半分飲んだら、あとは平気でいられたから、助かった。
でも、家に帰ってから、眠くてたまらなくなった。
昨日の夜、ヘアカラーしました。
いつもの、やつです。
アジエンスシャンプーで、二度洗いしました。
今回は、色々と失敗してしましました。
焦ってたので、準備しまいまま行ったなが、原因です。
今後は準備を万全にすること。
頭の前の部分は、ブロック分けにして、刷毛で塗ること。
後ろの部分は、手で塗ること。
80グラム使用すること。
どんなふうに生きれば、死ぬ時に悔いが残らないのだろう?
美味しいものを食べ続ければ、悔いが残らない?
たくさん旅行すれば、悔いが残らない?
たくさんの友人達と楽しく過ごしたり、大恋愛すれば悔いが残らない?
社会的地位が高ければ、悔いが残らない?
子供が自立した大人になれば、悔いが残らない?
なんだか、私はこれらがすべてかなったとしても、悔いが残る。
もちろん、これらは、どれもかなってほしいことだが、人生の目標とは異なる。
これらだけでは、私は死ぬ時に悔いが残る。
美味しいものを食べる時の幸福感は一時のものだし、旅行の幸福感も一時のものだ。
友人と過ごす時間は楽しいものだが、それも一時のものだ。
どうしたら、悔いのない人生を送ることができるのだろう?
私は、生きている間に、どれだけこの世を知ることができたか、そして、どれだけ誰かの役に立ったか、が、悔いのない人生のためには必要なんじゃないかと思う。
この世を知るということは、歴史、科学、政治、哲学、物理学なども含むし、生まれた意味を知ることであり、この世の法則を見つけることでもある。
そして、今無事に生きていられる、今食べることができることのありがたみを、日々感謝することでもある。
誰かの役に立つということは、金銭面だけではなく、誰かの生き方をより良い方向に導くことである。
それには、書物として残してくれた、昔の偉人達がよい例である。
また、自分の生き方を通して、周りの人々に影響を与えることもできる。
悔いのない人生は、本当に難しい。
それに、人生は、本当に短く、今回もよくわからないまま、悔いを残してしまいそうである。
ともあれ、これからの日々を、ほんの少しでも、悔いの残らない方向へ持っていく努力を続けようと思う。
追伸
聖人と呼ばれる、キリストやブッダは、日々美味しいものを食べ続けたり、友人達と毎日騒いだりして時間つぶししただろうか?
それよりも、どうしたら、人々を良い方向へ導けるかを考え、書物を書いたのではと思う。
だから、孤独だったのではないかと思う。
かといって、孤独を悪いものだとは思わず、楽しんだのではないのだろうか。
2日に海鮮お好み焼きを半分食べた。
その中に、エビが含まれていたので、また蕁麻疹が出たらどうしようと思ったが、出なくてホッとした。
少量なら大丈夫のようだ。