先日、また職場のA子さんと話をしていると、A子さんは、都会に行ったときは、他人からなめられないために、服装や外見を変えるのだと言う。
A子さんにとっては、他人からなめられる事が何よりの屈辱らしい。
なめられるって、つまり馬鹿にされるとかそういう意味だと思う。
あーそうなのか。
だから、私はA子さんといると、なんとも言えない気詰まりやホッとできない緊張感を感じていたのだ。
A子さんの雰囲気や波動が、そういった事を表していたのだ。
A子さんは、人からなめられまいと、気を強く持ち、少しでも馬鹿にされたと感じたら、睨みつけたり、問い詰めたり、無視したりして、相手を威嚇するのだ。
A子さんのモットーは、人からなめられたり差別されたりしない事なのだろう。
確かに差別は良くないが、だからといって、ちょっとしたことで相手を攻撃したり威嚇したりすれば、相手は怖くなり、気を遣いくつろげなくなると思うし、話しにくくなると思う。
そう考えると、私はなめられやすい人間かもしれない。
私の雰囲気からは高圧的なものは全く感じられないし、人から馬鹿にされても言い返さないからだ。
ただし、そういう人は無視するけれど。
ただ、私は自分が納得できないことに関しては、誰がなんと言おうと絶対に自分の考えを変えたりしないし、どんなに売り込まれても、自分が欲しくないものは絶対に買わない。
それでも、私は外見上はとても大人しく優しい雰囲気で、リーダータイプではないので、私を馬鹿にする人も多いだろうし、私なら嫌とは言わないだろうと思う人も多いと思う。
私はそんな人にはそう思わせておくし、あえて人からなめられまいと、高圧的な態度を取ったりはしない。
そして私は、高圧的な人は大嫌いである。
人からなめられない事が1番大事な事だろうか?
なめられることばかり気にして生きるなんて、私は馬鹿馬鹿しいと思うのだ。
もっと大事な事があるし、人には優しく接したいと思うのだ。
もちろん、高圧的な人に対しては優しくなどしないし、関わらないけれど。