とても人懐こくて、私にもすぐに慣れてくれ、とても可愛い女の子でした。
一緒に遊んで楽しかったなぁ。
で、数時間もすると、私もトイレに行きたくなりました。
でも、女の子を一人で置いて行くのは危険なので、トイレに連れて行くことにしました。
いつもは、私は長年使っている二階のトイレに行くのですが、その時はその女の子を抱っこしてたので、下のトイレに行くことにしました。
下のトイレは、私はここに嫁に来てからも、滅多に使うことがなく、ここ何十年も使ったことがありません。
下のトイレを使っていたのは、お舅とお姑さんだけです。
今はもう、2人とも他界していますが。
それで、その下のトイレに女の子と入ったのですが、今まで機嫌良かった女の子が突然泣き出しました。
なだめても泣き止まないので、仕方なくまた抱っこして、二階のトイレに入りました。
すると、けろっと泣き止んで、トイレで楽しそうに遊び始めたのです。
この女の子は、気というものを、敏感に察知したのだと思います。
下のトイレに宿る気と二階のトイレに宿る気の違いを、敏感に察知したのです。
いくら他界したとはいえ、下のトイレには、お舅の気が漂っていたのだと思います。
事実、お舅は、トイレの前で亡くなったのです。
私も、下のトイレの周辺、お舅の部屋には絶対に近づきません。
悪い気を感じるからです。
乳幼児が意味もなく泣く時は、そこになにか悪い気を感じているからかもしれませんね。
まあ、子供にもよるようですけどね。
もう1人、前にやはり一歳になったばかりの男の子を、半日くらい預かった事がありますが、その子は、下のトイレに入っても泣きませんでした。
あ、そうそう。
下の茶の間も、お舅とお姑さんが生きている頃は、滅多に入りませんでしたが、今は私が常に茶の間にいるので、もう気が入れ替わったと感じています。
もうすっかり、茶の間は、私と主人の気で満たされています。