この前、何気なく私が持っている小さな小さなサイババさんの写真を撮ってiPhoneに保存しておいたものを、引き伸ばしてあれこれ見てました。
すると、、、サイババさんの指先から、何かが出てるんですよ。
これは、サイババさんの気が写真に映ったのでしょうか?
それとも、私のように、この小さな小さな写真を引き伸ばして見る人がいることを、当時予測したサイババさんが、写真を加工させたのでしょうか?
まあ、いづれにしても、この小さな小さな写真たては、なんだか不思議で面白いです。
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この前、何気なく私が持っている小さな小さなサイババさんの写真を撮ってiPhoneに保存しておいたものを、引き伸ばしてあれこれ見てました。
すると、、、サイババさんの指先から、何かが出てるんですよ。
これは、サイババさんの気が写真に映ったのでしょうか?
それとも、私のように、この小さな小さな写真を引き伸ばして見る人がいることを、当時予測したサイババさんが、写真を加工させたのでしょうか?
まあ、いづれにしても、この小さな小さな写真たては、なんだか不思議で面白いです。
最近の天候はどんどん異常になってきてます。
今年の夏は酷暑でしたし、おそらくその反動でこれから洪水も増えるのかもしれません。
イカが取れなくなり、さんまも取れなくってきていて、どちらも高価なものになってきています。
もしかしたら、将来は高すぎて食べられなくなるのかもしれません。
今年みたいに来年も再来年も酷暑になり、米や野菜もあまり取れなくなるかもしれない。
水不足も心配です。
高い山に行くと、松の木は全て枯れ木になっています。
これはどんなに人間が知恵を絞っても元通りに変えることができていません。
世界のあちこちで山火事も起きています。
なんて、暗いことばかり書いてますが、だからといって、無かったことにしよう、とか考えないようにしようと、このままの生活を続けたらどうなってしまうのか?
人間は行き着くところまで行かないと、やはりダメなのかもしれません。
どうやったら、異常気象を正常気象にすることができるんでしょうね。
今朝方に見た夢の内容
私は家族であるホテルに泊まっていた。
その日の朝食は、玉ねぎとひき肉を炒めたものを入れたパイだった。
次の日、私たちは朝食会場に行くためにエレベーターの前で待っていた。
なかなかエレベーターは来ない。
やっと来たエレベーターは、カゴみたいに外が丸見えで、下の方にも隙間がある。
仕方なく、私たちはそのエレベーターに乗り込んだ。
下の娘はまだ小さく2歳くらいだろうか。
私は下の娘を片方の腕で掴み、もう片方の手でしっかり手すりを掴んだ。
エレベーターが動き出すと、下の娘の体が持ち上がった。
危ない!と私は娘をしっかり抱っこする。
下を見ると、隙間から娘が落ちてもおかしくないくらい、隙間があった。
そのエレベーターの中にいると、私達はなぜか遠心力で振り回されそうになった。
昨日、ふと気が付きました。
いつもいつも、今日はこれだけしかできなかったと不満を持っている自分に。
最近は、暇さえあれば、保江邦夫先生の動画を見て、そして大事な部分をメモしたりしてますが、そのことに関しても、今日はこれくらいしかできなかったと、不満を持っている自分がいるのです。
一体自分はどうやれば満足するんでしょう。
どんなにやってもやっても、まだまだ足りないと、毎日思うのです。
これでは、この先何年生きたとしても、死ぬときに、まだ足りない、まだこれしかやっていない、と不満を抱えて死ぬことになります。
自分はこれだけしか旅行に行けてなかった、自分にはこれだけの友達しかいなかった、などと不満に思いながら死んでいくなんて。
これって、本当に不幸な死に方だなぁと思いました。
日々に満足することができなければ、一生満足などできないんですね。
なので、無意識にこういう考え方の癖がついている私は、きちんと言葉に出して、今日もこれだけの事ができて良かった、今日は少しでもこれができて良かった、今日はこれができなかったけど他のことをやれて良かった、と自分に言い聞かせていこうと思いました。
また、今まで〇〇に行けてうれしい、自分には〇〇さんという友達がいてうれしいと、心の中で言うのです
小さいころから、私は、もっと頑張れ、もっと頑張れと、今の自分に満足するなと言い聞かせられて育ってきたように思います。
満足したらもう頑張れなくなると。
でも、それは間違いでした。
今の自分に満足できなければ、死ぬその時も自分に満足できないまま死ぬことになるのです。
今の自分に満足していても、好きなことは喜んで続けられます。
頑張るって、自分に不満があるから起こる気持ちなのではないでしょうか。
今朝がた、ちょっと足を延ばした瞬間に、痛い!となって、ふくらはぎがつってしまった。
しかも両足で、しばらく動けず、じっとしていた。
ここ1年くらいは足がつらなくて助かっていたのだが。
1年前くらいまでは、本当に朝でも夜中でも足をつって悲鳴をあげていた。
それが、ある時、友達に健康食品の宣伝会場に誘われ、藻塩と言うものを買って食べていたら、なんと、足がつらなくなったのである。
それはとてもありがたいと思った。
しかし、その宣伝会場ではだんだんと高額な品物を宣伝するようになってきて、何も買わない私は宣伝会場には行かないようになった。
さて、その藻塩だが、なくなったので粗塩を代わりに食べてみたのだが、それが原因かどうかは分からないんだけど、また足がつるようになってしまった。
粗塩もミネラルは含まれているが、藻塩の方がより含まれているようだ。
これはもしかして、粗塩を食べないから?
と思って、さっそくスーパーに買いに行ったら、藻塩って高いですね。
250gで398円でした。
買ってきましたが。
ネットでもっと安い藻塩を探さなきゃね。
子供のころは足なんてつらなかったのに、やっぱり歳なんですね。
静脈瘤もあるんでしょうけど。
先日、矢作直樹さんの動画を見ていたら、縄文人は争いのない平和な社会を築いていた話をしていました
なぜかというと、縄文人は自分の役目を知っていたからなのだそうです。
それを、矢作さんは人間の身体に例えて、脳細胞には脳細胞の役目があり、皮膚細胞には皮膚細胞の役目があり、どちらも人体にとってはかけがえのない働きをしている。
そして、脳細胞が皮膚細胞になりたいとか、皮膚細胞が脳細胞になりたいなどとは思わずに各々の役目をこなしているとおっしゃいます
同じように、縄文人は、リーダー的な役目の人、それを補佐する役目の人、下働きをする役目の人、食料を作る役目の人など、各々が自分の役目を知り、決して争わなかったのだそうです。
なるほどなぁと思いました。
人が争うのは、リーダーになって、権力をもって、自分の思い通りに人を動かしたいから、なのでしょうか。
しかし、縄文人は、リーダーも農民も下働きの人も、かけがえのない働きをしていることをみんなが理解し、そこに上下関係がなかったのだと思います。
そこで、最近私がよく保江邦夫先生や矢作直樹先生の動画を見ているのですが、私とはまるで違う生活をされていて、うらやましく感じたり、それに比べて自分はなんてつまらない人生を送っているんだろう、なんて思ってしまうことがあったのです。
お二人とも、大学教授の経歴を持ち、世界中で仕事をし、日本中を飛び回っています。
あちこちで講演し、たくさんの人が先生たちの話を熱心に聞きます。
そして、先生たちはその活動上でさらにたくさんの人脈を作って行かれるのです
まさに、華々しい生き方をされています。
人体に例えれば、彼らは紛れもなく脳細胞の役目を担っているのでしょう。
では、私は何なのか。
毎日同じことを繰り返し、ここから動かないで、人脈もここ何年も全く増えない。
海外に行く機会もなく、国内ですら旅行でたまに移動するくらい。
私は人体の皮膚細胞なのかもしれません。
しかし、人体は脳細胞だけで生きることはできませんから、その他の細胞だって、立派な役目をになっているはず。
ということは、私のような人間も、人体、いやこの世界で、何らかの役目を持っていることになります。
そう考えたら、私は今のこの環境で、自分の役目を粛々とやっていくことが正しいことになります。
だから、他の人の役目をうらやましがったり、妬んだりする必要などなかったことに気が付きました
しかし、人体と違って、人間は自分の役目を喜んでやりながら、自分の好きなこともやっていくうちに、知らず知らず役目が変わることがあるのです。
それは、誰かを妬んだりうらやましがったりして手に入れるものではなく、毎日自分の役目を楽しくやっていて、気が付いたら少し自分の役目が変わっていたというような感じです。
その繰り返しをして、どんどん重要な役目を任されたりすることもあるんですね。
私も今の自分の役目を喜んでやりながら、知らないうちに別の役目を任されるような人生を歩めたらいいなと思います。
この前、矢作直樹さんの動画を見ていて、なるほどなぁと腑に落ちた言葉があります。
霊能者と言っても様々な人がいます。
人間的に素晴らしい人もいれば、人間性が低くて低級霊が付いている霊能者もいるそうです。
低級霊でも、当たるのことを教えてくれるので、この霊能者を信じ込んでしまう人もいるそうです。
だから、気をつけてくださいと。
そういう低級霊が付いている霊能者に惹かれてしまうと、どんどん運勢も落ちてくると思います。
そして、霊能者だから素晴らしいと決めつけるのではなく、霊能者でも人間的にダメな人もいるのです。
私は霊能者に会ったのは一度だけあります。
叔母が私を心配して連れて行ってくれたのです。
その霊能者はとても優しい方で、人間もできていて、私は信頼しました。
そして、商売としてやっているのではなく、口コミで聞いた人が尋ねてくるような感じでした
そして、その時に言われた事は、当たっているようです。
しかし、その後は、霊能者に会ったことはありませんし、会いたいとも思いません。
人間的に本当に素晴らしい霊能者なら、ちょっと会ってみたい気もしますが。
下手によく分からない霊能者のところに行って、その言葉に囚われてしまうのは危険だからです。
また、占い師は、私は全く信じられません。
人間の信じる力、思いの力ってとても大きなエネルギーがあるのです。
占い師や低級霊がついた霊能者を信じて、これをやると不幸になると言われたら、そう思う事で自分に暗示がかかり、不幸になるからです。
だから、これを買え?なんて、冗談じゃないですよね。
私は異次元の世界はあると思っています
なぜかと言うと、今までどんなに探しても見つからなかったものが、時間をおいてまたふと現れることを3回経験しているからです
1回目は、311の時に、予約していた医者に行き、受付で保険証を提出するように言われ、いつも保険証を入れておくカードケースをなんども確認したのですが、見つかりませんでした。
診察券やその他のカードを全部出して、1枚1枚確認したのですがなかったのです。
家に忘れてきたのかな、と思いながら、3回目にもう一度だけ、カードケースから全部カードを出して一枚一枚確認していきました。
すると、なんと不思議なことに保険証が出てきたのです。
本当に不思議な体験でした。
そして、その5分後くらいに、大地震が起きたのです。
2回目は、去年、岩手県の三陸の方に旅行に行って、ホテルに泊まった時の事です。
ホテルのカードキーを1枚失くしてしまい、私は、失くしたと思うロビーの床の場所を何度も探し回っていました。
時間をかけて丁寧に探したけど見つかりませんでした。
あきらめて、もう一度部屋に行き、それでも見つからなかったので、受付に行こうとしていました。
それでエレベーターを降りて、もう一度だけロビーの床を見たら、なんとそこにカードキーが落ちていたのです。
そこは、何度も探した場所でした。
本当にこれも不思議な体験でした。
3回目は、今年の2月にいつも愛用している毛糸の帽子を失くしました。
失くす前の日に実家に行き、帰りに確かにその帽子を被って家に入った記憶があるので、家のどこかにあるのは間違いないのですが、どうしても見つからなかったのです
いつもしまっておく押し入れの棚の中は、何度も何度も探しました。
最後に、その棚の中のものを全部出して、確認したのですが、それでも見つからず、あきらめておりました。
帽子を失くして1週間後、岩手県の天津神大竜神宮に行きました。
その次の日、何気なく、もう一度だけ、押し入れのいつも帽子をしまう棚に手を突っ込んで何気なく探してみたら、帽子が出てきたのです。
目で探したのではなく手だけで探して、手が帽子をつかんだのです。
このときは本当にびっくりしました。
こんなことって本当にあり得ないと。
押し入れの棚の中は全部出して確認して、それで帽子は見つからなかったのです。
もうこれは絶対に異次元の世界に行ってしまっていた帽子がまたこの次元に帰って来たとしか思えませんでした。
私は何か物がなくなったり出てきたりすることに、サイババ様とか竜神様が関係しているように感じています。
そして、物がなくなったり、また出てきたりするということは、人間も異次元に行ったりこの次元に戻ってきたりする場合があるということなのでしょう。
神隠しって、実在するのかもしれませんね。
でも、自分が異次元の世界に行くのは、怖いからごめんですが。