昨日の夜も、11時にベッドに入ったが、眠いのになかなか寝付けない。
しばらくゴロゴロしていた。
とにかく体の筋肉をリラックスさせることに意識を向けた。
すると、そのうちに寝付いたようだった。
ところで、この寝付くということ、眠りに落ちるということは、自分の意志ではどうしてもできない事に、改めて気付かされた。
自分の意志でなんでもできるように思えても、眠りに落ちる事だけは、自分の意志ではどうにもならないのである。
もちろん、眠りに落ちやすいように、環境を整えることは可能だし、必要な事だ。
また、自分の見たい夢を見ることも、自分の意志ではできない。
眠り、一体なぜ、人間も動物も眠るんだろう?
なぜ、眠るように神様は作ったんだろう。
しかも、自分の意志では眠りに落ちる事ができないように。
ぐっすり眠るととても気持ちが良いのは、なぜなんだろう。
寝てる時、気持ちが良いのはなぜなんだろう?
私達は、寝るのは当たり前のように思っているが、改めて眠る、という事を考えると、本当に謎だらけである。
自分の意志では決して入れない夢の世界。
夢をみる事も、神様が作ったとしたら、何か意図があって作ったんだろうか?
1日の3分の1は寝ているのだ。
一生の3分の1は眠っているのだ。
起きている時に成し遂げた事ばかり、評価されるが、寝ている時に成し遂げた事は評価される事はない。
寝ている時に成し遂げることなんて、あるのかはわからないが、ひらめきとか、祈りとか、そういうのは、どんな意味があるんだろう?
眠っている時、自分の意識の深い部分が活動しているらしい。
そこには、本当の自分、何も飾ることのないありのままの自分の姿がある。
私達は眠らないと生きられない。
それくらい、眠りは大事なことなのだ。
起きている時間と眠っている時間は、コインの裏と表なのかもしれない。
どちらがなくても存在し得ないのだ。
もしかしたら、生と死もコインの裏と表のようなものなのかもしれないな。