私は、毎晩寝る前に、iPhoneで撮ったサイババの写真立ての写真を見ながら、今日1日の感謝をするのだが、一昨日の夜、ふと、サイババの目が光出したような気がして、ハッとした。
多分勘違いなのだが。
しかし、この写真、かなり引き伸ばして見てるはずなのに、随分と精巧にできていると感心する。
わずか、縦3センチ横2.2センチで、その中に上半身のサイババが写っているのだが、引き伸ばしてみても、ボケることなくくっきりはっきり写っているのだ。
というものの、iPhoneの性能が良くなってから分かったことなのだが。
一体、どうやってこの写真を撮ったのだろう?
この写真立てとの出会いは、1996年頃だ。
だから、作成されたのは1994年あたりか?
その頃に、こんな精巧な写真をインドで撮れたのだろうか?
デジカメでは撮れない。
高性能な一眼レフだろう。
しかし、この写真を印刷する印刷機もかなり高性能でないとならない。
そして、合金の写真立てにサイババが写った厚紙を乗せ、その上からガラスコーティングまでしてある。
かなりの手間隙がかかっていると思う。
インド人には高価で買えなくても、その頃の日本人なら簡単に買える値段だったのだろう。
でも、この写真は、完璧なものではない。
サイババの鼻の下が黒くなっているのだ。
日本人なら、不良品としてはねられ、手間暇かけて作られることは無いと思う。
なぜ、この写真が遠く日本に来たのだろう?
誰かがインドに行って大量に買ってきて、その中でこの写真が不良品だったので、処分するために誰かに売って、それが日本を巡り、誰かがガチャポンに入れたというわけか?
そして、それを100円で買ったのが私というわけだ。
考えてみると、とても興味深い。
しかし、インド人は、不良品をも受け入れ、何かの意味を見出すものなのか?
日本人なら、不良品だと分かった時点で、もう作るのをやめてしまう人が多いように思う。
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