電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

故郷中津川からの便り!

2005-01-07 21:56:05 | 日記・エッセイ・コラム
 中津川市と山口村の合併のことをブログに書いたら、中津川市民からトラックバックがあった。そして、山口村が岐阜県に来なくても、中津川市が長野県に行ったらどうかという記事を読んで、不意をつかれたような気がした。中津川市と山口村は昔から因縁のある地域で、いずれ合併すべきだが、もし問題が山積みなら、岐阜県とか長野県とかにこだわらなくてもいいのではないかという発想は、斬新な発想だと思った。
 私は、中津川市立東小学校、中津川市立第2中学校、中津高校(吹奏部)を卒業するまで中津川に住んでいた。その後、大学に行き中津川から出てしまった。中津川にいた頃、私は、岐阜市も長野市も行ったことがなかった。遊びに行ったのは、たいてい名古屋市だ。中津川からかなりの人たちが、名古屋まで働きに通ったりしていたと思う。だから、何か大きな買い物だといえば、松坂屋に行くといって、名古屋まで出いたように思う。つまり交通の便や生活の便だけから考えれば、中津川市は愛知県に属する。

 私が中津川にいた頃、まだ馬込はほとんど観光地として知られていなくて、中学生になり、国語で島崎藤村を知ってから、馬込を意識するようになったと思う。でも、馬込に行った記憶はない。私が、馬込に行ったのは大学生だった頃で、田舎に戻って友達と行ったような記憶がある。「馬込の歴史」を見ると、馬込が観光地として有名になり始めたのもそのころのようだ。そのころ、「フォークジャンボリー」などというものも中津川で行われていたりして、中津川は若者の脚光を浴びていたりした。

 内田康夫のミステリー『皇女の霊柩』で馬込のサービスエリアから歩いてすぐ「馬込の宿」まで行けることを知った。内田康夫のミステリーでは、犯人がこのサービスエリアに車を止めて「馬込の宿」まで行き、そこで人を殺し何食わぬ顔をして東京へ戻るという設定になっている。その小説のせいか、それ以来中津川に行くときは、「恵那山トンネル」を抜けてすぐにあるこのサービスエリアで一休みして、それから「中津川インター」から市内に入るようにしている。毎年、1,2回は、中津川に行くが、馬込も中津川もずいぶんと変わってきた。とにかく、綺麗になった。また、市町村合併で中津川市も大きくなり、変わっていくのだと思う。
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2 コメント

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TB返し(でいいんですかね?)ありがとうございま... (よくさん)
2005-01-12 13:20:14
TB返し(でいいんですかね?)ありがとうございました☆

そうなんですよねぇ、中津川って生活圏を考えれば、岐阜でも長野でもなく、愛知県なんですよね。
さすが、元・尾張藩の支配下にあっただけのことはあります。
ホント、合併って難しい…。

てか、natsuさんと、小学校→高校までの経歴、ほとんど一緒なんですけど!(笑)
わたくしは、中津高で演劇部でした。
(余計な報告ですいません)
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>よくさんさん! (Natsu)
2005-01-13 16:38:02
>よくさんさん!

私の弟の長男が、1昨年東京の大学を卒業し、中津川市役所に勤務しています。
だから、経歴はほぼ一緒だけど、30年以上の時間差がありますよね(^^;

私がいたときから、中津高の演劇部は活躍していましたね。で、吹奏部の方は、野球が軟式だったためか、あまり出番もなく、優遇されていなかったように思います。
吹奏部は、中津商の方が立派で威張っていたように思います。
私は、クラリネットをやっていましたが、今ではすっかり、忘れています。
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