電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

振り込め詐欺

2008-11-03 22:16:21 | 政治・経済・社会

 最近、都内を散歩していて、小さな街角のATMコーナーの近くで警察官が立っているのを見かけた。どうやら、振り込め詐欺の警戒に当たっているらしい。2008年1月から4月までの被害件数は、約7800件だと言われている。これは、加害者が子どもを語って親にお金を振り込ませるという詐欺事件を中心としているが、かなりの件数だと言える。そして、2006年度の検挙率は、16%といわれており、なかなか捕まらない事件である。銀行から現金を引き出すときに見つからない限り、ほとんど検挙不可能なのだ。もちろん、犯人側もあの手この手を考え、ATMコーナーだけではなくなっている。

 ところで、この被害件数を見て、私は、その何倍かの実際の事態があると思われることにほうに驚く。つまり、現在の若い子どもたちは、親にそういう要求をしているらしいと言うことであり、そして親たちはそうした子どもたちにかなりの高額な振り込みをしていることになる。そして、その場合、ほとんど親子の会話などなくなっているのではないかということが推察される。つまり、そこには、親の事情も子の事情も忖度されることなく、要求があり、その要求が実現されているらしいのだ。

 以前に私のブログでも触れたが、東京学芸大学教授の山田昌弘さんの『パラサイト・シングルの時代』(ちくま新書/1999.10)や『パラサイト社会のゆくえ』(ちくま新書/2004.10)で描いた家族の世界の帰結でもある。山田教授は、生活に困ったら、親に何とか言えば助けてもらえる、況んや、同居している家族では、親に子どもの面倒を見てもらったいたりする最近の若者たちを取り上げていた。まさしく、そうした家族のあり方が、こうした被害を生み出しているとも言えなくはない。

 振り込め詐欺の被害額を見ていると、常識では考えられないような高額の要求がなされ、実際にその要求が支払わされていることに驚かざるを得ない。子どもが実際などんな状況なのか、ほんの少しの交流があれば分かりそうなものだが、現在のところ、日本の家族の一部では、親は、自分の子どもたちを金銭面で支援するということでかろうじて、その関係を持っているということかもしれない。

 こうした考え方を私に教えてくれたのは、この間、一貫して現場のフィールワークを通じて、家族について考えてきた石川結貴さんだった。『家族は孤独でできている』(毎日新聞社/2006.11)や『モンスターマザー』(光文社/2007)で、石川さんは、家族の現在を冷静に分析している。そして、それは、殺伐とした風景である。そんな石川さんが、自分のHPで、「コンビニ家族」というコラムを連載している。家族というのは、何も言わなくても、分かってくれる存在かもしれないが、しかし、そのことが現在危機に直面していると言うことができる。

 困ったときに駆け込めば、すぐに助けてもらえる。まるでATMのように、簡単にお金が引き出せる。といって、自分が家族に対して必死に尽くすとか、恩に報いるとか、誠心誠意面倒を見ていくというわけではない。利用したいときだけ利用する便利な機能。使いたいときだけ使いたい都合のいい存在。それが家族の、ひとつの現状なのだと思う。(「コンビニ家族 連載(2)より)

 この家族の現在については、まさしくその通りなのだが、何故、家族はそうなってしまったのだろうか。社会の中の個人主義が家族の中に侵入してきたというような問題ではないような気がする。家族は、ある意味では解体されている。家族の中で何が起きているのか、あるいは何が起きようとしているのか、もう少し考えてみる必要がありそうだと思われる。

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