電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

夏の金沢の短い1日

2009-08-14 12:07:36 | 生活・文化

 9日から11日まで旅行。金沢、白川郷、高山、恵那峡、中津川市民病院、諏訪大社等々。金沢と恵那峡にそれぞれ一泊する。駆け足のような旅行。妻と息子と私の3人。金沢では、私の大学時代の思い出にふけり、妻と子どもたちに馬鹿にされる。金沢白鳥路ホテルに宿泊している時に弟から電話があり、親父が中津川市民病院に入院しているという連絡を受ける。その日は、もう一人の弟夫婦が中津川にいるとのこと。早速連絡を取り、10日の夕方には病院に着けると連絡をする。親父には、7月の終わりに、11日にお墓参りをし、その後一緒に昼食を食べる約束をしていて、恵那峡に止まる予定をしていたのが、急遽お見舞いになってしまった。

 9日は、午前3時半に家を出る。プリウスには前日、ガソリンを満タンにしてある。日高・狭山インターから圏央道に入り、そのまま関越道経由で、上越道に入る。長野を通り、上越インターで北陸自動車道に入る。そして、10時半頃金沢市に入る。まず、金沢市角間にある金沢大学に向かう。私は、金沢大学出身だが、40年近く昔の話で、こんな山の中に大学が移るとは想像だにしなかった。大学周辺はさすがに山の中らしいが、少し下るとそこには郊外住宅地のように拓けていて、大学関係者や学生たちの街らしい、マンションやアパートやらが建ち並び、大きなショッピングモールもできていた。

 それから、金沢城の近くに戻り、ホテルの場所を確認してから、「六角堂」でランチ。この店に入るのは6年振り。私は、「六角亭」というように名前を記憶していて、ナビ設定で少し混乱をしたが、11時30分頃に入ることができた。予約をしていなかったが、その時間だとまだ空いていて、中央のカウンター席にすぐ座ることができた。妻と息子と私の3人とも、黒和牛のステーキランチを食べる。肉は150g。妻が運転なので、私だけ赤のハウスワインを飲む。息子は、美味しいと満足していた。妻は、5月に鎌倉の葉山牛ステーキハウス「マザース オブ 鎌倉」で食べたステーキランチとまた違っ味だが、それなりに満足しているようだった。

 昼食後、金沢白鳥路ホテルに向かう。ホテルの駐車場はかなり混んでいたが、何とか駐められたのでフロントに寄り、夕方まで散歩に行って来ると告げてから、歩いて外に出る。そこから、金沢城まで歩いて3分くらい。ぼつりぼつりとしている空模様の中、傘を持って、石川門から中に入る。6年前に来た時は、まだ大学の跡地の整理が完全ではなかったが、一部の工事を除いて、ほぼ昔の大学敷地内が公園に生まれ変わっていた。そして、そこでは「金沢城オペラ祭2009」が開催されていた。その日は初日で、「第8回YOSAKOIソーラン日本海百万石会場」になっていた。
 

 私は、息子と妻に、ここが教育学部があったところ、ここが法文学部で私がここにいたこと、それから、学生会館のあったところ、最後に教養部と理学部がここにあったといいながら、順に案内した。二人は、疑り深そうに私の話を聞いていた。しかも、私は、「石川門」がいわゆる東大の「赤門」に対抗する「黒門」だと思っていたが、実は、「黒門」は別にあり、それは「大手門」の方に、「黒門跡」として残っていた。妻と息子に、「本当に、ここに大学があって、本当にここに通っていたの?」と言われてしまった。

 それはそうだろう、もう40年ばかり昔の話だし、午前中にみた角間キャンパスの全てが、この中にはいるとはとても思えなかった。もちろん、当時から、医学部と工学部は別の所にあった。しかし、その後いろいろできたのだと思う。そして、息子は、この城の中の大学ならいいがあの山の中の大学はいやだと妻に言っていた。しかし、金沢城公園の中を一週してみると、大学の校舎があった時とは違った、広がりが感じられた。そして、この城がこのように開放されるのはとてもいいことだと思えた。私の青春時代は、どこかに行ってしまうとしても。

 金沢城を石川門から出て、兼六園に入る。学生の頃、私は小立野というところに住んでいたので、兼六園を通って大学に通っていた。今は、ここは入園料が必要だ。桂坂から中に入り、眺望台を通り、眺望亭で抹茶を飲む。とても美味しい。それから、明治記念之標の前を通り、すっかり緑になった梅林の中を抜けて時雨亭の前に行く。そこから真弓坂を下って、兼六園の外に出る。夏の兼六園は、少しばかり退屈だった。ただひたすら緑の公園だった。

 公園を出てから、21世紀美術館により、香林坊のほうに向かう。息子が、どうしても本屋さんに寄りたいというのだ。私は、片町に宇都宮書店があったことを思い出した。私が学生の頃は、香林坊にも北国書店という大きな書店があった。しかし、北国書店がなくなったのは、6年ほど前に金沢に来た時知った。確か、宇都宮書店が倒産したという話は聞いていないのであるはずだと思った。しかし、昔あった場所にはなかった。そこは、別の店になっていた。

 仕方なく、片町を歩きながら、宇都宮書店があった場所の反対側に少しばかりしゃれた商店街があるのに気がつき入った。少し入ったところに「ぶどうの木・片町店」というレストラン(カフェ)があり、そこでブドウジュースを飲む。店の前に大きな葡萄の木が植えられていて、沢山の実がついていた。そこの店員に、宇都宮書店のことを聞いたら、もう少しその横町を奥に言ったところにあると言う。彼は、最近金沢に来たらしく、片町の方に宇都宮書店があったことを知らなかった。その書店は正式には、「うつのみや」で、息子はミステリーを数冊買い、私は衝動的に『村上春樹の「1Q84」を読み解く』(データハウス刊/2009.7.7)を買った。

 「うつのみや・柿木畠本店」の周辺は、再開発され、まったく新しい街並みになっていた。しかし、そこに私が学生の頃よく通った昔のままの「芝生」という喫茶店があった。多分ここも、新しい金沢の観光スポットなのだと思った。それから、ゆっくりと街を見学しながら、広坂を通り、また再び兼六園の中を抜けて、ホテルに戻った。ホテルに戻り正式なチェックインをして、部屋に荷物を運び入れた。ちょうど5時半になるところだった。ホテルの駐車場が満車だったので、これから車を出しても大丈夫かと聞いたら、泊まる方にはちゃんと駐車場を確保するから大丈夫だとのことだったので、車で夕食を食べに行く。

 「第7ギョウザの店」に行く。茂木健一郎がどこかの講演で金沢に行ったら是非「第7ギョウザの店」に行ってくださいと強調していた。広い店だが、込んでいた。まだ時間が早かったので、10分くらい待っただけで席に着けた。私たち親子3人で、ホワイトギョウザ大2人前、焼きギョウザ大・小、蒸しギョウザ大とライスセット2人前、キムチ、茄子の漬け物を注文。私たちは、熱々のギョウザを食べるのに、必死になった。量も多いのだが、ホワイトギョウザはかなり堅く、食べるのに大変だった。それでも、私たちは、全てを平らげてしまった。

 店を出る時には、沢山のお客が並んで待っていた。昼の「六角堂」といい、夜の「第7ギョウザの店」といい、実にタイミング良く店に入ることができ、金沢の食を堪能した。ホテルに帰って少し休憩している時に、弟から電話が入った。親父が入院したと言う。次の日恵那峡のホテルの泊まり、その次の日に中津川の実家に寄る予定だったが、急遽、次の日の夕方には中津川市民病院に入るように予定を変更する。その日はとても疲れていたので、ホテルに帰り、風呂に入り、大河ドラマ「天地人」を観てから、9時に眠った。次の日は、5時に起きて、少し早めに白川郷に向かうことにした。

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