写真は南浅川を渡る両界橋からの美しい景色(これで東京都!)
八王子宿は追分町までは変化があって楽しかったのですが、その先の昭和天皇陵のある武蔵陵墓地(多摩御陵)あたりの国道20号線の単調さは、厳しい暑さと相俟って時々休憩をいれなければ、なかなか足が前に進まない気がしました。
コンビニもあまりないのですが、旧道から国道から一時的に脇道に逸れるあたりで、ようやく見つけたセブンで冷たいアイスクリームで自分に励ましの一品を与えて、一息いれました。
このコンビニのそばに町会事務所だと思うのですが、原宿会館というのがあり、その片隅に石仏群がありました。
この事務所の裏手は山王社であり、この辺りに薬師堂があったようです。
左に書かれた得本上人とは、粗食、不眠不休、五体投地の苦行など厳しい修行を行ったのち南無阿弥陀仏を唱えて日本全国を行脚し、庶民の苦難を救った江戸時代の念仏行者だそうです。
徳本(とくほん)上人についてはウィキペディアで調べてみました。
---------
徳本(とくほん、宝暦8年6月22日(1758年7月26日)? - 文政元年10月6日(1818年11月4日)?)は、江戸時代後期の浄土宗の僧。俗姓は田伏氏。号は名蓮社号誉。紀伊国日高郡の出身。徳本上人、徳本行者とも呼ばれた。
略歴
27歳のとき出家し、木食行を行った。各地を巡り昼夜不断の念仏や苦行を行い、念仏聖として知られていた。大戒を受戒しようと善導に願い梵網戒経を得、修道の徳により独学で念仏の奥義を悟ったといわれている。文化11年(1814年)、江戸増上寺典海の要請により江戸小石川伝通院の一行院に住した。一行院では庶民に十念を授けるなど教化につとめたが、特に大奥女中で帰依する者が多かったという。江戸近郊の農村を中心に念仏講を組織し、その範囲は関東・北陸・近畿まで及んだ。「流行神」と称されるほどに熱狂的に支持され、諸大名からも崇敬を受けた。徳本の念仏は、木魚と鉦を激しくたたくという独特な念仏で徳本念仏と呼ばれた。墓所は一行院。
---------
案内板に変わった字体で「南無阿弥陀仏」と書かれていますが、徳本文字という上人があみだした文字なようです。
その文字の特徴は丸みをおび、終筆がはねあがっていて、縁起が良いとされているそうです。
得本文字(画像はNotes on Typograghyよりお借りしました。)
一種のサインみたいなものでしょうか?
小林一茶と一緒に旅をしたこともあるそうで、一茶が上人のことを俳句にしています。
徳本の 腹を肥やせよ そばの花
(上人といっしょに信州を旅し、上人の一日の食事が一合のそば粉であることを知り、驚いて詠んだ句)・・・日高新報より
・・・
いけませんね。
どんどん話がそれてしまいます。
この記録も作り上げている時と実際に走った時とがかけ離れてしまいました。
余りにも話がそれすぎて、記録が追い付いていません。
今書いている記録は4月のラン、今は10月。
約半年遅れてます。
次を急ぎましょう。
高尾駅までは暑さと単調さで心身ともに疲労が重なっていく感じがしましたが、駅を通り過ぎると単調さは無くなり、国道も狭くなって徐々に旧道らしくなっていきました。
街道沿いの民家の前で大人たちがなにやら熱心にやっていると思ったら、ラジコンカーのレースでした。
昔、自分が小学生高学年の頃だったでしょうか、溝のついたコースを走るレーシングカー(スロットカー)が流行りましたね。
コースは高額だったので、皆おもちゃ屋だったか、それ専用の店だったか忘れましたが、営業用コース(サーキット)に自作のレーシングカーをもって行き走らせました。
南浅川の橋からの眺め(頭の上はJR中央線の鉄橋)
とても素晴らしい景色です。
ですが、これほど川のそばでは今年の台風15号、19号では怖かったでしょう。
もう、完全に東京から離れ山の中に入ってきましたね。
ウグイスのさえずりがもう頻繁に聞けるようになりました。
旧甲州街道ラン 高尾(西浅川)周辺
どんどん先へ進むと鉄橋が現れました。
ここへきて、道を間違えたことに気がつきました。
旧道は西浅川という交差点で国道20号線と別れるのでありました。
そこで、早速Uターン!
ココは旧道じゃないと分かるとなんだか走る気がせず、歩いて戻りました。
旧道に戻ると、道はますます旧街道らしくなるのでした。
ここから、小仏峠まで登坂になります。
いくらも登らないうちに立派な旧家が見えてきました。
高尾駒木野庭園というところで、建物は昔のお医者さんの建物で今は公園として一般公開されているものでした。
ココは是非立ち寄られることをお勧めします。
内観料は無料でした。
小仏関所跡
---------以下、八王子市のHPより
小仏関跡
江戸時代、甲州道中でもっとも堅固と言われた関所です。
天正年間(天正元年(1573年)から文禄元年(1592年))に北条氏照が武蔵国と相模国境の要衝として小仏峠の頂上に築いたのがはじまりと言われ、その後麓に下ろされ、更に北条氏滅亡後の天正18年(1590年)に関東に入った徳川家康によって、現在地に移設され整備されたといわれています。
江戸時代の絵図によると、関所には東西に門が設けられ、敷地の北側に番所が設けられていました。東門の外には川が流れ、駒木野橋が架けられていました。関所周辺には竹矢来が組まれ、川底も深くして通行人の往来を規制していました。
関所の警備は一時三人だったこともありますが、概ね四人体制で専従の関守が置かれていました。関守達は関所付近に屋敷地を貰い、江戸との繋がりも深く、地域の文化を担う文化人でもありました。
全国の関所は、明治2年(1869年)の太政官布告により廃止されます。小仏関も例外ではなく、建物は取り壊されてしまいました。現在は建物の前にあった、通行人が手形を置いた手形石と吟味を待っている間に手をついていた手付石が残っています。
明治21年(1888年)に甲州街道は小仏峠を通る道から、現在の大垂水を越える道へ路線変更されました。その後旧道を保存しようという気運が高まり、関所跡は昭和3年に国の史跡に指定されました。
現在は旧道の面影を残し、また梅の名所としても知られ、ハイキングの人たちで賑わいます。
---------
中央自動車道を走ることは多いですが、今回、足で走ってみて判りました。
その高速道路の高架下はこんなに長閑だったんですね。
だからワラーチが快適です。
都会ではひっそりとたつお地蔵さんも田舎では輝く立派な歴史的モニュメントです。
小川も水が澄んでいます。
突然に表れたブロンズ彫刻作品群がありました。
ここは彫刻工房の敷地のようですが、廃棄された彫刻が野ざらしになっていて、なんだか、雑草に埋もれた、この野ざらし彫刻群自体が野外芸術、本当のインスタレーションに見えました。
素晴らしいです!
しばらく、ココで休憩して眺めていました。
「このまま雑草ごと永久に片付けないで欲しい!」なんて勝手に思ってしまいました。
山の中の釣り堀がありました。
フライフィッシングですね。
(つづく)
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八王子宿は追分町までは変化があって楽しかったのですが、その先の昭和天皇陵のある武蔵陵墓地(多摩御陵)あたりの国道20号線の単調さは、厳しい暑さと相俟って時々休憩をいれなければ、なかなか足が前に進まない気がしました。
コンビニもあまりないのですが、旧道から国道から一時的に脇道に逸れるあたりで、ようやく見つけたセブンで冷たいアイスクリームで自分に励ましの一品を与えて、一息いれました。
このコンビニのそばに町会事務所だと思うのですが、原宿会館というのがあり、その片隅に石仏群がありました。
この事務所の裏手は山王社であり、この辺りに薬師堂があったようです。
左に書かれた得本上人とは、粗食、不眠不休、五体投地の苦行など厳しい修行を行ったのち南無阿弥陀仏を唱えて日本全国を行脚し、庶民の苦難を救った江戸時代の念仏行者だそうです。
徳本(とくほん)上人についてはウィキペディアで調べてみました。
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徳本(とくほん、宝暦8年6月22日(1758年7月26日)? - 文政元年10月6日(1818年11月4日)?)は、江戸時代後期の浄土宗の僧。俗姓は田伏氏。号は名蓮社号誉。紀伊国日高郡の出身。徳本上人、徳本行者とも呼ばれた。
略歴
27歳のとき出家し、木食行を行った。各地を巡り昼夜不断の念仏や苦行を行い、念仏聖として知られていた。大戒を受戒しようと善導に願い梵網戒経を得、修道の徳により独学で念仏の奥義を悟ったといわれている。文化11年(1814年)、江戸増上寺典海の要請により江戸小石川伝通院の一行院に住した。一行院では庶民に十念を授けるなど教化につとめたが、特に大奥女中で帰依する者が多かったという。江戸近郊の農村を中心に念仏講を組織し、その範囲は関東・北陸・近畿まで及んだ。「流行神」と称されるほどに熱狂的に支持され、諸大名からも崇敬を受けた。徳本の念仏は、木魚と鉦を激しくたたくという独特な念仏で徳本念仏と呼ばれた。墓所は一行院。
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案内板に変わった字体で「南無阿弥陀仏」と書かれていますが、徳本文字という上人があみだした文字なようです。
その文字の特徴は丸みをおび、終筆がはねあがっていて、縁起が良いとされているそうです。
得本文字(画像はNotes on Typograghyよりお借りしました。)
一種のサインみたいなものでしょうか?
小林一茶と一緒に旅をしたこともあるそうで、一茶が上人のことを俳句にしています。
徳本の 腹を肥やせよ そばの花
(上人といっしょに信州を旅し、上人の一日の食事が一合のそば粉であることを知り、驚いて詠んだ句)・・・日高新報より
・・・
いけませんね。
どんどん話がそれてしまいます。
この記録も作り上げている時と実際に走った時とがかけ離れてしまいました。
余りにも話がそれすぎて、記録が追い付いていません。
今書いている記録は4月のラン、今は10月。
約半年遅れてます。
次を急ぎましょう。
高尾駅までは暑さと単調さで心身ともに疲労が重なっていく感じがしましたが、駅を通り過ぎると単調さは無くなり、国道も狭くなって徐々に旧道らしくなっていきました。
街道沿いの民家の前で大人たちがなにやら熱心にやっていると思ったら、ラジコンカーのレースでした。
昔、自分が小学生高学年の頃だったでしょうか、溝のついたコースを走るレーシングカー(スロットカー)が流行りましたね。
コースは高額だったので、皆おもちゃ屋だったか、それ専用の店だったか忘れましたが、営業用コース(サーキット)に自作のレーシングカーをもって行き走らせました。
南浅川の橋からの眺め(頭の上はJR中央線の鉄橋)
とても素晴らしい景色です。
ですが、これほど川のそばでは今年の台風15号、19号では怖かったでしょう。
もう、完全に東京から離れ山の中に入ってきましたね。
ウグイスのさえずりがもう頻繁に聞けるようになりました。
旧甲州街道ラン 高尾(西浅川)周辺
どんどん先へ進むと鉄橋が現れました。
ここへきて、道を間違えたことに気がつきました。
旧道は西浅川という交差点で国道20号線と別れるのでありました。
そこで、早速Uターン!
ココは旧道じゃないと分かるとなんだか走る気がせず、歩いて戻りました。
旧道に戻ると、道はますます旧街道らしくなるのでした。
ここから、小仏峠まで登坂になります。
いくらも登らないうちに立派な旧家が見えてきました。
高尾駒木野庭園というところで、建物は昔のお医者さんの建物で今は公園として一般公開されているものでした。
ココは是非立ち寄られることをお勧めします。
内観料は無料でした。
小仏関所跡
---------以下、八王子市のHPより
小仏関跡
江戸時代、甲州道中でもっとも堅固と言われた関所です。
天正年間(天正元年(1573年)から文禄元年(1592年))に北条氏照が武蔵国と相模国境の要衝として小仏峠の頂上に築いたのがはじまりと言われ、その後麓に下ろされ、更に北条氏滅亡後の天正18年(1590年)に関東に入った徳川家康によって、現在地に移設され整備されたといわれています。
江戸時代の絵図によると、関所には東西に門が設けられ、敷地の北側に番所が設けられていました。東門の外には川が流れ、駒木野橋が架けられていました。関所周辺には竹矢来が組まれ、川底も深くして通行人の往来を規制していました。
関所の警備は一時三人だったこともありますが、概ね四人体制で専従の関守が置かれていました。関守達は関所付近に屋敷地を貰い、江戸との繋がりも深く、地域の文化を担う文化人でもありました。
全国の関所は、明治2年(1869年)の太政官布告により廃止されます。小仏関も例外ではなく、建物は取り壊されてしまいました。現在は建物の前にあった、通行人が手形を置いた手形石と吟味を待っている間に手をついていた手付石が残っています。
明治21年(1888年)に甲州街道は小仏峠を通る道から、現在の大垂水を越える道へ路線変更されました。その後旧道を保存しようという気運が高まり、関所跡は昭和3年に国の史跡に指定されました。
現在は旧道の面影を残し、また梅の名所としても知られ、ハイキングの人たちで賑わいます。
---------
中央自動車道を走ることは多いですが、今回、足で走ってみて判りました。
その高速道路の高架下はこんなに長閑だったんですね。
だからワラーチが快適です。
都会ではひっそりとたつお地蔵さんも田舎では輝く立派な歴史的モニュメントです。
小川も水が澄んでいます。
突然に表れたブロンズ彫刻作品群がありました。
ここは彫刻工房の敷地のようですが、廃棄された彫刻が野ざらしになっていて、なんだか、雑草に埋もれた、この野ざらし彫刻群自体が野外芸術、本当のインスタレーションに見えました。
素晴らしいです!
しばらく、ココで休憩して眺めていました。
「このまま雑草ごと永久に片付けないで欲しい!」なんて勝手に思ってしまいました。
山の中の釣り堀がありました。
フライフィッシングですね。
(つづく)
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