<まさに、インドに仏>
アッシーガートは賑やかでありながら、外れのガートということもあり、比較的変な勧誘もなく、素朴でガートの中では一番好きなガートだった。
アッシーガート
河岸で行われていたヘナアート(消えるラトゥのこと)と河岸のあちこちで見られるシヴァリンガ
だが、この日ちょっとうるさいボートマンにしつこく付きまとわれた。
いつもなら「No Boat」といって相手にしないのだが、その言い値が俺のプライドに火をつけた。
1時間Rs600だという。
バラナシでは非常に高いボート料金である。
俺は、L君たちの情報から日本人向け価格というものを聞いていた。
日本人はsitting duckと言われ、要するに「イイ鴨」なのである。
それを聞いていたので、俺はトコトン聞いてみようと思った。
俺:「お前の言ってる値段は高すぎると俺は思う。相当クレージーな値段じゃないのか。」
男:「いやいや、安いよ。とても安い値段だ。」
俺:「俺を日本人だと思って、ふっかけてるんじゃないのかね。
中国人や韓国人ならいくらになるんですか。」
男:「お前は。いくらなら乗るんだ!」
俺:「100~150ルピーしかのらないよ。」
男:「それはインド人価格だ。」
俺:「この辺の相場価格は外国人だったら150ルピーだってことを聞いてるんですよ。
しかも、朝の日の出の一番値が高くなる時間は過ぎてるし、今は一番暇な時間じゃないんですか?
なんで、600もするんですか?
バラナシにきて、初めて聞いた一番高い値ですよ。
理解できないよ。」
そいつは、冗談じゃない、そんな値段でやれるか、という意味で、あっちへ行け、みたいなポーズをした。
俺も、うるさいので清々して立ち去ろうとしたのだが、やはり男は追いかけてきたのである。
男:「300ルピーでどうだ。」
俺:「高くても150じゃなければ乗らないよ。」
男:「わかった200だ。」
俺:「おなたはさっき600ルピーといったじゃないか。
それが、なんで大幅に200まで下がるんだ。
300から200に下がるぐらいならわかる。
日本人をいい鴨だと思ってふっかけてんだろう?
あこぎな商売するな。
日本人をなめんじゃねぇ!(これは日本語)
もう、ついてくるな!」
とにかく、そいつから離れたかった。
だが、男はおれの背中めがけていったのだった。
男:「***チュース!」
それを聞いて、おれはすぐ振り向いた。
なんとかチュースというヒンズー語は悪口だということもL君たちから聞いていたので、すぐ振り向いたのである。
(それ以外にも、ヒンズー語の悪口は彼らからいくつか聞いていた。)
男はとてもビックリしたようだった。
話はそれだけの大人気ないというか、たいした話ではないのだが、その一部始終を見ていたインド人がいて、後ろから俺を追い抜いて歩いていくときに親指を立てて「良かった!」と俺に向かってニッコリ挨拶したのだった。
そう、インド人の中にも、、あまりに法外な料金をふっかける商売のやり方に嫌悪感を感じている人たちがいたのだった。
法外な勧誘で嫌な気持ちになっていたのが、スッとした瞬間だった。
上流のアッシーガートから河岸を離れ、バラナシ大学まで歩こうと思い、南下した。
大学に近づくと、病院らしき建物が多くなる。
だが、この辺でちょっとお世話になろうという気がしない。
どこかの事務所かと思えるようなもの、どう考えても普通の家だろうと思われるもの、・・・
まあ、要するに日本的でないというだけの話なのだが、注射を打たれたり、メスを入れらるのは一寸怖い。
旅立つ前には、バラナシということもあり、最高の医療保険にははいっておいたが、なるだけ、お世話だけにはなりたくないと思いながら、イザとなればこの病院かな、あっちの病院かななどと思いながら歩いた。
一見すると営業しているのかどうかさえ、わからない。
歩きながら、見たことのある景色ばかりだったが、よくよく考えてみると、駅からバラナシへ来たときのTAXIが通った道であった。
普通の人たちの家
道端にあった大木
道端にあった公共水道栓、だけどホースで自宅に引っ張って使ってる。
自慢するほどのことではないが、俺の脳は、映像としての記憶力には自信があり、一度でも見た景色、人の顔などは結構覚えている。
この道は印象深かったから、瞬間的にみた景色でも覚えていた。
(ただ、人の名前とか、映画の題名とか、そういう「言語に変換された記憶」はまるっきりで、もう痴呆にちかい。
全然覚えることができないから、暗記系のテストは全く丸出だめ夫である。
だぁーめ、だぁーめ、だぁめだめ、ありゃー零点とっちゃった!
↑クリックすると懐かしのメロディが…)
来るときに、タクシーの窓から眺めていて町中が面白そうで、旅の間に歩いてみたいと思っていた。
そこで、バラナシ大学は後日に変更とし、町中をブラブラすることに決めた。
まず、お店でコーラを購入、店の前に座って、どこを歩こうか手製の地図を見ながら検討した。
ドゥルガー寺院、バーラト・マータ寺院、そしてBeniya Parkまで歩こうと決めた。
結構な距離である。
まずは腹が減ったので、お店を探していたらイーバカフェという日本食レストランを見つけた。
入ろうかどうか迷ったのだったが、足が意思に反して勝手に店へと向かってしまった。
まだ時間が早かったせいか、客はゼロでモーニングタイム時間中だった。
200Rsで、まだ出来たばかりの日本食が食べ放題である。
お決まりの味噌汁、煮物、漬物などをまず食べた。
ご飯は炊飯器で炊かれたパサパサしてない、日本のコメである。
「なんだか無性に旨い!」と感じた自分がなんとなく情けなかった。
郷に入れば郷に従え、そう固く決意し、インドではカレー以外は絶対食うまいと思っていたのだが、・・・。
もう、旨くてバカ食いしてしまった。
朝の食べ放題
俺は、なんだか世界人失格で、島国根性剥きだしの日本人野郎だった。
やっぱ、米と味噌汁はウメェ~!
大好きなカレーなら、1週間食いっぱなしでもOKだと自信をもっていたのだが、俺のDNAが味噌汁を欲していたのだった。
食後は町中をブラブラしていたのだが、キョロキョロしていると足元への注意がおろそかになるものである。
人間、目は右左に動きやすく出来てるが、上下方向は動きが鈍い。
どうせなら、マンガ「三つ目がとおる」の三つ目族のように上下方向に動く第三の目があればいいのだが、二つ目族の俺は、なんと牛のウンチを踏んでしまったのだった。
しかも、出来立てだったため、ヌルっと滑ってしまい転倒。
体は地面に付かずに両手で支えることができたのだが、その両手のしたにもウンチがあったのだった。
日本食という踏絵を踏んでしまった罰であると、俺は後悔したのだった。
もう、俺は途方にくれた。
本当に俺はクソオヤジになってしまったのである。
その一部始終の光景を見ていたインド人御爺さんと孫らしき少年がいた。
みたところ、御爺さんは80歳ぐらい、孫は6~7歳ぐらいではないだろうか。
その御爺さんが、クソオヤジの俺をみて少年になんだかペラペラしゃべっていた。
そして、その子が俺を引っ張り、町中の井戸まで連れて行ってくれたのである。
ヒンズー語で「井戸水で手を洗え」と言ってるのだった。
少年がポンプを押してくれて、洗うのを手伝ってくれた。
その時、使った井戸と同じタイプのポンプの写真
うれしかった。
まさに、インドに仏なのだ。
俺は嬉しかったので、お礼をしようとお金を出したのだが、少年は受け取らなかった。
出した俺の方が恥ずかしかった。
だから、持っていた残りの日本の飴玉を3個あげた。
その子は御爺さんになんか言ってたけど、二人とも俺の方を見てニコッと笑ってくれたのだった。
なんだか、この時からインドは好きになったような気がする。
さて、土埃のひどくて、オートリキシャや車が走る大きな道に出て、ドゥルガー寺院へと向かった。
ここは、先日来たところなのだが、池に映る寺院が綺麗だとガイドブックに書いてあったので行くことにしたのである。
(つづく)
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アッシーガートは賑やかでありながら、外れのガートということもあり、比較的変な勧誘もなく、素朴でガートの中では一番好きなガートだった。
アッシーガート
河岸で行われていたヘナアート(消えるラトゥのこと)と河岸のあちこちで見られるシヴァリンガ
だが、この日ちょっとうるさいボートマンにしつこく付きまとわれた。
いつもなら「No Boat」といって相手にしないのだが、その言い値が俺のプライドに火をつけた。
1時間Rs600だという。
バラナシでは非常に高いボート料金である。
俺は、L君たちの情報から日本人向け価格というものを聞いていた。
日本人はsitting duckと言われ、要するに「イイ鴨」なのである。
それを聞いていたので、俺はトコトン聞いてみようと思った。
俺:「お前の言ってる値段は高すぎると俺は思う。相当クレージーな値段じゃないのか。」
男:「いやいや、安いよ。とても安い値段だ。」
俺:「俺を日本人だと思って、ふっかけてるんじゃないのかね。
中国人や韓国人ならいくらになるんですか。」
男:「お前は。いくらなら乗るんだ!」
俺:「100~150ルピーしかのらないよ。」
男:「それはインド人価格だ。」
俺:「この辺の相場価格は外国人だったら150ルピーだってことを聞いてるんですよ。
しかも、朝の日の出の一番値が高くなる時間は過ぎてるし、今は一番暇な時間じゃないんですか?
なんで、600もするんですか?
バラナシにきて、初めて聞いた一番高い値ですよ。
理解できないよ。」
そいつは、冗談じゃない、そんな値段でやれるか、という意味で、あっちへ行け、みたいなポーズをした。
俺も、うるさいので清々して立ち去ろうとしたのだが、やはり男は追いかけてきたのである。
男:「300ルピーでどうだ。」
俺:「高くても150じゃなければ乗らないよ。」
男:「わかった200だ。」
俺:「おなたはさっき600ルピーといったじゃないか。
それが、なんで大幅に200まで下がるんだ。
300から200に下がるぐらいならわかる。
日本人をいい鴨だと思ってふっかけてんだろう?
あこぎな商売するな。
日本人をなめんじゃねぇ!(これは日本語)
もう、ついてくるな!」
とにかく、そいつから離れたかった。
だが、男はおれの背中めがけていったのだった。
男:「***チュース!」
それを聞いて、おれはすぐ振り向いた。
なんとかチュースというヒンズー語は悪口だということもL君たちから聞いていたので、すぐ振り向いたのである。
(それ以外にも、ヒンズー語の悪口は彼らからいくつか聞いていた。)
男はとてもビックリしたようだった。
話はそれだけの大人気ないというか、たいした話ではないのだが、その一部始終を見ていたインド人がいて、後ろから俺を追い抜いて歩いていくときに親指を立てて「良かった!」と俺に向かってニッコリ挨拶したのだった。
そう、インド人の中にも、、あまりに法外な料金をふっかける商売のやり方に嫌悪感を感じている人たちがいたのだった。
法外な勧誘で嫌な気持ちになっていたのが、スッとした瞬間だった。
上流のアッシーガートから河岸を離れ、バラナシ大学まで歩こうと思い、南下した。
大学に近づくと、病院らしき建物が多くなる。
だが、この辺でちょっとお世話になろうという気がしない。
どこかの事務所かと思えるようなもの、どう考えても普通の家だろうと思われるもの、・・・
まあ、要するに日本的でないというだけの話なのだが、注射を打たれたり、メスを入れらるのは一寸怖い。
旅立つ前には、バラナシということもあり、最高の医療保険にははいっておいたが、なるだけ、お世話だけにはなりたくないと思いながら、イザとなればこの病院かな、あっちの病院かななどと思いながら歩いた。
一見すると営業しているのかどうかさえ、わからない。
歩きながら、見たことのある景色ばかりだったが、よくよく考えてみると、駅からバラナシへ来たときのTAXIが通った道であった。
普通の人たちの家
道端にあった大木
道端にあった公共水道栓、だけどホースで自宅に引っ張って使ってる。
自慢するほどのことではないが、俺の脳は、映像としての記憶力には自信があり、一度でも見た景色、人の顔などは結構覚えている。
この道は印象深かったから、瞬間的にみた景色でも覚えていた。
(ただ、人の名前とか、映画の題名とか、そういう「言語に変換された記憶」はまるっきりで、もう痴呆にちかい。
全然覚えることができないから、暗記系のテストは全く丸出だめ夫である。
だぁーめ、だぁーめ、だぁめだめ、ありゃー零点とっちゃった!
↑クリックすると懐かしのメロディが…)
来るときに、タクシーの窓から眺めていて町中が面白そうで、旅の間に歩いてみたいと思っていた。
そこで、バラナシ大学は後日に変更とし、町中をブラブラすることに決めた。
まず、お店でコーラを購入、店の前に座って、どこを歩こうか手製の地図を見ながら検討した。
ドゥルガー寺院、バーラト・マータ寺院、そしてBeniya Parkまで歩こうと決めた。
結構な距離である。
まずは腹が減ったので、お店を探していたらイーバカフェという日本食レストランを見つけた。
入ろうかどうか迷ったのだったが、足が意思に反して勝手に店へと向かってしまった。
まだ時間が早かったせいか、客はゼロでモーニングタイム時間中だった。
200Rsで、まだ出来たばかりの日本食が食べ放題である。
お決まりの味噌汁、煮物、漬物などをまず食べた。
ご飯は炊飯器で炊かれたパサパサしてない、日本のコメである。
「なんだか無性に旨い!」と感じた自分がなんとなく情けなかった。
郷に入れば郷に従え、そう固く決意し、インドではカレー以外は絶対食うまいと思っていたのだが、・・・。
もう、旨くてバカ食いしてしまった。
朝の食べ放題
俺は、なんだか世界人失格で、島国根性剥きだしの日本人野郎だった。
やっぱ、米と味噌汁はウメェ~!
大好きなカレーなら、1週間食いっぱなしでもOKだと自信をもっていたのだが、俺のDNAが味噌汁を欲していたのだった。
食後は町中をブラブラしていたのだが、キョロキョロしていると足元への注意がおろそかになるものである。
人間、目は右左に動きやすく出来てるが、上下方向は動きが鈍い。
どうせなら、マンガ「三つ目がとおる」の三つ目族のように上下方向に動く第三の目があればいいのだが、二つ目族の俺は、なんと牛のウンチを踏んでしまったのだった。
しかも、出来立てだったため、ヌルっと滑ってしまい転倒。
体は地面に付かずに両手で支えることができたのだが、その両手のしたにもウンチがあったのだった。
日本食という踏絵を踏んでしまった罰であると、俺は後悔したのだった。
もう、俺は途方にくれた。
本当に俺はクソオヤジになってしまったのである。
その一部始終の光景を見ていたインド人御爺さんと孫らしき少年がいた。
みたところ、御爺さんは80歳ぐらい、孫は6~7歳ぐらいではないだろうか。
その御爺さんが、クソオヤジの俺をみて少年になんだかペラペラしゃべっていた。
そして、その子が俺を引っ張り、町中の井戸まで連れて行ってくれたのである。
ヒンズー語で「井戸水で手を洗え」と言ってるのだった。
少年がポンプを押してくれて、洗うのを手伝ってくれた。
その時、使った井戸と同じタイプのポンプの写真
うれしかった。
まさに、インドに仏なのだ。
俺は嬉しかったので、お礼をしようとお金を出したのだが、少年は受け取らなかった。
出した俺の方が恥ずかしかった。
だから、持っていた残りの日本の飴玉を3個あげた。
その子は御爺さんになんか言ってたけど、二人とも俺の方を見てニコッと笑ってくれたのだった。
なんだか、この時からインドは好きになったような気がする。
さて、土埃のひどくて、オートリキシャや車が走る大きな道に出て、ドゥルガー寺院へと向かった。
ここは、先日来たところなのだが、池に映る寺院が綺麗だとガイドブックに書いてあったので行くことにしたのである。
(つづく)
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