朝は早く暗いうちから起きた。
テラスから、ほぼ満月が良く見える。
昨日でまる3日間、酒の無い生活であった。
今日も、酒のない生活であろう。
何故なら、今日はダンブッラより田舎だろうと思われる古都ポロンナルワに行く予定だからだ。
朝食は宿の娘さんが作ってくれたキリバット(米から作られるスリランカの伝統的料理である。ココナッツミルクで炊いた御飯に、辛いふりかけのルヌミリスを添えたもの)、フルーツ沢山、卵料理である。
飲み物は紅茶にしてもらった。
こちらに来てから、コーヒーの代わりに紅茶ばかりのんでいる。
食堂なんかでみていると、ビックリするほどのたっぷりミルクと砂糖を入れて飲む人が多い。
俺は、何も足さない、何も引かないピュアな紅茶が好きである。
ここから、バス停まで歩くと30分以上かかるので、トゥクトゥクを頼んだ。
軟弱な俺は、アッサリと旅の方針転換をすることにしたのだ。
昨日の経験から、大変だと思ったらトゥクトゥクやタクシーに乗ってしまうことにしたのだ。
(それまでは、たとえ闇夜でも、絶対に公共機関か、民衆が普段使用する乗り物しか乗らないつもりであった。
よくTVで路線バスの旅の番組をやってるが、あの手の番組は好きなのだ。)
意地を張らずに、ダメだと思ったらすぐ方向転換できるのは俺の長所…かな?
勿論、できるだけ大事な旅の部分は公共機関を利用することに変わりはない。
だから、宿からメインバスターミナルまでの10分ほどしか乗らないのだ。
この宿の家族も、ポロンナルワまで行くなら安心できるトゥクトゥク手配するぞと言っていたが、そんな俺の旅の仕方を説明すると「そりゃぁ、いい!」と理解してくれた。
まだ暗いのに、家族が全員出てきて見送ってくれた。
十分な施設ではないが、気持ちだけは十分すぎるほどであった。
バス停に着いたら、丁度ポロンナルワへいくバスが来ていた。
朝だから、通勤客で超満員で、出発するところである。
通勤バスなのだ。
トゥクトゥクの運転手が、バスが出発しないように止めてくれた。
とにかく、すぐさま、ザックを片手に持ち、バスの入り口のステップに足をかけ、空いた手でぶら下がった。
中にいるオジサンたちが、俺をグィグィ引っ張り上げてくれる。
荷物も、運転手のミッションシフトレバーの傍に置いてくれた。
そして、なんとか、入り口そばの安定したポジションを確保することができたのだった。
ただ、俺の目の前の緑色のサリー姿のスリランカの女性が背中でギューギュー押してくる。
実は、サリーっていうのは、背中の肌が露出しているから、
目のやり場に困ったのだった。
チョット、その女性のがっちりした肩が当たって痛い。
(日本だったら和服姿の女性が超混雑したバスに乗ってきたようなものだ。)
ただ、誰も混んでいるからと嫌な顔などしていないのが不思議である。
その女性と目が合うと、お互い笑いあったりした。
客はスリランカ人ばかりだが、ドイツ人だと思われる若いカップルがこの混雑具合を楽しそうに味わっていた。
俺と同じ考えなんだろう。
(空いてきたバス。お札を数えてるのは車掌)
ダンブッラから遠くなるにつれ、少しづつだが徐々にバスは空いてきた。
写真を撮ったりする余裕が生まれる。
この運転手は運転がかなり上手い。
バスをドンドン加速し、他の車を追い抜いていく。
かといって、急ブレーキをかけることもなく、先の先を予測しながらスイスイ走っていった。
この運転席の上には、キリストの絵が飾ってあったから、クリスチャンなんだろう。
ただ、運転手がビーチサンダルなのが気になった。
日本だったら警官にバッチリ注意されるだろう。
しかし、スリランカじゃ暑くて靴を履いている人は少ないのだ。
誰でも、サンダルを履きたくなる国だ。
Polonnaruwaの中心の時計塔
ポロンナルワに着くと、田舎の雰囲気が漂う。
バスの景色も田んぼが続いていた。
さて、着いたはいいが、バス停から宿までの地図がない。
住所からグーグルマップで検索しても、地図上では何もない平面上のポイントを指すだけだ。
バス停から、方角的に大体コッチかなという感じで歩き出した。
とにかく、適当に行くも、あまり人に会わないのだった。
こんな路地にもはいってみた
路地の途中で幼稚園発見
路地をドンドンいくと行き止まりになった。
迷っていると、行き止まりの近くの家のチョット人相が悪い青年が出てきた。
「そこは行き止まりだよ。どこへ行くんだ?」
なんだか、「こんなとこへ、きやがって」的な感じで怒っているような…?
「Hotel Ancient Villageへ行きたいんだ。」
「おおそうか、俺についてこい!」
と青年はいうのだった。
ところが、ついていったのは青年の家の中だった。
結構、敷地は広い。
やばい、どこかへ連れ込まれるのか?
青年の家は建物が3棟ぐらいあって、中庭にはお爺さん、お婆さん、子供達など家族がゴロゴロいて農作業などをしていた。
いったい、俺をどこへ連れて何をしようとしてるのか?
と思ったら、ひょっこりホテルに出たのだった。
家の中を抜けるのが近道だったのである。
「どうもありがとうございました。助かりました。」
そういったとき、青年の人相は意外に悪くないように見えたのだった。
人間の判断力なんていい加減なもんだ。
人は見かけじゃわかならい。
今回の宿は、家族で農業をやっている宿で、民宿である。
トラクターなどが庭に置いてあり、俺が着いた時は農作業中であった。
家の周りは、自分の田んぼのようだ。
部屋は広くて、清潔であり、質素だが調和の整った綺麗なものであった。
とくに、部屋の前のテラスの田んぼの景色が気に入った。
部屋の前のテラスの景色
大きなシャワールームで汗を流し、早速、遺跡巡りに出かけた。
今日一日で全部を見て回ろうというハードスケジュールである。
宿の自転車を借り、遺跡のチケット売り場に向かった。
ポロンナルワは中世(1017年~1255年)のシンハラ王朝の仏教都市で、一度はジャングルの中に消えたこともある巨大都市遺跡である。
この古代都市は、農耕と防衛の両方の目的で、灌漑設備の充実に努め、国の東部地域で乾季でも農耕可能で、自給自足の体制を作り上げた。
だから、遺跡に行く途中でみかけた「都市を守る堀」は立派で、流れる水も意外に澄んでいた。
その堀で、気持ち様さそうに水浴びする人にあった。
写真を撮ると
「気持ちいいぞ。」
と親指を立てるのであった。
この水は、首都の周囲にパラークラマ・サムドゥラ(パラークラマ海)と呼ばれる巨大な灌漑用貯水池から流れてくるものだ。
もう、昔の人が造った貯水池といっても、とても大きい。
まさに海である。
この池のほとりに遺跡博物館があり、遺跡全域共通チケット($25)が売られていた。
遺跡博物館(Google Mapより)
(つづく)
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テラスから、ほぼ満月が良く見える。
昨日でまる3日間、酒の無い生活であった。
今日も、酒のない生活であろう。
何故なら、今日はダンブッラより田舎だろうと思われる古都ポロンナルワに行く予定だからだ。
朝食は宿の娘さんが作ってくれたキリバット(米から作られるスリランカの伝統的料理である。ココナッツミルクで炊いた御飯に、辛いふりかけのルヌミリスを添えたもの)、フルーツ沢山、卵料理である。
飲み物は紅茶にしてもらった。
こちらに来てから、コーヒーの代わりに紅茶ばかりのんでいる。
食堂なんかでみていると、ビックリするほどのたっぷりミルクと砂糖を入れて飲む人が多い。
俺は、何も足さない、何も引かないピュアな紅茶が好きである。
ここから、バス停まで歩くと30分以上かかるので、トゥクトゥクを頼んだ。
軟弱な俺は、アッサリと旅の方針転換をすることにしたのだ。
昨日の経験から、大変だと思ったらトゥクトゥクやタクシーに乗ってしまうことにしたのだ。
(それまでは、たとえ闇夜でも、絶対に公共機関か、民衆が普段使用する乗り物しか乗らないつもりであった。
よくTVで路線バスの旅の番組をやってるが、あの手の番組は好きなのだ。)
意地を張らずに、ダメだと思ったらすぐ方向転換できるのは俺の長所…かな?
勿論、できるだけ大事な旅の部分は公共機関を利用することに変わりはない。
だから、宿からメインバスターミナルまでの10分ほどしか乗らないのだ。
この宿の家族も、ポロンナルワまで行くなら安心できるトゥクトゥク手配するぞと言っていたが、そんな俺の旅の仕方を説明すると「そりゃぁ、いい!」と理解してくれた。
まだ暗いのに、家族が全員出てきて見送ってくれた。
十分な施設ではないが、気持ちだけは十分すぎるほどであった。
バス停に着いたら、丁度ポロンナルワへいくバスが来ていた。
朝だから、通勤客で超満員で、出発するところである。
通勤バスなのだ。
トゥクトゥクの運転手が、バスが出発しないように止めてくれた。
とにかく、すぐさま、ザックを片手に持ち、バスの入り口のステップに足をかけ、空いた手でぶら下がった。
中にいるオジサンたちが、俺をグィグィ引っ張り上げてくれる。
荷物も、運転手のミッションシフトレバーの傍に置いてくれた。
そして、なんとか、入り口そばの安定したポジションを確保することができたのだった。
ただ、俺の目の前の緑色のサリー姿のスリランカの女性が背中でギューギュー押してくる。
実は、サリーっていうのは、背中の肌が露出しているから、
目のやり場に困ったのだった。
チョット、その女性のがっちりした肩が当たって痛い。
(日本だったら和服姿の女性が超混雑したバスに乗ってきたようなものだ。)
ただ、誰も混んでいるからと嫌な顔などしていないのが不思議である。
その女性と目が合うと、お互い笑いあったりした。
客はスリランカ人ばかりだが、ドイツ人だと思われる若いカップルがこの混雑具合を楽しそうに味わっていた。
俺と同じ考えなんだろう。
(空いてきたバス。お札を数えてるのは車掌)
ダンブッラから遠くなるにつれ、少しづつだが徐々にバスは空いてきた。
写真を撮ったりする余裕が生まれる。
この運転手は運転がかなり上手い。
バスをドンドン加速し、他の車を追い抜いていく。
かといって、急ブレーキをかけることもなく、先の先を予測しながらスイスイ走っていった。
この運転席の上には、キリストの絵が飾ってあったから、クリスチャンなんだろう。
ただ、運転手がビーチサンダルなのが気になった。
日本だったら警官にバッチリ注意されるだろう。
しかし、スリランカじゃ暑くて靴を履いている人は少ないのだ。
誰でも、サンダルを履きたくなる国だ。
Polonnaruwaの中心の時計塔
ポロンナルワに着くと、田舎の雰囲気が漂う。
バスの景色も田んぼが続いていた。
さて、着いたはいいが、バス停から宿までの地図がない。
住所からグーグルマップで検索しても、地図上では何もない平面上のポイントを指すだけだ。
バス停から、方角的に大体コッチかなという感じで歩き出した。
とにかく、適当に行くも、あまり人に会わないのだった。
こんな路地にもはいってみた
路地の途中で幼稚園発見
路地をドンドンいくと行き止まりになった。
迷っていると、行き止まりの近くの家のチョット人相が悪い青年が出てきた。
「そこは行き止まりだよ。どこへ行くんだ?」
なんだか、「こんなとこへ、きやがって」的な感じで怒っているような…?
「Hotel Ancient Villageへ行きたいんだ。」
「おおそうか、俺についてこい!」
と青年はいうのだった。
ところが、ついていったのは青年の家の中だった。
結構、敷地は広い。
やばい、どこかへ連れ込まれるのか?
青年の家は建物が3棟ぐらいあって、中庭にはお爺さん、お婆さん、子供達など家族がゴロゴロいて農作業などをしていた。
いったい、俺をどこへ連れて何をしようとしてるのか?
と思ったら、ひょっこりホテルに出たのだった。
家の中を抜けるのが近道だったのである。
「どうもありがとうございました。助かりました。」
そういったとき、青年の人相は意外に悪くないように見えたのだった。
人間の判断力なんていい加減なもんだ。
人は見かけじゃわかならい。
今回の宿は、家族で農業をやっている宿で、民宿である。
トラクターなどが庭に置いてあり、俺が着いた時は農作業中であった。
家の周りは、自分の田んぼのようだ。
部屋は広くて、清潔であり、質素だが調和の整った綺麗なものであった。
とくに、部屋の前のテラスの田んぼの景色が気に入った。
部屋の前のテラスの景色
大きなシャワールームで汗を流し、早速、遺跡巡りに出かけた。
今日一日で全部を見て回ろうというハードスケジュールである。
宿の自転車を借り、遺跡のチケット売り場に向かった。
ポロンナルワは中世(1017年~1255年)のシンハラ王朝の仏教都市で、一度はジャングルの中に消えたこともある巨大都市遺跡である。
この古代都市は、農耕と防衛の両方の目的で、灌漑設備の充実に努め、国の東部地域で乾季でも農耕可能で、自給自足の体制を作り上げた。
だから、遺跡に行く途中でみかけた「都市を守る堀」は立派で、流れる水も意外に澄んでいた。
その堀で、気持ち様さそうに水浴びする人にあった。
写真を撮ると
「気持ちいいぞ。」
と親指を立てるのであった。
この水は、首都の周囲にパラークラマ・サムドゥラ(パラークラマ海)と呼ばれる巨大な灌漑用貯水池から流れてくるものだ。
もう、昔の人が造った貯水池といっても、とても大きい。
まさに海である。
この池のほとりに遺跡博物館があり、遺跡全域共通チケット($25)が売られていた。
遺跡博物館(Google Mapより)
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