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インド洋の涙スリランカ、オッサン心の旅(キャンディ~シギリヤ・・・スリランカの山車)

2016年03月16日 | インド洋の涙スリランカ、オッサン心の旅
(結構人気ある体重計商売、1回乗るとRs.10)

スリランカ4日目に入った。
今日はキャンディからシギリヤまでいき、シギリヤロックを見学したのち、再びバスにてダッブラヘ移動、宿に荷物を置いたのち、ダッブラ洞窟寺院見学という強行スケジュールの日である。

朝、薄暗いうちからホテルを出た。
裏道を通ってメインバスターミナルへ

----旅する人のために(おまけ)---

別途、キャンディのメイン・バスターミナル案内をのっけておきます。

スリランカ キャンディ メインバスターミナル案内

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ここからシギリヤ直行便が何本かでているらしいのだが、それがどこから出て何時出発なのを確認する。

昨日、確認しておけば良かったが、ビール探し彷徨で疲れてしまい、明日考えれば良いと開き直っていた。

ターミナルで、車掌らしき人に尋ねると7:30ごろに大体あの辺から出ると指さしていう。
となると、出発まではかなり時間があった。

そこで、キャンディの町をぶらつく。


スリランカじゃ、どこへ行っても、こんな感じのパン屋がたくさんある。
中で、マックのようにイートインができる。
適当なパンを購入し食事する。
中に惣菜の入ったパンである。
というか、大体カレーが入っている。

旅行前に誰かの旅行者のブログをみたら
劇的な旨さ!
とかいてあったが、前にも書いたように俺には日本のカレーパンや惣菜パンの方が旨い気がした。

ターミナルにもお菓子屋みたいのがあるのだが、脇に散らかったゴミをみてしまうと全く買う気がしなかった。

今思うと、色々なお菓子を買って食べてみればよかったと思う。
悔いが残る。

シギリヤ直行便はガラガラであった。
大きなバスで7~8名ぐらいしか乗ってない。

バスは定刻どおり出発だ。
俺は、できるだけ前の座席に座る。
だが、不思議なことにスリランカ人もそうなのだ。
後ろの方はガラガラなのに、見知らぬ同士でも、わざわざ2人掛けの席に2人座る。


風情あるガソリンスタンド

俺の隣に、40歳ぐらいの男性が座り、話しかけてきた。
大学の哲学の先生だという。
(スリランカには哲学者みたいな顔の男の人が多い)
英語の発音も綺麗だった。

結構、喋って英会話の勉強になったと思う。
俺が日本人だとみて、俺の仕事のこと、宗教のこと、福島の原発や津波のこと、そして何故か「Panasonicは大丈夫なのか?」と意味不明のこと、など聞かれた。
学校の先生らしく、色々と日本についても詳しかった。

随分と忘れてしまった英単語も、アレコレ苦労して喋っているうちに、大学受験のころ覚えた革命的単語集「でる単」に収められたチョット難しい単語も意外に出てきたのだった。

(でる単とは: 「赤尾の豆単」のようにアルファベット順で掲載される単語集で勉強し始めた俺が、Aから始まる単語の段階で何度も挫折(abandon)していた俺を、突然、試験に出る単語だけに絞って出版してくれて、英語地獄に落ちていた俺を救ってくれた単語集
試験にでる英単語
のことである。)


昔、勉強しておいてよかった。
今頃になって役立っている。

所々の名所も教えてくれた。
スリランカ人は確かに親切だと思う。
インドに行く前に予行練習としてスリランカへ行くのが良いという人がいるが、俺にしてみればそれは逆だと思う。
スリランカ人と接するように、観光地のインド人と接したら必ず騙されるだろう。
(インドの田舎は親切な人が多い)

時々、大きな街を通過する。
道が狭くて、車両が多いのでバスはのろのろ走る。

街の商店街
(バスのガラス窓が汚れているため、映像も汚れてます。)



景色の案内をしてもらっているうちにバスが完全に止まってしまった。
警察官が数名路上で交通整理していた。
どうしたのかと思っていたら、哲学者が
Festival Car、お祭りだよ。
というのだった。


運よく、その動画は残っていた。




女子供が綱をひっぱるところも、これは、日本の山車ソックリだ。


山車が通過するとバスはまた動き出した。

シギリヤのバス停は何もないところだった。
というか、バス停はもう少し先なのだが、気をきかしてシギリヤロックに行くT字路で下してくれるのだ。



バスで下された場所にから遺跡に続く道がデーンとあった。


右手にシギリヤロックがドデカく鎮座していた。

cf. シギリヤの遺跡(ウィキペディアより)
シーギリヤの遺跡は、5世紀にカッサパ1世(在位477~495年)によって建造された、要塞化した岩上の王宮跡と、それを取り囲む水路、庭園、貯蔵施設などの都市遺構からなる。岩山の中腹には『シーギリヤ・レディ』として知られるフレスコの女性像が描かれている。当初は500体ともいわれたが、風化が進み現在は18体だけが残る。


遺跡の周りのお堀
この堀の周りを歩くと切符売り場だ。


切符は滅茶苦茶高い。
だが、世界遺産を守るためだ。
仕方ないだろう。


切符の検問所

俺は、ココに一度入場したが、聞いたらWCが遺跡の中にはないので、外に出て用を足したのち再入場した。
そのため、検問所で質問を受ける。
(先ほど出るとき説明したのだが、・・・)



まあ、バカでかい遺跡である。
しかも、王位を奪還される事を恐れ襲われるのを用心して作ったとんでもない王城である。

俺が説明するのもなんだから、以下の動画をどうぞ。




やたら、あちこちにプールがある。






ちょっと道から外れると静かな池があって、一休みした。
昨日、キャンディのスーパーマーケットで購入していた唐辛子の入ったクラッカー、チーズクラッカー、???のビスケットと、なんだかわけのわからないフルーツジュース、水を飲んだ。
あたりにいるのは、おれのクッキーが欲しい猿だけである。


とにかく、水分とエネルギーを充電しなければ、あの岸壁を登るのは困難である。




この階段を登ったところに3人組でかたまってたむろしているシツコイ日本語ガイドがいた。
たぶん、相当、暇なんだと思う。

まず、どこから来たとか、なんだかんだと声をかけられる。


俺は、高い料金はらって案内されたとしても、ソイツが静かななら構わないのだが、大抵はペラペラ、ペラペラ、うるさいからガイドは絶対に嫌だった。
金の問題じゃない。

それに、どうせガイドされても右の耳から左の耳に抜けるだけだ。
何も残らない。
一人旅の場合は、それよりも、その遺跡の雰囲気を静かに、五感で感じられるだけでいい。
そうじゃないと、行った気がしないのである。


そのうちの一人が、俺が白髪頭だと思って、「危ないよ」と手をとって階段を誘導したり、ザックの後ろから押しあげたりする。
「大丈夫だから、全く必要ないよ。」
と俺が優しく言ってもやめようとしない。

それじゃ、ジジィじゃないところをみせようと
2段抜きで階段をポンポンかけあがった。
(昔の人は相当足が小さいと思われ、遺跡の階段は奥行が狭く、つま先でかけあがるしかなく、結構やりにくい。)

それでも、いつまでも、俺についてこようとする。
とにかく、さわってくるのだ。

もう、これはインド並みのシツコサ、やり方だった。
(スリランカの代表的観光地だから仕方ないのかもしれない。)
こういうシツコサにはインド並みに対応するしかなかった。


「ふざけんじゃないよ、てめぇ~、何度言ったらわかるんだぁ!
俺に一切触るな!近寄るな!」


俺としては、シギリヤロックに木霊するかのように大声で日本語で叫んで追い払うしかなかった。

(だが、今思うと、「この遺跡には詳しいとか、専門家だとか」という嘘も方便という紳士的穏やかな手があったかもしれない。
しかし、俺にはやつらの人相が悪くみえたので、その時点で俺の紳士的思考は完全停止し、経験からの野性的条件反射行動をしていたのだった。
多分、あれだと相当カモにされている日本人がいるだろう、と直感的に思う。)

(つづく)



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