静かな日光街道杉並木を楽しんで走る俺
茶屋「お休み処叶」
江戸時代から「叶一」といブランドで味噌・醤油を販売している日野為商店が併設している施設
まだ休んでる場合じゃありません。
先を急ぎます。
何故かフクロウの像が立ってる古民家
後で調べたら、日光市出身のフクロウをモチーフにした彫刻家の「ふくろうの森 手塚登久夫石彫館」という建物みたいです。
今市総鎮守 瀧尾神社(たきのおじんじゃ)に到着
立派な鳥居です。
鳥居は、世俗と神域との境界線なのですが、じゃあなぜ鳥居というのか?、いつごろからあるのか?、それらの答えとなる説は沢山あって、本当のところは良くわかってないみたいですが、数ある説の中では「古代インドの垣の門をトラーナ(Torana)と呼び、その音が似ていることからトラーナが元となった。」というのが好きです。
トラーナ(アジアの涼風から写真をお借りしました)
古い建物ではないですが、これに似たようなものをスリランカのキャンディでみました。
門の奥には大抵仏塔が建ってましたね。
良い感じの本殿
日光周辺には瀧尾神社という名の神社が沢山ある?ようでした。
瀧尾神社とはどういった神社なのか?
調べてみましたがよくわかりません。
滝尾神社春季例大祭
この神社は、「かざぐるま」の神社らしいです。
かざぐるまといえば、風車の弥七ですよね。
まったく、関係ないですけど連想してしまいました。
そして浮かぶ、弥七の登場シーン!
弥七のテーマ
そんな弥七の気分で神社の脇から始まる日光街道杉並木を走ります!
だが、すぐ疲れて脇の綺麗な水の流れる側溝で一休み。
水が綺麗で見ていて飽きません。
街道をちょっと脇に入ると風車ならぬ水車がいくつかありました。
世界の水車ってかいてあったかな?
ただ、水量があまりなく回ってません。
ふたたび、風車の弥七気分で走ります。
突然、ドでかい農家を発見!
--------旧江連家住宅
一般社団法人日本伝統再築士会栃木支部より
江連家は江戸時代に南小倉村の世襲名主を務めた家で、建築面積は約91坪木造茅葺屋根平屋建てで間取りは、馬屋・土間・囲炉裏付き居間のほか、囲炉裏付き茶の間や納屋等座敷が6間もあります。
移築当初は茅葺屋根でしたが、平成23年(2011年)に防火上及び予算の都合で現在のような銅板葺きに葺き替えられました。規模の割には材の太さが細いという指摘もあるのですが、飢饉の影響で稼ぎが少なくなった小作人のために、普請をさせ、収入を確保したと言われています。
茅葺ではなくなってしまいましたが、真夏の暑い日でも内部はひんやりと涼しく感じられます。
--------
街道は殆ど人が通っていないのではないかという感じの路面になりました。
足元は杉の実だらけでした。
ワラーチで実を潰して踏みしめながら走りました。
これはランニングシューズでは感じられない感覚だと思います。
杉の実は工芸用として売られているみたいです。
これってどう見ても食べられそうもないですが、猿がこの実を食べてる動画がありました。
MI 0350 ニホンザル
この辺りのミョウガを採らないでください、と書いた紙発見!
ということは、この辺りで自生してるということなんですね。
かえって人に知られてしまうと思うのですが・・・。
それともミョウガを食べ過ぎて、この場所を忘れないように目印をつけたのでしょうか?
落語の『茗荷宿』を思い出します。
廃屋を発見
車もナンバーついたまま放置されていますね。
人気のない街道にどんな方が住んでいたんでしょうか?
軽トラだから農家の方ですかね。
石の鐘がありました。
こんなの見たことないです。
青雲山竜蔵寺という貧乏なお寺がこの辺にあったそうです。
その寺の石鐘です。
(後ろは薬師堂です。)
どんな音がするんでしょうか?
金属製の音じゃないですよね。
それと金をぶら下げる部分の龍頭がないです。
(図は寺子屋ネットよりお借りしました)
ぶら下げられないですね?
なんかいい感じの薬師堂。
風車の弥七は、さらに日光を目指します。
突然に旧日光街道杉並木で初めての階段が現れました。
昔からある階段なんでしょうか?
日光に続く国道が混雑し始めました。
東照宮近し、です。
JR日光駅に着きました。
まずは、東照宮を目指してまだ走ります。
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
当ブログはボランティア団体不登校・ひきこもりの親の会 FIRST STEPを応援しています。
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江戸時代から「叶一」といブランドで味噌・醤油を販売している日野為商店が併設している施設
まだ休んでる場合じゃありません。
先を急ぎます。
何故かフクロウの像が立ってる古民家
後で調べたら、日光市出身のフクロウをモチーフにした彫刻家の「ふくろうの森 手塚登久夫石彫館」という建物みたいです。
今市総鎮守 瀧尾神社(たきのおじんじゃ)に到着
立派な鳥居です。
鳥居は、世俗と神域との境界線なのですが、じゃあなぜ鳥居というのか?、いつごろからあるのか?、それらの答えとなる説は沢山あって、本当のところは良くわかってないみたいですが、数ある説の中では「古代インドの垣の門をトラーナ(Torana)と呼び、その音が似ていることからトラーナが元となった。」というのが好きです。
トラーナ(アジアの涼風から写真をお借りしました)
古い建物ではないですが、これに似たようなものをスリランカのキャンディでみました。
門の奥には大抵仏塔が建ってましたね。
良い感じの本殿
日光周辺には瀧尾神社という名の神社が沢山ある?ようでした。
瀧尾神社とはどういった神社なのか?
調べてみましたがよくわかりません。
滝尾神社春季例大祭
この神社は、「かざぐるま」の神社らしいです。
かざぐるまといえば、風車の弥七ですよね。
まったく、関係ないですけど連想してしまいました。
そして浮かぶ、弥七の登場シーン!
弥七のテーマ
そんな弥七の気分で神社の脇から始まる日光街道杉並木を走ります!
だが、すぐ疲れて脇の綺麗な水の流れる側溝で一休み。
水が綺麗で見ていて飽きません。
街道をちょっと脇に入ると風車ならぬ水車がいくつかありました。
世界の水車ってかいてあったかな?
ただ、水量があまりなく回ってません。
ふたたび、風車の弥七気分で走ります。
突然、ドでかい農家を発見!
--------旧江連家住宅
一般社団法人日本伝統再築士会栃木支部より
江連家は江戸時代に南小倉村の世襲名主を務めた家で、建築面積は約91坪木造茅葺屋根平屋建てで間取りは、馬屋・土間・囲炉裏付き居間のほか、囲炉裏付き茶の間や納屋等座敷が6間もあります。
移築当初は茅葺屋根でしたが、平成23年(2011年)に防火上及び予算の都合で現在のような銅板葺きに葺き替えられました。規模の割には材の太さが細いという指摘もあるのですが、飢饉の影響で稼ぎが少なくなった小作人のために、普請をさせ、収入を確保したと言われています。
茅葺ではなくなってしまいましたが、真夏の暑い日でも内部はひんやりと涼しく感じられます。
--------
街道は殆ど人が通っていないのではないかという感じの路面になりました。
足元は杉の実だらけでした。
ワラーチで実を潰して踏みしめながら走りました。
これはランニングシューズでは感じられない感覚だと思います。
杉の実は工芸用として売られているみたいです。
これってどう見ても食べられそうもないですが、猿がこの実を食べてる動画がありました。
MI 0350 ニホンザル
この辺りのミョウガを採らないでください、と書いた紙発見!
ということは、この辺りで自生してるということなんですね。
かえって人に知られてしまうと思うのですが・・・。
それともミョウガを食べ過ぎて、この場所を忘れないように目印をつけたのでしょうか?
落語の『茗荷宿』を思い出します。
廃屋を発見
車もナンバーついたまま放置されていますね。
人気のない街道にどんな方が住んでいたんでしょうか?
軽トラだから農家の方ですかね。
石の鐘がありました。
こんなの見たことないです。
青雲山竜蔵寺という貧乏なお寺がこの辺にあったそうです。
その寺の石鐘です。
(後ろは薬師堂です。)
どんな音がするんでしょうか?
金属製の音じゃないですよね。
それと金をぶら下げる部分の龍頭がないです。
(図は寺子屋ネットよりお借りしました)
ぶら下げられないですね?
なんかいい感じの薬師堂。
風車の弥七は、さらに日光を目指します。
突然に旧日光街道杉並木で初めての階段が現れました。
昔からある階段なんでしょうか?
日光に続く国道が混雑し始めました。
東照宮近し、です。
JR日光駅に着きました。
まずは、東照宮を目指してまだ走ります。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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