軽井沢の別荘って凄いんだね‼
たまげました。
ハィ
碓氷峠のつづきです。
細い道が続き、人のすれ違いができないです。
。
何度も団体さんのために端によって待機しました。
小さな沢もありました。
(次の画像、危険につき、嫌な人は目の焦点を合わさずサッと飛ばして次の画像までいってください。
ただ、これが自然の山の姿です。)
石の上で見つけた回虫?
白い糸みたいなものがあったんで、よく見たらユックリうねっていました。
直径0.5㎜ほどの線虫で、かなり長いです。
何かの動物の回虫でしょうか?
これを考えると
山ではワラーチなどの裸足は危険かな?
と思いました(ビビリ)
今の日本ではほとんどかからないみたいですが、戦前までは多く見られた埼玉病という風土病で、一種の寄生虫病なんですが、鉤虫症(こうちゅうしょう)なるものがあるんですよ。
鉤虫の幼虫は、自然の状態では土の中にいて、主に裸足で歩いている人の皮膚から体内に入り込んでしまいます。
そして、血流に乗って、心臓から肺へと運ばれ、のどへ移動し、 そこから消化管に入って、腸に定着するというゾゾっとする怖い病気です。
世界的にみると、熱帯から亜熱帯の湿潤な地方には広く分布しているそうです。
ただ、国内で感染した例はほとんどないので、素足のワラーチでも大丈夫かと思います。
ですが、それとは別に、登山経験者の自分としては山の怖さ(滑落や転倒時のケガ)を考えるとやはりワラーチはダメですかね。
当面、自分のワラーチによる素足ランはオンロードのみにしようと思います。
仁王門跡
見晴亭の力餅 500円
見晴らしの良いオープンテラスがあったので、ザックをおろして休みました。
あんころ餅も美味しかったけど、暖かいお茶が美味しくて御代わりをしました。
ここから、沓掛宿(中軽井沢)までほぼ下りの道になります。
熊野神社(熊野皇神社)の狛犬
どうみても、犬にみえなかったです。
顔を見ると山椒魚(さんしょううお)にソックリにみえました。
狛山椒魚ですね。
熊野神社山門
山門も本宮も、右半分は群馬県、左半分は長野県
群馬県側は「熊野神社」といい、長野県側は「熊野皇大神社」というらしいです。
下の写真の本殿脇の神社表記を見てください。
そう書いてあります。
(なんだか、統一感がないですね。)
日本武尊が建立したと伝わる古社、熊野神社
なんと、ビックリですが、宮司も御祈祷・お守り・御朱印・社務所も別になのだそうです。
よくわかりません。
昭和26年にできた宗教法人法により、都道府県ごとの神社登記が原因らしいです。
昔は一緒だったわけですね。
日本武尊も笑っていそうです。
賽銭箱も右が群馬県、左が長野県
どちらに賽銭を入れるべきか?
迷うので、両サイドの平和のため、賽銭は入れませんでした。
(なんだか、両神社の仲は良くなさそうな気がしましたので。)
熊野神社近くでガードレールの切れ目から入る旧中仙道入り口
入り口が非常に分かりにくいです。
辛うじて、案内標識がありますが、「中山道」と書かれた板が半分に割れてます。
ここからは、熊がいつ出てもおかしくない荒れた旧中仙道(山道)です。
ですから、熊鈴をつけました。
心配な人は自動車道(県道133号線)を迂回したほうがいいと思います。
ここが、本当に旧道なのだろうかというほどに道が荒れていて、人があまり通っていないようです。
泥にハマらないよう、静かに踏んでいきます。
倒木を乗り越える
道らしきところを探しながら行くのですが、歩いた跡が殆どなく、しかも泥濘になっていて携帯GPSと旧中仙道の地図アプリを頼りに進みました。
小さな砂防ダム直下を渡る
ロープが張ってあります。
何故ならスリップすると下に落ちてしまうからで、しかも泥ですべりやすい。
掴まりながら慎重に渡りました。
どうみても、街道にはみえませんが、正真正銘の旧中仙道です。
砂利道にでました。
別荘地のようです。
軽井沢ショー記念礼拝堂(1922年築)
荒れた旧道から県道に出て、快調に淡々と聖坂を下ると、まもなく「軽井沢の父」とよばれ、また福沢諭吉がアレコレと破格の支援したアレクサンダー・クロフト・ショー氏の記念礼拝堂がありました。
と、それらしく書いても、自分は全然その人のこと知りませんでした。
そこで、この際せっかくなので、どんな人か調べてみると・・・
ショーは当時、世界覇権国の大英帝国の英国国教会(トップはビクトリア女王)の教会の高教会派(支配者階級)の牧師で、同時に大英帝国の情報将校でもあったらしく、英国公使館、在京の英国人から尊敬される特別な立場に居た人だったそうです。
また、福沢諭吉は宗教にはあまり関心がない人だったらしいのですが、当時は西洋知識を学ぶといったら宣教師以外の西洋人たちから学ぶのは難しく、ショーから学ぶことは大変多かったみたいで、さらに上記のような利害関係もあって色々支援したようですね。
また、ショー自身も情報将校として、福沢の豊富な人脈を利用したようです。
そんなこともあり、お互いに親しくなって福沢諭吉の家での家庭教師や、慶應義塾の「倫理学教授」など深く交流した方の様でした。
じゃ、なんで軽井沢の父って言われてるのかというと、次の様です。
-----アレクサンダー・クロフト・ショー-----ウィキペディアより抜粋
1885年頃、リウマチを患っていたショーはたまたま訪れた長野県軽井沢に魅了され、生涯の避暑地にする。
また、軽井沢にも教会を設立する(軽井沢ショー記念礼拝堂)。
これ以降軽井沢が外国人の間で有名になる。
------------
ちょっと、道草がすぎたようです。
話を戻します。
旧軽井沢銀座
東京を除き、もっとも旧街道らしくない旧中仙道です。
いままで、在りし頃の中仙道を求めて走ってきたのですから違和感を感じて当然なんですが・・・
ものすごい人で、まるで原宿ですね。
汗をかいて走る自分だけが周囲とは異なり、浮いている感じです。
なんでこんな田舎にオシャレな人達がいるのか?
別荘族御用達として発展した商店街らしいけど、商店街というよりも「名物グルメ」の多い上品な土産屋ばかりの原宿という感じです。
それと、ちゃんと手入れされた犬を連れた人が大変多いですね。
洒落たレストランの前を汗臭いオヤジが走り抜けました。
軽井沢っていったら、軽井沢72ゴルフにしか来たことなくて、歴史ある貧乏人の自分には縁がない土地でした。
今回、ツクヅク別荘の立派さにビックリしました。
しかし、立派な家ですね。
看板も何もないから、これ、個人の別荘ですよね?
凄い!デス。
軽井沢ロンギングハウスというホテル
素晴らしいので、思わず立ち止まり写真を撮りました。
一泊いくらなんですかね?
旧雨宮敬二郎邸・新座敷
明治期の東京や横浜で顕著な経済活動を行っていた甲州(山梨県)出身の実業家たち、すなわち甲州財閥の一人の雨宮敬二郎の家だそうです。
敷地がとてつもなく広大でした。
中軽井沢駅近くにある宿に3時半頃到着、すぐ大浴場に駆け込み汗を流しました。
浴場にはまだ早い時刻のせいでしょうか、誰もいません。
誰かが、すでに入った様子もありません。
もう、のんびり、ゆったり、最高ですね。
できれば、冷たいものでも飲みながら入りたかった。
また、その間に全自動ランドリー(無料)で今日の汗がタップリ染み込んだ服の洗濯も済ませました。
風呂から出てきたら、丁度終わるところでした。
食事は外食ですので、早速「ぐるなび」で人気店を探しました。
行ってみたらテーブル席は予約で満席
ですが、一人旅なんで、なんとかカウンター席に割り込ませてもらえることになりました。
この料理とお通しの馬刺しのサラダで満腹。
飲んだのは生ビール2杯にウーロン杯1杯
宿は生まれて初めてのドミトリーでしたが、なんと泊まっていたのは自分だけ。
広くて綺麗な10人部屋を貸し切り状態でした。
大浴場のほかに、部屋専用の風呂もあり、WCも洗面台も2つで超快適でした。
一泊素泊まり5000円(軽井沢では超安い!いままでの街道旅で最安値記録!)
今宵の宿
しかも、宿の近くにローソンがありますので、とても便利でした。
外食の帰りに、夜な夜な飲むビールとツマミを買いました。
(つづく)
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ハィ
碓氷峠のつづきです。
細い道が続き、人のすれ違いができないです。
。
何度も団体さんのために端によって待機しました。
小さな沢もありました。
(次の画像、危険につき、嫌な人は目の焦点を合わさずサッと飛ばして次の画像までいってください。
ただ、これが自然の山の姿です。)
石の上で見つけた回虫?
白い糸みたいなものがあったんで、よく見たらユックリうねっていました。
直径0.5㎜ほどの線虫で、かなり長いです。
何かの動物の回虫でしょうか?
これを考えると
山ではワラーチなどの裸足は危険かな?
と思いました(ビビリ)
今の日本ではほとんどかからないみたいですが、戦前までは多く見られた埼玉病という風土病で、一種の寄生虫病なんですが、鉤虫症(こうちゅうしょう)なるものがあるんですよ。
鉤虫の幼虫は、自然の状態では土の中にいて、主に裸足で歩いている人の皮膚から体内に入り込んでしまいます。
そして、血流に乗って、心臓から肺へと運ばれ、のどへ移動し、 そこから消化管に入って、腸に定着するというゾゾっとする怖い病気です。
世界的にみると、熱帯から亜熱帯の湿潤な地方には広く分布しているそうです。
ただ、国内で感染した例はほとんどないので、素足のワラーチでも大丈夫かと思います。
ですが、それとは別に、登山経験者の自分としては山の怖さ(滑落や転倒時のケガ)を考えるとやはりワラーチはダメですかね。
当面、自分のワラーチによる素足ランはオンロードのみにしようと思います。
仁王門跡
見晴亭の力餅 500円
見晴らしの良いオープンテラスがあったので、ザックをおろして休みました。
あんころ餅も美味しかったけど、暖かいお茶が美味しくて御代わりをしました。
ここから、沓掛宿(中軽井沢)までほぼ下りの道になります。
熊野神社(熊野皇神社)の狛犬
どうみても、犬にみえなかったです。
顔を見ると山椒魚(さんしょううお)にソックリにみえました。
狛山椒魚ですね。
熊野神社山門
山門も本宮も、右半分は群馬県、左半分は長野県
群馬県側は「熊野神社」といい、長野県側は「熊野皇大神社」というらしいです。
下の写真の本殿脇の神社表記を見てください。
そう書いてあります。
(なんだか、統一感がないですね。)
日本武尊が建立したと伝わる古社、熊野神社
なんと、ビックリですが、宮司も御祈祷・お守り・御朱印・社務所も別になのだそうです。
よくわかりません。
昭和26年にできた宗教法人法により、都道府県ごとの神社登記が原因らしいです。
昔は一緒だったわけですね。
日本武尊も笑っていそうです。
賽銭箱も右が群馬県、左が長野県
どちらに賽銭を入れるべきか?
迷うので、両サイドの平和のため、賽銭は入れませんでした。
(なんだか、両神社の仲は良くなさそうな気がしましたので。)
熊野神社近くでガードレールの切れ目から入る旧中仙道入り口
入り口が非常に分かりにくいです。
辛うじて、案内標識がありますが、「中山道」と書かれた板が半分に割れてます。
ここからは、熊がいつ出てもおかしくない荒れた旧中仙道(山道)です。
ですから、熊鈴をつけました。
心配な人は自動車道(県道133号線)を迂回したほうがいいと思います。
ここが、本当に旧道なのだろうかというほどに道が荒れていて、人があまり通っていないようです。
泥にハマらないよう、静かに踏んでいきます。
倒木を乗り越える
道らしきところを探しながら行くのですが、歩いた跡が殆どなく、しかも泥濘になっていて携帯GPSと旧中仙道の地図アプリを頼りに進みました。
小さな砂防ダム直下を渡る
ロープが張ってあります。
何故ならスリップすると下に落ちてしまうからで、しかも泥ですべりやすい。
掴まりながら慎重に渡りました。
どうみても、街道にはみえませんが、正真正銘の旧中仙道です。
砂利道にでました。
別荘地のようです。
軽井沢ショー記念礼拝堂(1922年築)
荒れた旧道から県道に出て、快調に淡々と聖坂を下ると、まもなく「軽井沢の父」とよばれ、また福沢諭吉がアレコレと破格の支援したアレクサンダー・クロフト・ショー氏の記念礼拝堂がありました。
と、それらしく書いても、自分は全然その人のこと知りませんでした。
そこで、この際せっかくなので、どんな人か調べてみると・・・
ショーは当時、世界覇権国の大英帝国の英国国教会(トップはビクトリア女王)の教会の高教会派(支配者階級)の牧師で、同時に大英帝国の情報将校でもあったらしく、英国公使館、在京の英国人から尊敬される特別な立場に居た人だったそうです。
また、福沢諭吉は宗教にはあまり関心がない人だったらしいのですが、当時は西洋知識を学ぶといったら宣教師以外の西洋人たちから学ぶのは難しく、ショーから学ぶことは大変多かったみたいで、さらに上記のような利害関係もあって色々支援したようですね。
また、ショー自身も情報将校として、福沢の豊富な人脈を利用したようです。
そんなこともあり、お互いに親しくなって福沢諭吉の家での家庭教師や、慶應義塾の「倫理学教授」など深く交流した方の様でした。
じゃ、なんで軽井沢の父って言われてるのかというと、次の様です。
-----アレクサンダー・クロフト・ショー-----ウィキペディアより抜粋
1885年頃、リウマチを患っていたショーはたまたま訪れた長野県軽井沢に魅了され、生涯の避暑地にする。
また、軽井沢にも教会を設立する(軽井沢ショー記念礼拝堂)。
これ以降軽井沢が外国人の間で有名になる。
------------
ちょっと、道草がすぎたようです。
話を戻します。
旧軽井沢銀座
東京を除き、もっとも旧街道らしくない旧中仙道です。
いままで、在りし頃の中仙道を求めて走ってきたのですから違和感を感じて当然なんですが・・・
ものすごい人で、まるで原宿ですね。
汗をかいて走る自分だけが周囲とは異なり、浮いている感じです。
なんでこんな田舎にオシャレな人達がいるのか?
別荘族御用達として発展した商店街らしいけど、商店街というよりも「名物グルメ」の多い上品な土産屋ばかりの原宿という感じです。
それと、ちゃんと手入れされた犬を連れた人が大変多いですね。
洒落たレストランの前を汗臭いオヤジが走り抜けました。
軽井沢っていったら、軽井沢72ゴルフにしか来たことなくて、歴史ある貧乏人の自分には縁がない土地でした。
今回、ツクヅク別荘の立派さにビックリしました。
しかし、立派な家ですね。
看板も何もないから、これ、個人の別荘ですよね?
凄い!デス。
軽井沢ロンギングハウスというホテル
素晴らしいので、思わず立ち止まり写真を撮りました。
一泊いくらなんですかね?
旧雨宮敬二郎邸・新座敷
明治期の東京や横浜で顕著な経済活動を行っていた甲州(山梨県)出身の実業家たち、すなわち甲州財閥の一人の雨宮敬二郎の家だそうです。
敷地がとてつもなく広大でした。
中軽井沢駅近くにある宿に3時半頃到着、すぐ大浴場に駆け込み汗を流しました。
浴場にはまだ早い時刻のせいでしょうか、誰もいません。
誰かが、すでに入った様子もありません。
もう、のんびり、ゆったり、最高ですね。
できれば、冷たいものでも飲みながら入りたかった。
また、その間に全自動ランドリー(無料)で今日の汗がタップリ染み込んだ服の洗濯も済ませました。
風呂から出てきたら、丁度終わるところでした。
食事は外食ですので、早速「ぐるなび」で人気店を探しました。
行ってみたらテーブル席は予約で満席
ですが、一人旅なんで、なんとかカウンター席に割り込ませてもらえることになりました。
この料理とお通しの馬刺しのサラダで満腹。
飲んだのは生ビール2杯にウーロン杯1杯
宿は生まれて初めてのドミトリーでしたが、なんと泊まっていたのは自分だけ。
広くて綺麗な10人部屋を貸し切り状態でした。
大浴場のほかに、部屋専用の風呂もあり、WCも洗面台も2つで超快適でした。
一泊素泊まり5000円(軽井沢では超安い!いままでの街道旅で最安値記録!)
今宵の宿
しかも、宿の近くにローソンがありますので、とても便利でした。
外食の帰りに、夜な夜な飲むビールとツマミを買いました。
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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