やたら沢山咲いていた花(花の名前はわかりません)
川久保薬師堂
碓氷峠の無事通過を願うための薬師堂だが、集会所にもなっているようです。
中にはTVもあるのでそうでしょう。
薬師の湧水
綺麗な湧水です。。
一口、飲んでみましたが、冷たくておいしい。
(その後、お腹は壊さなかった。)
昔、この湧水でトコロテンを商う茶屋があったらしいです。
だから、この辺りを心太坂というらしい。
海の乾燥したテングサが必要なわけだと思うのですが、太平洋産か日本海産か?
どちらにしても遠いですね。
江戸時代には庶民の間食として好まれ、我々が現在食べてるような三杯酢に和辛子ではなく、砂糖もしくは醤油をかけて食べられたようです。
厳しい峠を前にしての塩分補給、エネルギー補給です。
ところで、なんでトコロテンは「心太」と書くんでしょうか?
疑問です。
語源を調べると、こうでした。
-----トコロテンはどうして心太と書くの?-----食育大辞典より
トコロテンの材料であるテングサは、8世紀はじめに制定された大宝律令で、租税の対象とされていたことから、古くから食用だった事がわかっていますが、なぜ「心太」と書いてトコロテンと読むようになったのか、はっきりとしたことはわかっていません。
中国から伝わったとされるテングサですが、その俗称が、「心太(ココロブト)」だったとか、元々は「心天」と書いていた、煮出したテングサが冷めて煮凝る様子から「凝海藻(コルモハ、コルモ)」と呼ばれ、これを天突きという専用の器具を用いて麺状に突き出したものを、「凝る」を語源とする「心」と、太い海藻という意味の「太」という字をあて、「心太(ココロフト、ココロブト)」というようになったのが、ココロタイ、ココロテイなどと変化し、最後にトコロテンと呼ぶようになったなど、様々な説があるようです。
------------
わかったような、わからないような?
くだらないですけど、一心太助のこと「いっしん・たすけ」じゃなくて、「ひとところ・てんすけ」と読めるなぁなんてバカな考えが浮かんできました。
いかん、いかん
次に進みましょう!
ここから、すぐに坂本宿を真っすぐ通り抜け、碓氷峠の登り土道入り口に至るまでの長い直線道路になります。
上信越自動車道の下にある原村水神宮、奥の山が刎石山(はねいしやま、標高810m)
旧中仙道はこの山を登ります。
結構、コンモリとした急こう配な山で、あれを登るのかと思うと溜息が出ます。
木曽街道六拾九次之内 坂本宿 (英泉 画)
この絵の山が刎石山です。
真っすぐな道の中央に用水が流れてますけど、実際に綺麗な用水が勢いよく流れていました。
真っすぐな登り直線道路と用水路
この登りは、緩いですが、あまりにも遠い先が見えすぎてキツイ坂です。
ココは途中から歩いてしまいました。
→
佐藤本陣跡
坂の勾配がよく判るかと思います。
走ったり、歩いたりで、もう、
ヒィヒィ
言ってます。
旅籠「かぎや」
美しい建物ですね。
先祖が高崎藩納戸役鍵番であったそうです。
旧中仙道と青松寺
阿弥陀堂(赤屋根の物置のような建物)しか残ってないお寺です。
碓氷峠の登り土道入り口
この暗い山道を入っていきます。
なんだか、熊が出そうです。
ここまで来る途中、声をかけてくれた地元の人、数人から
「熊に気を付けるように!」
と注意してくれました。
(なお、走っていると大抵の地元の人が挨拶してくれますね。)
溝状の山道
通常の山道とは違い、こんな土が山水でえぐれた様な道が殆どで、雨が降ったり、その直後であった場合は最悪な泥濘の道になりそうです。
今回でもシューズが泥濘にハマりそうな箇所が何か所かありました。
最初のうちの1時間ほどは人に全く会いませんでした。
樹が鬱蒼としていて夏だというのにヒンヤリします。
自分は何度か山で熊にあったことがあるのですが、・・・
それらは明るくて開放的な場所でバッタリ出会ったものです。
今回は今までにない緊張感がありました。
こんな暗くて深くえぐれた閉鎖的な一本溝では、熊にバッタリ出遭ったら睨み合って戦うしかないかも・・・。
まだ死にたくねぇし、
美味しい酒も飲みたいし、食べたいものも沢山あるし・・・
ということで、今回は人気(ひとけ)のない碓氷坂の関所跡(刎石山頂上付近)まで熊鈴をつけました。
カランコロンと鳴るだけで安心感があって、なんか元気が出てきました(笑)
柱状節理
-------柱状節理-----ウィキペディアより
柱状節理(ちゅうじょうせつり)は、岩体が柱状になった節理。
六角柱状のものが多いが、五角柱状や四角柱状のものもある。
玄武岩質の岩石によく見られ、マグマの冷却面と垂直に発達する。
----------
柱状節理の典型が、映画『未知との遭遇』で宇宙船の降りる場所だったデビルスタワーです。
デビルスタワー
いやはや何とも言えぬ大きな石塔です。
こんなところまで、たぶん担いで安置したのであろうが、人間技とは思えないです。
何トンあるんでしょうか?
そんな石塔があちらこちらにありました。
もしかすると、この刎石山から大きな石を切り出して、現地で刻んだのでしょうか?
平べったい石が多いですから、ちょうど良いかもしれません。
担いで山登るよりずっと楽です。
樹の幹に瘤のようなものがありました。
直径は30〜40㎝はあります。
最初、サルノコシカケかと思いましたが、そうではないようで「こぶ病」と言われている樹の奇形ではないかと思われます。
でもこれだけ大きいのは珍しいのではないでしょうか?
覗(のぞき)
坂本宿が眼下に見下ろせる場所が急に開ける場所です。
あのダラダラ直線登り坂がハッキリわかります。
風穴
溶岩の割れ目から水蒸気が出ているらしいのですが、全くそれらしくは見えません。
手を当ててみましたが、風も感じず。
ちょっとガッカリ。
弘法の井戸
完全に井戸にかかる小屋が壊れてました。
本当はこんな感じらしいです。
↓↓↓
こういうのは早く修理してほしいところです。
弘法の井戸って、結構あちらこちらにありますよね。
ちょっと、ありすぎじゃねぇ?
と思ってました。
弘法大師って、そんなにアチコチ歩き回っているように思えないし、・・・
ちょっと面白い記事を見つけました。
そこから、抜粋です。
-----日本各地にある「弘法水」とは -----より以下、抜粋
また「弘法井戸」と称される弘法水のほとんどが湧水であり、井戸であってもその地下水面は非常に浅く、湧水といって差し支えないものが多い。その湧出量は80%が毎秒1リットル以下であり、50%は毎秒0・1リットル以下のごく小規模の湧水である。
しかし、これらの湧水が自然災害の多い日本において1200年前から現在に至るまで湧出し続けているかについては、疑問の余地が多い。
もしこれが事実であれば、水文科学的には非常に珍しい湧水である。
実際には、街道が整備され日本各地に布教ができるようになった江戸時代に、高野聖が弘法大師由来の水として伝えた湧水がほとんどではないかと考えられる。
------------
記事の中にもあるんですが、弘法の井戸が全国で1500ぐらいあって、其の多さに驚きます。
次に多いのが、なんとあの安倍晴明の清明水で、グンと減って70ぐらい、その次が日蓮の日蓮水で40ぐらいだそうです。
杉木立の中をスロージョグ
この辺りは、平らで気持ちがいい尾根道です。
南向馬頭観音(1791年建立)
夏は暑そうです。
日当たりの良いところに建てた馬頭観音様で、日陰の中にある北向馬頭観音もあります。
とにかく、さすが街道ですね。
馬が人の移動や荷運びの手段であり、家族同様であった愛馬のために建てた供養塔です。
前にも書いたかもしれませんが、インドでは馬頭観音はハヤグリーヴァといって、ヒンドゥー教の最高神ヴィシュヌの異名です。
ハヤグリーヴァ
日当たりの良い尾根道
この辺りから、人によく出会うようになりました。
それも、不思議なことに欧米系外国人。
集団の場合もあるし、ひとりで歩いている方もいました。
皆さん、かならず「こにちは!」
北向馬頭観音(1818年建立)
こちらは、冬は寒そうです。
へそ曲がりの木
これをみて、すぐ広重の不忍池の浮世絵を思い出しました。
ぎゅっと捩じれずに、大きな綺麗な輪になれば美形の樹として、中仙道の名所になったかもしれません。
歌川広重 名所江戸百景
上野清水堂不忍ノ池
ドロドロの道
道の真ん中は、シューズが沈み込むほどドロドロです。
広めの道のところは端のぬかるんでないところを進んで、狭ばめのところは、「右足は右脇の乾いた所、左足は左脇の乾いた所」に交互に足を出してピョンピョン飛び跳ねながら進みました。
あのTBSの番組SASUKEのスタートのように(笑)
手毬のようなツリバナマユミを見つけました。
赤い実が大量にぶらさがって風に揺れていました。
もうすぐ線に沿ってパカッと割れてオレンジの種がぶら下がるはずです。
(つづく)
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川久保薬師堂
碓氷峠の無事通過を願うための薬師堂だが、集会所にもなっているようです。
中にはTVもあるのでそうでしょう。
薬師の湧水
綺麗な湧水です。。
一口、飲んでみましたが、冷たくておいしい。
(その後、お腹は壊さなかった。)
昔、この湧水でトコロテンを商う茶屋があったらしいです。
だから、この辺りを心太坂というらしい。
海の乾燥したテングサが必要なわけだと思うのですが、太平洋産か日本海産か?
どちらにしても遠いですね。
江戸時代には庶民の間食として好まれ、我々が現在食べてるような三杯酢に和辛子ではなく、砂糖もしくは醤油をかけて食べられたようです。
厳しい峠を前にしての塩分補給、エネルギー補給です。
ところで、なんでトコロテンは「心太」と書くんでしょうか?
疑問です。
語源を調べると、こうでした。
-----トコロテンはどうして心太と書くの?-----食育大辞典より
トコロテンの材料であるテングサは、8世紀はじめに制定された大宝律令で、租税の対象とされていたことから、古くから食用だった事がわかっていますが、なぜ「心太」と書いてトコロテンと読むようになったのか、はっきりとしたことはわかっていません。
中国から伝わったとされるテングサですが、その俗称が、「心太(ココロブト)」だったとか、元々は「心天」と書いていた、煮出したテングサが冷めて煮凝る様子から「凝海藻(コルモハ、コルモ)」と呼ばれ、これを天突きという専用の器具を用いて麺状に突き出したものを、「凝る」を語源とする「心」と、太い海藻という意味の「太」という字をあて、「心太(ココロフト、ココロブト)」というようになったのが、ココロタイ、ココロテイなどと変化し、最後にトコロテンと呼ぶようになったなど、様々な説があるようです。
------------
わかったような、わからないような?
くだらないですけど、一心太助のこと「いっしん・たすけ」じゃなくて、「ひとところ・てんすけ」と読めるなぁなんてバカな考えが浮かんできました。
いかん、いかん
次に進みましょう!
ここから、すぐに坂本宿を真っすぐ通り抜け、碓氷峠の登り土道入り口に至るまでの長い直線道路になります。
上信越自動車道の下にある原村水神宮、奥の山が刎石山(はねいしやま、標高810m)
旧中仙道はこの山を登ります。
結構、コンモリとした急こう配な山で、あれを登るのかと思うと溜息が出ます。
木曽街道六拾九次之内 坂本宿 (英泉 画)
この絵の山が刎石山です。
真っすぐな道の中央に用水が流れてますけど、実際に綺麗な用水が勢いよく流れていました。
真っすぐな登り直線道路と用水路
この登りは、緩いですが、あまりにも遠い先が見えすぎてキツイ坂です。
ココは途中から歩いてしまいました。
→
佐藤本陣跡
坂の勾配がよく判るかと思います。
走ったり、歩いたりで、もう、
ヒィヒィ
言ってます。
旅籠「かぎや」
美しい建物ですね。
先祖が高崎藩納戸役鍵番であったそうです。
旧中仙道と青松寺
阿弥陀堂(赤屋根の物置のような建物)しか残ってないお寺です。
碓氷峠の登り土道入り口
この暗い山道を入っていきます。
なんだか、熊が出そうです。
ここまで来る途中、声をかけてくれた地元の人、数人から
「熊に気を付けるように!」
と注意してくれました。
(なお、走っていると大抵の地元の人が挨拶してくれますね。)
溝状の山道
通常の山道とは違い、こんな土が山水でえぐれた様な道が殆どで、雨が降ったり、その直後であった場合は最悪な泥濘の道になりそうです。
今回でもシューズが泥濘にハマりそうな箇所が何か所かありました。
最初のうちの1時間ほどは人に全く会いませんでした。
樹が鬱蒼としていて夏だというのにヒンヤリします。
自分は何度か山で熊にあったことがあるのですが、・・・
それらは明るくて開放的な場所でバッタリ出会ったものです。
今回は今までにない緊張感がありました。
こんな暗くて深くえぐれた閉鎖的な一本溝では、熊にバッタリ出遭ったら睨み合って戦うしかないかも・・・。
まだ死にたくねぇし、
美味しい酒も飲みたいし、食べたいものも沢山あるし・・・
ということで、今回は人気(ひとけ)のない碓氷坂の関所跡(刎石山頂上付近)まで熊鈴をつけました。
カランコロンと鳴るだけで安心感があって、なんか元気が出てきました(笑)
柱状節理
-------柱状節理-----ウィキペディアより
柱状節理(ちゅうじょうせつり)は、岩体が柱状になった節理。
六角柱状のものが多いが、五角柱状や四角柱状のものもある。
玄武岩質の岩石によく見られ、マグマの冷却面と垂直に発達する。
----------
柱状節理の典型が、映画『未知との遭遇』で宇宙船の降りる場所だったデビルスタワーです。
デビルスタワー
いやはや何とも言えぬ大きな石塔です。
こんなところまで、たぶん担いで安置したのであろうが、人間技とは思えないです。
何トンあるんでしょうか?
そんな石塔があちらこちらにありました。
もしかすると、この刎石山から大きな石を切り出して、現地で刻んだのでしょうか?
平べったい石が多いですから、ちょうど良いかもしれません。
担いで山登るよりずっと楽です。
樹の幹に瘤のようなものがありました。
直径は30〜40㎝はあります。
最初、サルノコシカケかと思いましたが、そうではないようで「こぶ病」と言われている樹の奇形ではないかと思われます。
でもこれだけ大きいのは珍しいのではないでしょうか?
覗(のぞき)
坂本宿が眼下に見下ろせる場所が急に開ける場所です。
あのダラダラ直線登り坂がハッキリわかります。
風穴
溶岩の割れ目から水蒸気が出ているらしいのですが、全くそれらしくは見えません。
手を当ててみましたが、風も感じず。
ちょっとガッカリ。
弘法の井戸
完全に井戸にかかる小屋が壊れてました。
本当はこんな感じらしいです。
↓↓↓
こういうのは早く修理してほしいところです。
弘法の井戸って、結構あちらこちらにありますよね。
ちょっと、ありすぎじゃねぇ?
と思ってました。
弘法大師って、そんなにアチコチ歩き回っているように思えないし、・・・
ちょっと面白い記事を見つけました。
そこから、抜粋です。
-----日本各地にある「弘法水」とは -----より以下、抜粋
また「弘法井戸」と称される弘法水のほとんどが湧水であり、井戸であってもその地下水面は非常に浅く、湧水といって差し支えないものが多い。その湧出量は80%が毎秒1リットル以下であり、50%は毎秒0・1リットル以下のごく小規模の湧水である。
しかし、これらの湧水が自然災害の多い日本において1200年前から現在に至るまで湧出し続けているかについては、疑問の余地が多い。
もしこれが事実であれば、水文科学的には非常に珍しい湧水である。
実際には、街道が整備され日本各地に布教ができるようになった江戸時代に、高野聖が弘法大師由来の水として伝えた湧水がほとんどではないかと考えられる。
------------
記事の中にもあるんですが、弘法の井戸が全国で1500ぐらいあって、其の多さに驚きます。
次に多いのが、なんとあの安倍晴明の清明水で、グンと減って70ぐらい、その次が日蓮の日蓮水で40ぐらいだそうです。
杉木立の中をスロージョグ
この辺りは、平らで気持ちがいい尾根道です。
南向馬頭観音(1791年建立)
夏は暑そうです。
日当たりの良いところに建てた馬頭観音様で、日陰の中にある北向馬頭観音もあります。
とにかく、さすが街道ですね。
馬が人の移動や荷運びの手段であり、家族同様であった愛馬のために建てた供養塔です。
前にも書いたかもしれませんが、インドでは馬頭観音はハヤグリーヴァといって、ヒンドゥー教の最高神ヴィシュヌの異名です。
ハヤグリーヴァ
日当たりの良い尾根道
この辺りから、人によく出会うようになりました。
それも、不思議なことに欧米系外国人。
集団の場合もあるし、ひとりで歩いている方もいました。
皆さん、かならず「こにちは!」
北向馬頭観音(1818年建立)
こちらは、冬は寒そうです。
へそ曲がりの木
これをみて、すぐ広重の不忍池の浮世絵を思い出しました。
ぎゅっと捩じれずに、大きな綺麗な輪になれば美形の樹として、中仙道の名所になったかもしれません。
歌川広重 名所江戸百景
上野清水堂不忍ノ池
ドロドロの道
道の真ん中は、シューズが沈み込むほどドロドロです。
広めの道のところは端のぬかるんでないところを進んで、狭ばめのところは、「右足は右脇の乾いた所、左足は左脇の乾いた所」に交互に足を出してピョンピョン飛び跳ねながら進みました。
あのTBSの番組SASUKEのスタートのように(笑)
手毬のようなツリバナマユミを見つけました。
赤い実が大量にぶらさがって風に揺れていました。
もうすぐ線に沿ってパカッと割れてオレンジの種がぶら下がるはずです。
(つづく)
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