歌川広重『富士三十六景 武蔵越かや在』
江戸・日本橋から数えて3番目の日光街道および奥州街道の宿場町、越谷宿は他にも古い家がありました。
「鍛冶忠」という雑貨屋
この辺りは、古い町並みが残ってます。
このコインパーキングの向こうが「はかり屋」
築120年、大きな古民家であった旧大野邸 秤屋(はかりや)を再生した複合施設「はかり屋」
今年、4月にオーブンしたばかりらしい。
お店が7店舗ほど入っている
素晴らしいです
日本家屋は綺麗ですね。
世界一美しいと私は思います。
元荒川を渡り、北越谷に入りました。
雲の流れがはやいです。
道端に馬頭観音?、他、いくつかの石仏が民家の片隅の方に重ねて寄せられておりました。
いつかは無くなってしまうのでしょうね。
残念です。
ファミマで休憩、食事を摂りました。
天気はすでにカンカン日照りでしたから、塩分が不足気味でしたので、ソースたっぷり漬けのハムカツも購入。
イートインスペースはなかったので、熱い日差しの中、外のベンチで休みました。
こんなバカっ晴れの天気です。
ただ、カラッとはしてませんよ。
濡れた路面からのモヤっとした湿度感は写真には出てませんね。
ダルマ製造の会社の様です。
他にもダルマ販売の店をみました。
越谷もダルマが有名のようです。
越谷市のHPより抜粋
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越谷だるまの特徴
越谷だるまは、他のだるまに比べて、色が白く、鼻がやや高い上品で優しい顔立ちが特徴です。
これは、生産地である越谷近辺が、主な出荷先であった江戸からの距離が近く、輸送の際に鼻を高くしても破損することがなかったためと考えられています。
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せんげん台交差点を過ぎ戸井橋をわたりました。
歓喜院という真言宗豊山派のお寺の脇に、小さいながらも、なかなか立派な神社がありました。
大枝香取神社というらしく、この辺り、すなわち武里村の鎮守様で、武里には香取神社が3つあるらしいです。
この左にある赤い屋根は舞台になっていて、4月のお祭りに神楽舞の奉納があるそうです。
香取神社というのは大体が関東地方の古代に沼地だったところに多く、このあたりも沼地であったと思います。
千葉県香取市の香取神社が総本社ですね。
図はウィキペディアの香取海(かとりのうみ)より
図の斜線部は古代は海ですから、ビックリしますね。
千葉の先っぽの方はもう、島ですね。
春日部市に入りました。
そして、一の割駅近くでマックに入りました。
暑さでバテバテでした。
Tシャツはびしょ濡れ。
トイレでシャツを着替えました。
(こうなることは予想してましたので替えのTシャツは持ってました。)
コーラのLサイズを時間をかけて飲みました。
ポテトは塩気があってよいのですが、脂っこいものは食欲がありません。
店員の掃除しているオバサンが
「あら、その大きな編み傘いいわね。」
と話しかけるのですが、疲労困憊なので、
「ええ、…」
と返答するのが精一杯でした。
目的地であった杉戸宿までいくのはやめて、一ノ割駅から帰ろうかと思いました。
ただ、体中塩が吹いた身体をお風呂で流してサッパリしてから帰りたかった。
サッパリせずにビールを飲むのは美味くありません。
杉戸宿にはスーパー銭湯があるのです。
もう少し、頑張ってみてダメそうなら、近くの駅から帰ろうということに決めました。
もう、自分の年を考えたら無理することないですから。
火照った体もおさまり、水分もとったので、とりあえず、歩くことから始めました。
(「とりあえず様子見」作戦ですね。尚、持参していた塩も舐めました)
道路わきの小さな三角敷地に寂し気な石塔がありました。
雑草とかないので、手入れはされているようです。
一の宮という大きな交差点で国道4号線と旧道は別れますが、わかれてすぐ右手に大きなお寺がありました。
芭蕉が泊まったかもしれないというお寺です。
東陽寺
本殿前の曽良の日記の碑
「廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」と書いてあります。
アレコレ調べていたら、
春日部で、円空と芭蕉が出逢っていたという話
というブログ記事がありました。
(興味ある人はリンクから読んでください。)
たしかに、松尾芭蕉(1644-1694)と円空(1632-1695)は同じ時代を生き、ともに旅に生きた人ですね。
春日部で二人は会ったかもしれないという楽しい夢のような話です。
しかも、この東陽寺であるかもしれないという、もし本当なら凄い話です。
また、立松和平のこんな本も見つけました。
---------
内容(「BOOK」データベースより)
俳聖・松尾芭蕉と作仏聖・円空。同時代を生き、捨身行脚の旅をした両者であるが、その旅の目的には、大きな違いがあった。蕉風俳諧を確立して、自己を追求した芭蕉に対し、円空は庶民のために十二万体造仏を誓願し、他者救済に自らの生涯を捧げた。行動派作家の立松和平が、二人の足跡を辿りながら旅の本質を語る。
---------
早速、図書館にないか、調べたのですが新宿区にはなく、Amazonで中古がたった一冊のみあったので、注文しました。
楽しみです。
(つづく)
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江戸・日本橋から数えて3番目の日光街道および奥州街道の宿場町、越谷宿は他にも古い家がありました。
「鍛冶忠」という雑貨屋
この辺りは、古い町並みが残ってます。
このコインパーキングの向こうが「はかり屋」
築120年、大きな古民家であった旧大野邸 秤屋(はかりや)を再生した複合施設「はかり屋」
今年、4月にオーブンしたばかりらしい。
お店が7店舗ほど入っている
素晴らしいです
日本家屋は綺麗ですね。
世界一美しいと私は思います。
元荒川を渡り、北越谷に入りました。
雲の流れがはやいです。
道端に馬頭観音?、他、いくつかの石仏が民家の片隅の方に重ねて寄せられておりました。
いつかは無くなってしまうのでしょうね。
残念です。
ファミマで休憩、食事を摂りました。
天気はすでにカンカン日照りでしたから、塩分が不足気味でしたので、ソースたっぷり漬けのハムカツも購入。
イートインスペースはなかったので、熱い日差しの中、外のベンチで休みました。
こんなバカっ晴れの天気です。
ただ、カラッとはしてませんよ。
濡れた路面からのモヤっとした湿度感は写真には出てませんね。
ダルマ製造の会社の様です。
他にもダルマ販売の店をみました。
越谷もダルマが有名のようです。
越谷市のHPより抜粋
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越谷だるまの特徴
越谷だるまは、他のだるまに比べて、色が白く、鼻がやや高い上品で優しい顔立ちが特徴です。
これは、生産地である越谷近辺が、主な出荷先であった江戸からの距離が近く、輸送の際に鼻を高くしても破損することがなかったためと考えられています。
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せんげん台交差点を過ぎ戸井橋をわたりました。
歓喜院という真言宗豊山派のお寺の脇に、小さいながらも、なかなか立派な神社がありました。
大枝香取神社というらしく、この辺り、すなわち武里村の鎮守様で、武里には香取神社が3つあるらしいです。
この左にある赤い屋根は舞台になっていて、4月のお祭りに神楽舞の奉納があるそうです。
香取神社というのは大体が関東地方の古代に沼地だったところに多く、このあたりも沼地であったと思います。
千葉県香取市の香取神社が総本社ですね。
図はウィキペディアの香取海(かとりのうみ)より
図の斜線部は古代は海ですから、ビックリしますね。
千葉の先っぽの方はもう、島ですね。
春日部市に入りました。
そして、一の割駅近くでマックに入りました。
暑さでバテバテでした。
Tシャツはびしょ濡れ。
トイレでシャツを着替えました。
(こうなることは予想してましたので替えのTシャツは持ってました。)
コーラのLサイズを時間をかけて飲みました。
ポテトは塩気があってよいのですが、脂っこいものは食欲がありません。
店員の掃除しているオバサンが
「あら、その大きな編み傘いいわね。」
と話しかけるのですが、疲労困憊なので、
「ええ、…」
と返答するのが精一杯でした。
目的地であった杉戸宿までいくのはやめて、一ノ割駅から帰ろうかと思いました。
ただ、体中塩が吹いた身体をお風呂で流してサッパリしてから帰りたかった。
サッパリせずにビールを飲むのは美味くありません。
杉戸宿にはスーパー銭湯があるのです。
もう少し、頑張ってみてダメそうなら、近くの駅から帰ろうということに決めました。
もう、自分の年を考えたら無理することないですから。
火照った体もおさまり、水分もとったので、とりあえず、歩くことから始めました。
(「とりあえず様子見」作戦ですね。尚、持参していた塩も舐めました)
道路わきの小さな三角敷地に寂し気な石塔がありました。
雑草とかないので、手入れはされているようです。
一の宮という大きな交差点で国道4号線と旧道は別れますが、わかれてすぐ右手に大きなお寺がありました。
芭蕉が泊まったかもしれないというお寺です。
東陽寺
本殿前の曽良の日記の碑
「廿七日夜 カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」と書いてあります。
アレコレ調べていたら、
春日部で、円空と芭蕉が出逢っていたという話
というブログ記事がありました。
(興味ある人はリンクから読んでください。)
たしかに、松尾芭蕉(1644-1694)と円空(1632-1695)は同じ時代を生き、ともに旅に生きた人ですね。
春日部で二人は会ったかもしれないという楽しい夢のような話です。
しかも、この東陽寺であるかもしれないという、もし本当なら凄い話です。
また、立松和平のこんな本も見つけました。
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内容(「BOOK」データベースより)
俳聖・松尾芭蕉と作仏聖・円空。同時代を生き、捨身行脚の旅をした両者であるが、その旅の目的には、大きな違いがあった。蕉風俳諧を確立して、自己を追求した芭蕉に対し、円空は庶民のために十二万体造仏を誓願し、他者救済に自らの生涯を捧げた。行動派作家の立松和平が、二人の足跡を辿りながら旅の本質を語る。
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早速、図書館にないか、調べたのですが新宿区にはなく、Amazonで中古がたった一冊のみあったので、注文しました。
楽しみです。
(つづく)
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