その昔、私がまだ愛媛の片田舎の中学生だったころ、理科の先生がこんな話をしてくれた。
「先生が子どもの頃、誕生日に日記帳をもらったんだ。
それがうれしくてね。ぼくは毎日日記をつけることにした。
でも、毎日書こうと思っても、書くことがない。
そこで、ぼくは、日記を書くためにいろんなことをした。
隣の柿の木にのぼって柿を盗んで叱られたり、
親戚のオジサンにいたずらして叱られたり、
はたまた立ち入り禁止の場所に潜り込んでみたり・・
つまり、冒険をしたわけだ。
そして、夜になるとそれを日記に書く。
ぼくは日記を書くために、毎日いろんなことをしたよ。
そうして、気がつくと、ぼくはいっぱしの冒険家になっていた。
君たちも、毎日日記を書くつもりで、冒険してみるといい。
日常というのは退屈なように見えて、実はいろんな冒険のチャンスがあるんだ。
それをぜひ自分で見つけてほしい・・」
とまあ、こんなふうな話だった。
理科のことは何一つ覚えていないけれど(残念ながら先生の名前も忘れた)、毎日日記を書くために冒険をした、という話は強烈に私の記憶に刻まれた。
「冒険」と「書くこと」が結びついた瞬間だった。
そして、書くことそれ自体もまたある種の冒険なのだ、と後に私は考えるようになった。
先生、ありがとう。
せめてお名前を憶えていればよかったのですが…
「先生が子どもの頃、誕生日に日記帳をもらったんだ。
それがうれしくてね。ぼくは毎日日記をつけることにした。
でも、毎日書こうと思っても、書くことがない。
そこで、ぼくは、日記を書くためにいろんなことをした。
隣の柿の木にのぼって柿を盗んで叱られたり、
親戚のオジサンにいたずらして叱られたり、
はたまた立ち入り禁止の場所に潜り込んでみたり・・
つまり、冒険をしたわけだ。
そして、夜になるとそれを日記に書く。
ぼくは日記を書くために、毎日いろんなことをしたよ。
そうして、気がつくと、ぼくはいっぱしの冒険家になっていた。
君たちも、毎日日記を書くつもりで、冒険してみるといい。
日常というのは退屈なように見えて、実はいろんな冒険のチャンスがあるんだ。
それをぜひ自分で見つけてほしい・・」
とまあ、こんなふうな話だった。
理科のことは何一つ覚えていないけれど(残念ながら先生の名前も忘れた)、毎日日記を書くために冒険をした、という話は強烈に私の記憶に刻まれた。
「冒険」と「書くこと」が結びついた瞬間だった。
そして、書くことそれ自体もまたある種の冒険なのだ、と後に私は考えるようになった。
先生、ありがとう。
せめてお名前を憶えていればよかったのですが…