「ミニマリストをめざそう!⑥」で私はこう書きました。
「それでも、命がある限り大丈夫、何とかなる、と私は確信しています。
それなのに、なぜ目の前のモノを捨てるのがこんなに難しいのだろうか??
謎だ。」
というわけで、この謎を解明すべく考察していたら、たまたま断捨離の元祖、やましたひでこさんのこんな言葉に出会いました。
「得たい時に得たい物を得られる自分」
青木さやかさんの冷蔵庫の断捨離をしている最中に、青木さんが外国の調味料を手に取って「これはなかなか手に入らないから」と言った一言を受けての、やましたひでこさんの言葉です。
やましたひでこさんは断捨離の元祖なのですが、苫米地氏と同様ちょっと難しい。
でも、これはわかりやすかった。
青木さやかさんが「これはなかなか手に入らない」と言ったのは、自分にはその能力がない、と宣言したようなもの。叶姉妹なら「タイに行けば手に入るわ」と簡単に言うんじゃないかしら、と。
つまり自己能力の自己評価(これを苫米地氏はエフィカシーと呼んでいますが)が低いので、「なかなか手に入らない」と無意識のうちに思い込んでいる、というわけです。
私が「目の前のモノを捨てるのがこんなに難しい」のは、捨てたらもう手に入らないかもしれない、あるいは手に入れるにはお金を払わねばならず、そんな余裕が私にはない、と宣言しているようなものなのですね。
二度の逃亡劇を経験し、モノやしがらみを手放して自由にはなったけれど、気づけば貧乏のどん底暮らし。しかも長年それが続いたので、習い性となり、むやみにモノを捨てることができない体質になっていた、というわけ。
かくして、謎は解明された。
では、どうすれば自己能力の自己評価(エフィカシー)を上げることができるだろう?
「得たい時に得たい物を得られる自分」になれるのだろうか?
次回考えてみたいと思います。
断捨離とは「気づいていくプロセス」だとやましたひでこさんは言ってます。たしかにねえ~
そこで、最近気づいたことを一つ。
ネットの世界は思った以上に自由だ。
Kindle本も(一応Amazonのチェックが入るけど)たいていOK。
お試しに子どもの絵を画集として出版したっていい。売れるかどうかはともかく。
Twitterでもどんどんつぶやいていけばいい。炎上するのはごく一部。怖がることはない。
何事も挑戦と思ってやってみる。ダメなら撤退すればいい。
シニアには未知の世界なので、怖がる人が多いけど、案外大丈夫なのです。
ということを、かさこさんが教えてくれた、と気づいたのでした。