「天地明察」の安井算哲に続き、同じく江戸時代に天文学を修め、日本の地図を作った伊能忠敬、
その伊能忠敬にまつわる映画がこれです(「天地明察」については2023年12月26日の記事参照)。
「大河への道」(中西健二監督 2022年 松竹)
伊能忠敬については日本地図を作った人、ということくらいしか知らなかったのですが、
この映画を観て、当時の測量のやり方や地図製作に関わった人たちのことなど詳しく知る事ができました。
「天地明察」同様、この時代の日本人て凄かったんだなあ、というのが率直な感想です。
当時は、カメラや印刷機はおろか、鉛筆や消しゴムさえない。すべてを正確に筆で書いて汚さぬように編纂しなくてはいけないのですから、細心の注意と技術が必要なわけです。この時代の人々(多くの名もない人々)の英知と技術はすごいと改めて思いました。
それはさておき、
映画はまず伊能忠敬が亡くなるシーンから始まります。
伊能忠敬の映画なのに。
そして突然場面は現代に変わり、
千葉県香取市の観光課の池本という人物が登場します。
彼は地元の有名人である「ちゅうけいさん」こと伊能忠敬をNHKの大河ドラマに起用してもらいたいと考えている。
え、大河への道って、NHKの大河ドラマへの道、だったのね、とここで気づくわけ。
大河ドラマを実現させようと奔走する池本を中心に、コミカルな笑いを誘いつつ映画は進行します。
ところが、
伊能忠敬は日本の地図を完成する前に亡くなっていた、という事実が判明し、伊能忠敬を大河ドラマにするのは無理だという話になっていきます。
場面は再び伊能忠敬の時代。
伊能の遺志を継いだ弟子たちは、伊能がまだ生きていると偽装工作をして幕府を手計り、伊能の偉業を達成すべく協力しあって、実際に伊能忠敬が思い描いていたとおりの地図を完成させる、というのが全体のストーリーです。
伊能忠敬の遺志を継ぐ人々の伊能忠敬への尊敬の念、そして地図にかける想いが痛切に伝わってきて、最後はもう感動の嵐という展開になります。
ここで伊能忠敬の生涯について少しだけ触れておきます。
伊能忠敬は1745年に生まれ、1818年に死去。
50歳の時に当時幕府の天文方であった高橋至時(よしとき)に師事し、天文学や暦学を学ぶ。
56歳から17年かけて全国を測量し、73歳の時に道半ばで死去。忠敬の遺志を継いだ弟子たちが彼の偉業を達成すべく、その後3年かけて未測量の地を測量して、1821年に「大日本沿海興地全図」を完成させた。
(実測図とほぼ変わらない伊能忠敬の日本地図。これが200年前に完成されていたという驚愕の事実)
50歳で31歳の高橋至時に師事し(!)天文学と暦学を修め(!)56歳から17年(!)もかけて日本全国を歩き回って測量したのですよ!!!
シニアの星☆☆☆と命名したい!! 一番星と!
一体、200年も前にどうやって日本地図を完成させたのか?
答えはシンプル。一歩一歩、歩いて測ったのです。
それがどれほどの偉業だったか、言葉ではとうてい表すことはできません。
そういう人物が日本にはかつて存在し、それが今の日本を支えていることだけは間違いのない事実です。
いやあ、これは鳥肌もので、日本人であることに誇りを感じますね。
伊能忠敬、もっと知られていい人物です。
興味ある方はぜひ映画をご覧になってください。Netflixで見られます。
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