文学を愛する人への贅沢な贈り物
巽孝之『想い出のブックカフェ 巽孝之書評集成』(研究社、2009年)
越川芳明
旅に本は欠かせない。
つい先日のこと、北海道で「キューバ映画祭」なる粋なイヴェントがあり、トマス・グティエレス・アレア監督の作品を見るために、冬の札幌に飛んだが、その時携えていったのは、今福龍太の『群島–世界論』だった。
裕に五百頁を超すメガブックなので、とにかく時間を見つけて読み続けた。
だが、雑誌で依頼されたのは、たったの九百字の書評。
そもそもこうした超重量級の読書には、マラソン選手並みの持久力が必要だが、書評の執筆時には百メートル競争の瞬発力が要求される。
そんな折り、巽孝之の積年の書評を集めた本書が届けられた。
巽は誰もが認めるように、持久力も瞬発力も兼ね備えた書評界のマルチタレントだ。
新聞や雑誌の短い書評も、八千字以上の学会誌の書評も、楽々とこなしてしまう(ように見える)。
巽自身は、快楽主義者的なミュージシャンの比喩を用いて、次のように述べている。
「新聞書評が即興的で瞬間的なライブ感覚を要求されるとすれば、学術書評はじっくり時間をかけて密室で練り上げるスタジオ録音に近いかもしれない」
本書には、著者自身が書評委員を勤めていた読売新聞(一九九七年-九九年度)や朝日新聞(二〇〇五年-〇七年度)の百二十本を超える書評をはじめ、雑誌『すばる』などの読書日記風のエッセイがまとめられているだけでなく(第II部「新聞書評の戦略―書評委員の仕事」)、バベルプレス刊行の『eトランス』ほか、アメリカ文学会などの学会誌を舞台にした学術書評(第III部「学術書評の方法―批評的研究の仕事」)なども掲載されている。
巽による書評の特徴は、一つに選択の多彩さにある。
現代日本文学では斉藤美奈子、新書本では永江朗といった書評のスペシャリストがいるが、巽は文学・批評を中心にした人文科学分野のオールラウンドプレーヤーだ。
専門である外国文学(主に英語圏文学)だけでなく現代日本文学も扱い、小説や批評やノンフィクションも、純文学やSFや幻想文学も俎上に載せる。
ジャンル越境の冒険心あふれる選択がいかにも巽らしい。
とりわけ、それ自体がジャンル侵犯的なプログレッシヴ・ロックの愛好者だけあって、複数のジャンルを融合させたハイブリッドな本が好みであるようだ。
巽自身、「音楽小説が好きだ」といって憚らない。
実際に音楽小説として取りあげられているものは、篠田節子『讃歌』、山之口洋『完全演技者』、古川日出男『サウンドトラック』などだが、その他にも、青柳いづみこ『音楽と文学の対位法』をはじめ、スコット・ジョプリンやエルヴィス、ドビュッシー、ラップやジャズに関するノンフィクションが目白押しだ。
もちろん先端的なSF批評やポストモダン文学批評の専門家だけあって、その方面の作家の本の書評も数多くある。
アーサー・C・クラークや安部公房、J・G・バラードのほか、メタフィクションの歴史改変もの(高野史緒、皆川博子、小林恭二、高橋源一郎、村上龍、ジョン・ファウルズ、ロバート・クーヴァー、ルイス・シャイナー)、ジェンダー撹乱もの(ル=グウィン、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)など、枚挙に暇がない。
もう一つ特徴は、その技術的な創意工夫ともいうべきもので、私なりに切れ味鋭い書評を分析したところ、次のような結論に達した。
巽の書評の極意とは――
(1)導入部(つかみ)の工夫。(2)的確な内容解説(あらすじ)。(3)最後の決めゼリフ。
とりわけ(3)の決めゼリフは見事であり、そのまま本のオビに使えそうな惹句ばかりだ。
一つだけ例をあげれば、「二・二六前後の世界史そのものを耽美的なる性の歴史として読み替えるという、これはあまりに大胆な思考実験の成果である」(野阿梓『伯林星列』)。
とはいえ、本書を副題にあるような「書評集成」と呼ぶのはあまりに謙虚な過小表現(アンダーステートメント)ではないだろうか。
というのも、本書には、書評以外の部分も同じくらいの分量のエッセイや対談が収録されており、本のディズニーランドともいうべき趣向が凝らされているからだ。
たとえば、第I部「ブック・クラブ文学の愛と死」では、読書共同体としてのアメリカのブック・クラブの発祥とその現在のかたちについて蘊蓄を傾ける。
第IV部「お茶の時間―または読書の達人たち」では、新書をめぐって沼野充義と、師弟をめぐって四方田犬彦と、奇想をめぐって高山宏との対談を収録。
「理論と情報だけでは師匠になれない」(四方田犬彦)など、読書の達人たちの名言の数々を引き出す対談の名手としての巽の才能がいかんなく発揮されている。
第V部「読書共同体の決戦―ティプトリー賞戦記」は、二〇〇七年にアメリカの文学賞の審査委員を勤めて、他の委員とメールで激論を交わしたその経緯を綴ったもの。
各自のバイアスのかかった文学観で相手をねじ伏せようとする、凄まじいメールの応酬の記録は、「戦記」と呼ぶにふさわしい。
新聞社の書評委員会の楽屋裏の話など、書評を読む楽しさを味わわせてくれるだけでなく、書評が文学への愛であることを読者に実感させてくれる、これは文学を愛する人への贅沢な贈り物だ。
『週刊読書人』2009年3月27日号
巽孝之『想い出のブックカフェ 巽孝之書評集成』(研究社、2009年)
越川芳明
旅に本は欠かせない。
つい先日のこと、北海道で「キューバ映画祭」なる粋なイヴェントがあり、トマス・グティエレス・アレア監督の作品を見るために、冬の札幌に飛んだが、その時携えていったのは、今福龍太の『群島–世界論』だった。
裕に五百頁を超すメガブックなので、とにかく時間を見つけて読み続けた。
だが、雑誌で依頼されたのは、たったの九百字の書評。
そもそもこうした超重量級の読書には、マラソン選手並みの持久力が必要だが、書評の執筆時には百メートル競争の瞬発力が要求される。
そんな折り、巽孝之の積年の書評を集めた本書が届けられた。
巽は誰もが認めるように、持久力も瞬発力も兼ね備えた書評界のマルチタレントだ。
新聞や雑誌の短い書評も、八千字以上の学会誌の書評も、楽々とこなしてしまう(ように見える)。
巽自身は、快楽主義者的なミュージシャンの比喩を用いて、次のように述べている。
「新聞書評が即興的で瞬間的なライブ感覚を要求されるとすれば、学術書評はじっくり時間をかけて密室で練り上げるスタジオ録音に近いかもしれない」
本書には、著者自身が書評委員を勤めていた読売新聞(一九九七年-九九年度)や朝日新聞(二〇〇五年-〇七年度)の百二十本を超える書評をはじめ、雑誌『すばる』などの読書日記風のエッセイがまとめられているだけでなく(第II部「新聞書評の戦略―書評委員の仕事」)、バベルプレス刊行の『eトランス』ほか、アメリカ文学会などの学会誌を舞台にした学術書評(第III部「学術書評の方法―批評的研究の仕事」)なども掲載されている。
巽による書評の特徴は、一つに選択の多彩さにある。
現代日本文学では斉藤美奈子、新書本では永江朗といった書評のスペシャリストがいるが、巽は文学・批評を中心にした人文科学分野のオールラウンドプレーヤーだ。
専門である外国文学(主に英語圏文学)だけでなく現代日本文学も扱い、小説や批評やノンフィクションも、純文学やSFや幻想文学も俎上に載せる。
ジャンル越境の冒険心あふれる選択がいかにも巽らしい。
とりわけ、それ自体がジャンル侵犯的なプログレッシヴ・ロックの愛好者だけあって、複数のジャンルを融合させたハイブリッドな本が好みであるようだ。
巽自身、「音楽小説が好きだ」といって憚らない。
実際に音楽小説として取りあげられているものは、篠田節子『讃歌』、山之口洋『完全演技者』、古川日出男『サウンドトラック』などだが、その他にも、青柳いづみこ『音楽と文学の対位法』をはじめ、スコット・ジョプリンやエルヴィス、ドビュッシー、ラップやジャズに関するノンフィクションが目白押しだ。
もちろん先端的なSF批評やポストモダン文学批評の専門家だけあって、その方面の作家の本の書評も数多くある。
アーサー・C・クラークや安部公房、J・G・バラードのほか、メタフィクションの歴史改変もの(高野史緒、皆川博子、小林恭二、高橋源一郎、村上龍、ジョン・ファウルズ、ロバート・クーヴァー、ルイス・シャイナー)、ジェンダー撹乱もの(ル=グウィン、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)など、枚挙に暇がない。
もう一つ特徴は、その技術的な創意工夫ともいうべきもので、私なりに切れ味鋭い書評を分析したところ、次のような結論に達した。
巽の書評の極意とは――
(1)導入部(つかみ)の工夫。(2)的確な内容解説(あらすじ)。(3)最後の決めゼリフ。
とりわけ(3)の決めゼリフは見事であり、そのまま本のオビに使えそうな惹句ばかりだ。
一つだけ例をあげれば、「二・二六前後の世界史そのものを耽美的なる性の歴史として読み替えるという、これはあまりに大胆な思考実験の成果である」(野阿梓『伯林星列』)。
とはいえ、本書を副題にあるような「書評集成」と呼ぶのはあまりに謙虚な過小表現(アンダーステートメント)ではないだろうか。
というのも、本書には、書評以外の部分も同じくらいの分量のエッセイや対談が収録されており、本のディズニーランドともいうべき趣向が凝らされているからだ。
たとえば、第I部「ブック・クラブ文学の愛と死」では、読書共同体としてのアメリカのブック・クラブの発祥とその現在のかたちについて蘊蓄を傾ける。
第IV部「お茶の時間―または読書の達人たち」では、新書をめぐって沼野充義と、師弟をめぐって四方田犬彦と、奇想をめぐって高山宏との対談を収録。
「理論と情報だけでは師匠になれない」(四方田犬彦)など、読書の達人たちの名言の数々を引き出す対談の名手としての巽の才能がいかんなく発揮されている。
第V部「読書共同体の決戦―ティプトリー賞戦記」は、二〇〇七年にアメリカの文学賞の審査委員を勤めて、他の委員とメールで激論を交わしたその経緯を綴ったもの。
各自のバイアスのかかった文学観で相手をねじ伏せようとする、凄まじいメールの応酬の記録は、「戦記」と呼ぶにふさわしい。
新聞社の書評委員会の楽屋裏の話など、書評を読む楽しさを味わわせてくれるだけでなく、書評が文学への愛であることを読者に実感させてくれる、これは文学を愛する人への贅沢な贈り物だ。
『週刊読書人』2009年3月27日号