越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

カストロの野球観は、選手の心の動きに気を配っていないのではないでしょうか。

2009年03月27日 | スポーツ
きのうは、明治大学の卒業式でした。式のあと、研究室でゼミ生たちと飲みました。袴すがたの女子学生は、あたかも芸能人のように普段の10倍の魅力を放っていましたが、皆、レンタル会社での着替えに手間取ったもようで、彼女たちが夜に戻ってきた頃には、3時半過ぎから青木君や古庄君や忽那君ら男性陣と飲んでいた小生は完全にできあがってしまい、朝に準備したジャマイカ料理のジャーク・チキンやジャーク・ポークもわずかになってしまいました。今年の卒業生とは、9月の沖縄合宿が台風のせいで中止になり、小生の明治大就任以来初めてゼミ合宿をやらずに卒業式を迎えることになった学生でした。心残りでした。いつか、どこかでやらねばならない、と伝えました。

 さて、WBCは数々の問題を抱えながらも、日本の優勝で終わりました。数々の問題とは、そもそもこのWBCは、米国のメージャーリーグベースボール(MLB)のグローバル戦略の一貫であり、サッカーのワールドカップのような理念も方式もないということに起因するものです。国際試合なのに、主審が当該国の者(アメリカ人)だったり、予選から決勝にいたるまでの対戦方式が偏っているとか、そういったことが日本のマスコミではあまり問われていません。

 それはともかく、個人的な興味から、今回のキューバの戦いぶりに注目していました。本当は、3月にキューバを訪れて国内野球を観戦し、監督や選手にインタビューをしたいと思っていたのですが、WBCのために、国内野球が中断していたので、しかたなくWBCの試合で我慢しました。

 今回の敗戦(二度の日本戦)で、パワーだけでは勝てないと悟ったキューバは、今後どのような進化を遂げるのでしょうか。日本の勝利は、スモールベースボール(機動力と小技)のおかげだと言われていますが、決勝の韓国戦の勝利の原動力は、精神力(なりふり構わず勝たねばならないという欲求)ではなかったでしょうか。物質的に豊かになった日本人にはそうした、いわゆる精神力が欠けていると思われていましたが、今回の日本チームはいままでになく勝利にハングリーでした。

 これは冗談にすぎませんが、二次予選の日本戦の前に、キューバ選手に、WBCで優勝したら希望者には亡命させてやるといったら、きっと日本チームはそうとう手こずらされたでしょう(笑)。キューバの打者がしぶとく当ててきたら、松坂や岩隈はあれほど素晴らしいピッチングをできたかどうか。カストロはさすが政治家だけあって、技術的の進歩のことは語っても、選手の心の動きには、気をくばっていないのです。

 決勝のあと、カストロ前国家評議会議長が書いた論評が『グランマ』紙(3月20日号)に載りました。以下に、試訳を掲載します。カストロはこのところ、テレビの前に釘付けだったことが文章から伝わってきます。前回の論評でも、野球をメタファーに政治を語る姿勢が明らかでしたが、今回はどうでしょう?

『デジタル・グランマ・インターナショナル』2009年3月20日

フィデル・ストロの考察「すでにあらゆることが語られていた」

 昨夜、アジアの二大強豪国によって、WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)は、グランド・フィナーレを迎えた。

 米国のチームは、その不在が際立った。スポーツを搾取している多国籍企業が失ったものは何もなく、多額の金額を稼いだ。アメリカ国民は不平を言っている。

 すべてがテレビ放映された。松坂投手は絶好調とは言えなかったが、日本は米国を手こずらせた。米国チームは試合開始直後にセンターオーヴァーのホームランをかっとばした。その瞬間、ベーブルースの時代から、伝統的な野球観戦に親しんでいる者は、ヤンキーの打線の爆発を想像した。

 その後、松坂投手が四球を出し、さらに黒人選手のジミー・ロリンズがセンター前にポテンヒットを打って、事態が悪化した。ふらふらとあがったフライは、難なくチャッチできるように思えたが、フィールドに落ちて、他ならぬ日本チームのショートストップ、比類のない名手中島裕之におさえられた。この試合では、前日の米国チームと同様なことが日本チームに起こっていた。米国チームは、前日の試合の1回表に、1点のリードを許した。
 
 日本チームの監督は、先発投手に寛容だった。日本の先発投手は、ファンファーレの音高らかに予告されるが、褒美として花びら一つさえ欲しがらない。監督は先発投手に話しかけ、軽くポンポンと背中を叩いて、あとは任せた。日本は後攻(こうこう)であり、これから二十七個のアウトをとられるまで攻撃できるのだ。松坂は気を取り直して、その回を無事に投げきった。

 ただちに、日本チームは失点を取り返すべく反撃を開始して、ほどなくして米国に対して4点のリードを奪った。

 この日、松坂は無敵の投手ではなかった。さらに数球投げてから、豊富な日本投手陣の中の一人によって取って代わられた。監督は、僅かでもあぶないと感じると、何のためらいもなく投手交代を告げた。この試合のために十分な控え選手と、翌日の決勝に必要なあらゆる戦力を用意していた。

 米国チームが日本のリードを1点差に縮めるたびに、日本の監督は4点リードを確保するための手を打ち、すばやくそれを成し遂げた。

 日本の1番バッターのイチロー・スズキは、その日、4度凡退していたが、本当に必要な時になって2塁打を放ち、それで日本のリードは5点になり、そのまま9回が終わった。

 その翌日、すなわち3月23日午後6時30分に、ロサンジェルスではまだ日差しが明るく、キューバでは夜の9時30分だったが、日本と韓国とで決勝が争われた。韓国が後攻だったが、韓国は今回のWBCでたったの1、2点を失っただけで、2度も日本チームに勝っている投手を先発させるという誘惑に勝てなかった。モーションが早く、カーヴが得意な投手だが、三振が取れなくて、日本チームの専門家と打者たちによって十分に研究されてしまっていた。

 今度は、第1球がセンターオーヴァーのホームランになった(訳者註:ここはカストロの記憶違いか?)。前日のヤンキー・ホーマーの焼き写しだった。もう一人のアジアの強豪国にとって悪い出だしになった。それにもかかわらず、両チームのクオリティの高さを証明するように、この試合はプロフェッショナルの選手たちの演じた、想像しうる最も緊迫した試合だった。日本チームの監督は、投手の起用でミスは犯さなかった。

 日本の先発投手、岩隈久志は7回と3分の2を投げきり、そのうちの数回は10球で投げ終えた。

 4回、試合は1-0で、日本のリードのままだった。

 5回、韓国はホームランで同点に追いついた。

 7回、日本は3連続ヒットで、2-1とした。

 8回、日本はさらに1点加えて、3-1とした。その裏、韓国は1点あげて、3-2とした。

 9回、日本の最高の右腕投手、ダルヴィッシュ有が連続四球を出した。あと2個ストライクをとれば勝利が舞い込むという時に、韓国が同点に追いついた。

 10回、日本が2点を奪い、勝利を決定づけた。

 疑いようもなく世界最高の打者であるイチローに導かれた日本チームは、この試合で18本のヒットを放った。

 大雑把に言って、そういう風に試合は進んだが、実際は込み入った状況に満ちあふれ、見事な攻撃と守備のシーンがあり、きわめて重要な三振のシーンがあり、10回を通して非常に緊迫した試合で、はらはらどきどきし通しだった。

 私はスポーツコメンテーターではない。常にそこから逸れることができない政治問題についての論評を書いている。それゆえに、私はスポーツに関心を向けるのである。それゆえに、昨日は、当日行なわれるはずのこの重要な試合に関して、論評を書かなかったのである。

 しかし、数日前にすでにあらゆることが語られ、予想されていた。私の友人たちである西側の報道関係のレポーター諸君は、多かれ少なかれあら探しをすべき材料など、かれらから見て社会主義に結びつけられる数々の困難など、見つけられないだろう。

フィデル・カストロ・ルス(署名)
2009年3月24日午後2時53分