透水の 『俳句ワールド』

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前田普羅の一句鑑賞       高橋透水

2014年07月10日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
人殺す我かも知らず飛ぶ蛍         普羅

 「ホトトギス」 大正二年十二月号に掲載された句である。
 一般的には動物は争いあっても、よほどのことがない限り仲間同士で殺し合うことはない。それに比し、動物より智恵もあり理性があるだろう人類が使用する「殺人」という言葉があることが忌々しい。それは計画的にしろ、衝動的にしろ人類にしかない同種間で行われる行動で、まして戦争となれば殺すか殺されるかだ。
 裁判所に勤めていた普羅は、悪があり虚偽がある様々な人間模様や実社会に見られる世相のいろいろな姿に触れ、裁判での判決もまた公平とは言いがたい社会の矛盾を感じていた。犯罪人をみていると、もし自分が犯罪人と同じ環境に置かれたら、自分もまた人を殺すような人間だったかもしれない、とふと思う。
  普羅の懊悩の主因として長く尾を引くものに、一家内の確執があった。特に継母との確執は、普羅の性格を決定づけるような影響があった、と普羅研究者の中西舗土は指摘している。
 確かに、若い普羅を残して両親は台湾に渡ったが仕事がうまくゆかなかった。帰国後間もなく母は死亡し、父は子持ちの女と再婚している。普羅には父も義母も憎い対象でしかなかった。
 鑑賞句の作句時は既に結婚していた普羅であったが、人生いかに生くべきかという大問題はいつも抱えていて、『歎異抄』を説く思想家やロシア劇「ベルス」(鈴)などの影響が背景にあったようである。
 「飛ぶ蛍」は心の反映であり、不安定な心の吐露であろうか。同時期の〈盗賊とならで過ぎけり虫の門〉にも同様な心理が働いているようだ。
 苦悩する普羅は、やがて山や自然に癒しを求めてゆくことになる。
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