中年や遠くみのれる夜の桃 三鬼
昭和二十年の終戦直前に神戸にも大空襲があったが、三鬼は焼け残った神戸の三鬼館で終戦を迎えた。すでに四十五歳になっていたが、沈黙を破り堰を切ったかのように俳句活動を再開した。鑑賞句は『夜の桃』に収録されたが、中年を意識した句は他に、〈中年や独語おどろく冬の坂〉や〈中年やよろめき出づる昼寝覚〉などがあるが、この鑑賞句が一番親しまれ三鬼自身も気に入っていた。
よく言われるように、「中年や」から終戦後の疲労に満ちた三鬼を想像することは簡単である。「夜の桃」から女性の体を妄想し性的に解釈することも可能であろう。が、「夜の桃」から連想されるのは、決して女性そのものを表すエロチックなことばかりでなく、「遠くみのれる」は失われた時間の自責の念と俳句に明け暮れた言論弾圧前の新興俳句時代への回顧ともみれる。また、「夜の桃」とはとかく夜に行われた俳句仲間との熱い、将来実るであろう議論の果実であるとみたい。
ここで三鬼自身の自句自解をみてみると、「中年というのは凡そ何歳から何歳までをいふのか知らないが、一日の時間でいへば午後四時頃だ。さういふ男の夜の感情に豊かな桃が現れた。遠い所の木の枝に。産毛のはえた桃色の桃の実が」とあるが、真意は何か。確かに黄昏に近い中年男性の、若かりし頃の追想・追憶とみることもできるが、「遠くみのれる」は過去の栄光だけ示しているとは思えない。三鬼特有の創作的な韜晦だろう。
戦後まもなくの三鬼は俳句に燃えていた。「俳句はいつの時代にも新しくなくてはならない。従つて俳句はその時代人の感情に最も近い所から、詠ひ上ぐべきである」(「新しい俳壇のために」『現代俳句』昭和二十一年)や、「酷烈なる精神」(天狼二十三年)では実相感入を強調し、俳句は叙情であるとした。ただ師と仰いだ誓子は保守化しており、やがて三鬼自身も古典回帰の様相をみせ、人間諷詠の道を歩んだ。戦前の新興俳句時代の精彩を失い、平坦な道を辿ったことは惜しまれる。
俳誌『鴎座』 2016年3月号より転載
昭和二十年の終戦直前に神戸にも大空襲があったが、三鬼は焼け残った神戸の三鬼館で終戦を迎えた。すでに四十五歳になっていたが、沈黙を破り堰を切ったかのように俳句活動を再開した。鑑賞句は『夜の桃』に収録されたが、中年を意識した句は他に、〈中年や独語おどろく冬の坂〉や〈中年やよろめき出づる昼寝覚〉などがあるが、この鑑賞句が一番親しまれ三鬼自身も気に入っていた。
よく言われるように、「中年や」から終戦後の疲労に満ちた三鬼を想像することは簡単である。「夜の桃」から女性の体を妄想し性的に解釈することも可能であろう。が、「夜の桃」から連想されるのは、決して女性そのものを表すエロチックなことばかりでなく、「遠くみのれる」は失われた時間の自責の念と俳句に明け暮れた言論弾圧前の新興俳句時代への回顧ともみれる。また、「夜の桃」とはとかく夜に行われた俳句仲間との熱い、将来実るであろう議論の果実であるとみたい。
ここで三鬼自身の自句自解をみてみると、「中年というのは凡そ何歳から何歳までをいふのか知らないが、一日の時間でいへば午後四時頃だ。さういふ男の夜の感情に豊かな桃が現れた。遠い所の木の枝に。産毛のはえた桃色の桃の実が」とあるが、真意は何か。確かに黄昏に近い中年男性の、若かりし頃の追想・追憶とみることもできるが、「遠くみのれる」は過去の栄光だけ示しているとは思えない。三鬼特有の創作的な韜晦だろう。
戦後まもなくの三鬼は俳句に燃えていた。「俳句はいつの時代にも新しくなくてはならない。従つて俳句はその時代人の感情に最も近い所から、詠ひ上ぐべきである」(「新しい俳壇のために」『現代俳句』昭和二十一年)や、「酷烈なる精神」(天狼二十三年)では実相感入を強調し、俳句は叙情であるとした。ただ師と仰いだ誓子は保守化しており、やがて三鬼自身も古典回帰の様相をみせ、人間諷詠の道を歩んだ。戦前の新興俳句時代の精彩を失い、平坦な道を辿ったことは惜しまれる。
俳誌『鴎座』 2016年3月号より転載
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