透水の 『俳句ワールド』

★古今の俳句の世界を楽しむ。
ネット句会も開催してます。お問合せ
acenet@cap.ocn.ne.jp

芭蕉の発句アラカルト(7)  高橋透水

2021年08月06日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮  芭蕉

 延宝八年、芭蕉三十七歳のときの作とされているが、なかなか興味深い句である。これは嘱目吟であろうか、作句場所はどこか、烏は一羽なのか複数なのか。「秋の暮」は文字通り秋の暮なのか、それとも晩秋の意か。はたまた「枯枝」と「秋の暮」などは季重なりで、その上字余りは問題ないのかなどである。古来から議論がたえない一句である。
 一方でこの句は談林俳諧から脱し、蕉風俳諧への転換期へ移行する作品の一つとして評価されている。そんな芭蕉の心境を感じさせるのは、生活の変化を望み、その年の暮に深川に移り住んだことからも想像できる。
 句作の場所は、転居前のおそらく神田川上水の治水任務で訪ねた早稲田、いまの関口芭蕉庵近くの風景と思うが、確証はない。
 『曠野』には〈かれ朶に烏のとまりけり秋の暮〉で収められたが、『東日記』には「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」で載り、これが初案とされる。初案は大幅な字余りであるが、たどたどしいなかに一層の素朴な侘しさがにじみ出ているように思う。
 山本健吉は『芭蕉全発句』(講談社学術文庫)で「水墨画などの画題にいう「枯木寒鴉」ということを、十七音芸術に言い取ったもの。「枯木寒鴉」の翻案なら、この「枯木」は、晩秋の葉のおちつくした枝で、枯死した木の枝ではあるまい」、さらに改案の句は「ただごとに近いものたりなさがある」と述べている。
 ところでこの句の芭蕉俳画が何枚か伝わっており、「枯枝にからすのとまりたるや秋の暮」には複数羽、「かれえだにからすのとまりけり秋のくれ」には一羽の鴉が描かれている。どうも一羽のほうが芭蕉の孤高を象徴しているようだ。そして「烏のとまりけり」は
「とまりたるや」の初案に対し、驚きの感情が和らぎ、淡々と季節の移ろいを受け入れる様が際だつ。鴉と枯枝の取合せなど現代からみればあまりにも付き過ぎの感を受けるが、陳腐な水墨画的枯淡を題材にしたとしても、なお芭蕉の侘しい深層の心が伝わってくる。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 芭蕉の発句アラカルト(6)... | トップ | 芭蕉の発句アラカルト(8) ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史」カテゴリの最新記事