もしもピアノが弾けたなら 西田敏行さんが歌う
私の若い頃 そんな想いが何回も心によぎった
貧しくても明るい暮らしの中にあった
定時制とはいえ 高校に通えた
そして 自分で働いた給料がもらえる
50年以上の昔のこと
ボランティアのきっかけとなった 孤児院の訪問
ここで 優しさと 知らない世界を学んだ
少しお金を貯めて 文房具や木琴などを買って行った
子供達と遊ぶことしか出来なかった
部屋の隅にオルガンがあった
あれを弾いて 一緒に歌えたらどんなに良いかと思った
10年前 童謡唱歌うたう会で 群馬・童謡ふるさと館でオルガンで歌う
旅に出ることも出来た
今で言うと乗りテツ ひたすら列車に乗りたかった
学生割引があり半額料金
更に当時の国鉄は 距離逓減方式 遠くへ行けば行くほど距離換算が安くなる
回遊切符があった
一枚の切符で 経路を重複しなければ良い 一筆書きのようにする
お陰で 当時1000円で東京から下関往復が出来た
勿論3等車である
途中下車して どこへでも降りる
駅員に判を押してもらうから 切符が真っ黒になるほどだった
ある日 福島の 信夫山に行った
みちのくの信夫文字すりの 百人一首に歌われた地である
夕暮れの住宅街を歩いていると ピアノの音が聞えた
何処かの家の道路そばで ずっと その音色を聴いていた
一人旅を続け 放浪のように疲れた身体に それは心地よく聴こえて来た
あんな風に ピアノが弾けたら良いなぁと思った
このバンド仲間も40年続いている
ピアノがまだ上手くならない時から 会社の中に作ってしまった
30代になって 子供が使っていたピアノをポツンポツンと弾いてみた
メロディは片手で何とか弾ける
左手を入れると それは まるで自分の意思で全く言うことを聴いてくれない
それでも 毎日繰返し練習してみた
一日 4時間以上弾いてみたこともある
少しづつ 左手が入る
次は変調が難しい
黒鍵が入る曲を弾いてみる 一つ弾けたら 同じ調の曲に挑戦する
こんな風に自己流でピアノを弾くようになった
今でも上手ではない 習ったわけでは無いから基本にはなっていない
しかし ある時間をピアノを弾いて 楽しい時間を作ることが出来る
ピアノが弾ける
今では家にはピアノが無いけれど 弾く機会は沢山できた
昨日は 墨田のうたごえで 伴奏をして 私も楽しんできた
今日は 午後から下町のうたごえ
2時間 みんなと楽しめる
それも グランドピアノで弾ける
なんと幸せのことか
あの夢見た世界が 楽しい時間となって 人生の中に息づいている