文庫本の歴史は、思うほど、古くない。僕が小学生の頃までにあったのは、「岩波文庫」「新潮文庫」「角川文庫」の三社のみだった。ちょうど中学に入る頃に「講談社文庫」が発刊され、次々と各社が競って文庫を出し始めた。「講談社文庫」で「宮本武蔵」を読んだのはその頃で、文庫を読んでいると、「大人」になったように思えた。最初に読んだ文庫は司馬遼太郎の「風神の門」で、文庫はそれ以来の付き合いである。ただ、今、僕が懸念しているのは、新刊が単行本で出て、すぐ文庫になり、売れないと数ヶ月で絶版になってしまう事だ。或いは、映画関係の専門の本とかは、すぐに買わないと手に入りにくくなる。「つんどく」が増える訳だ。DVDしかり、家中、ソフトの山が出来そうだ。一体、人間は何冊くらいの本を一生で読むのだろう。映画もしかり。
さっきまで、「100年前の日本」という写真集を見ていた。情報の少ない1880年から1900年にかけて、日本のいろんなところを撮った写真を見ていると、情報の量も少ない方が「自分でものを考えたり」「人間関係をたくさん作れたり」したんだろうなあと、思った。それとこの写真集に出てくる人のほとんどすべてがもうこの世の中にいないと思うと、「何を大切にして、一生を送れば良いか」考えてしまった。答えはまだ出てこない。というより、周りの人が出してくれるのだろう。今月45歳になる僕。いろんなことが頭の中を交錯している。
さっきまで、「100年前の日本」という写真集を見ていた。情報の少ない1880年から1900年にかけて、日本のいろんなところを撮った写真を見ていると、情報の量も少ない方が「自分でものを考えたり」「人間関係をたくさん作れたり」したんだろうなあと、思った。それとこの写真集に出てくる人のほとんどすべてがもうこの世の中にいないと思うと、「何を大切にして、一生を送れば良いか」考えてしまった。答えはまだ出てこない。というより、周りの人が出してくれるのだろう。今月45歳になる僕。いろんなことが頭の中を交錯している。