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お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「昭和」という時代

2005年02月22日 | 映画・DVD・ビデオ
2003年制作の「チンソクの夏」には、1977年の下関のシーンが頻繁に出て来る。それが「昭和の町並み」なのだ。もちろん、「飲み屋の看板」とかは、美術さんが作ったものなのだろうが、町そのものの雰囲気はロケではそれほど変えられない。地方へ行くと「昭和」がまだ残っているんだと思った。
昼間、おもちゃ屋の前を歩いていて、「アメリカン・クラッカー」を売っているのを見つけた。僕が小学校の頃、流行ったおもちゃだ。何故、鮮明に憶えているかというと、買った日に小学校に嬉しがって持っていって、先生に没収されたからだ。これも「昭和」に繋がっている。
この文章は、「小ネタ集」になってしまった。
最後は、大阪と神戸を結ぶ「阪神電車」。あの「甲子園球場」に行く時、乗る電車だ。久しぶりに乗ってみたら、列車の種別が多すぎて、戸惑ってしまった。普通は、「特急」「急行」「普通」が基本だが、その三倍近く種類があったと思う。ちなみに京王線は「特急」「準特急」「急行」「通勤快速」「快速」「各停」の6種類。この倍くらいあったかもしれない。利用者にとって、便利なのかなぁ。
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VTRが走り回る!

2005年02月22日 | テレビ
14時から、ドラマの会見をキー局の中で開くとする。それをVTRで録画し、編集して、15時半頃には、「ワイドショー」で放送されている。凄いなあと思う。僕は生放送含め、いろんな番組を作ってきたが、毎日、こうした作業をしている「ワイドショー」のスタッフはストレスが溜まらないのだろうか。携帯電話と一緒で、「VTRが僕を追いかけてきて、『早く放送しろよ!』」と言っている様な感じがした。現代人は何かに追われて生きている。こんな事でいいのだろうか。
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「お坊さん」になりたくて・・・

2005年02月22日 | エッセイ・日記・意見
理髪店に行って、イスに座ったら、突然、「お坊さん」の心境になりたくなった。だから、僕は現在スキンヘッドである。朝、ヒゲを剃る時、シェーバーで、頭も剃ってしまう。「お坊さん」の様な「無」の心境にはなれなかった。周りにびっくりされた。街では怖がられた。そして、頭が寒かった。
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テレビによる「死の共有」

2005年02月22日 | テレビ
テレビが出来て鹿児島の女子高生が車に突っ込まれて亡くなった事故を即日で知ることになる。イラクの米兵の殺害もしかりである。人の死は脳裏に焼き付く。テレビのニュースは、どうしても死傷者の多い事件や事故、凄惨な殺害を取り扱う可能性が強い。
戦前のラジオだけの時代だったら、映像で連日見る事は無かった。その時代の方が心穏やかに生きられたのかもしれない。
もっと昔の江戸時代には、自分の周りの死しか知る事ができなかった。しかも身近な死の事が多かったと思う。
現代、これだけ、「テレビというマス・メディア」で国民が「いろんな方の死を共有」できるのは、本当に現代人の「精神」にとって、問題ない事なのだろうか。僕が「鬱病」っぽくなったのも、一つは「父の死」。そして、あの9.11を生放送で見た事が自分では大きな要素だと思う。
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中国人と携帯電話

2005年02月22日 | 携帯電話・電話
中国人は、カメラ付き携帯は要らないらしい。だから、ノキアとかモトローラー製が圧倒的シェアを取っているのだろう。僕もカメラは要らないと思う。デジカメがこれだけ小さくなってきたので、僕のカバンの中にはいつも小さなデジカメと携帯が入っている。携帯で撮った写真は何故か、鮮明ではない。いつもの様に、取扱説明書を読まない僕が悪いのか?それと会社の電話をすべて携帯に転送し始めてから、バッテリーの減り方が急激に早くなった。部旅行で福岡へ行った時は、コンビニで充電器を買ってしまった。「仕事」が「携帯」という武器を使って追いかけてくるという感じ。困ったものだ。
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「ルーツ」というアメリカのドラマがあった。

2005年02月22日 | テレビ番組
昨日見ていた映画「チルソクの夏」で、韓国人の青年が、「韓国は儒教の国。だから、母親の言う事は守らないといけない。悲しませてはいけない。」というセリフがありました。儒教は親や親族を大切にする宗教なんです。宗教のある国はどこかしっかりしているような気がします。とっても羨ましいです。
僕は関西出身なので、「在日韓国・朝鮮人」、そして、「」の人々と隣り合って暮らしていました。「チルソクの夏」に出てくるようなシーンは、たくさんありました。子供の僕は何故?と思うような理不尽な事を大人に言われました。「あの道から向こうには行ってはいけない」とか・・・
かなり前ですが、テレビ朝日がアメリカのスペシャルテレビドラマ「ルーツ」を連日放送しました。奴隷としてアフリカで捕まえられるところから始まり、現代までの黒人の差別の歴史を描いた見事な作品でした。当時、「クンタ・キンテごっこ」が流行ったのを憶えています。音楽はクインシー・ジョーンズでした。この「ルーツ」を日本で制作するとしたら、「在日韓国・朝鮮人」の話になるのでしょうか。アメリカはいろんな民族の集まった国家で、黒人の割合も多いので、ああいうドラマができたのでしょうが、日本ではどうでしょう。単一民族と言われるくらい日本人が多くて、「差別されている人々」の少ない日本の現状がドラマや映画で変わっていく事はかなり難しい事ですが、それに挑戦する時期になってきていると思います。
映画では取り上げられ始めていて、この「韓流」ブームなどで、日本と韓国・・・そして、の人々が差別無く生きていける日本になって欲しいと心から思います。
第二次大戦中、盛岡に強制連行された「韓国・朝鮮の人達」が盛岡に伝えたのが、現地では「わんこそば」より有名な「盛岡冷麺」。お酒を飲んだ後とかに食べると良いです。胃腸薬に使われる「重曹」が入っているからです。
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「弾丸列車計画」

2005年02月22日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
戦前、「弾丸列車計画」があった。東京から九州、そして、韓国までトンネルで渡り、ソ連を通り、ヨーロッパのパリまで、という計画だったと思う。現在の東海道新幹線のトンネルや敷地は一部その時に作られたものだ。もし、この計画が実現していたら、韓国と日本の距離は近くなり、もっとソ連含め、冷戦も激しくなかったのではないかと想像している。この「弾丸列車計画」は「鉄道ファン」にはよく知られた事実である。
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「韓流」→「阪流」へ

2005年02月22日 | テレビ
日本は、2004年から「韓流(はんりゅう)」ブームである。しかし、それも一段落し、「お笑い」が台頭してきた。本音を語る番組が増えてきた。人と人をぶつける、細木数子の番組も好調だ。視聴率を取っている司会者の多くが大阪人だ。
これらの要素のほとんどが「大阪人の気質」に似ている。
「韓流」ブームの次に2005年、「(大)阪流」ブームがやってくるのではないかと、密かに思っている。
コメント (1)
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ドラマの戦友

2005年02月22日 | テレビ番組
一緒に連続ドラマをやっていたOちゃんと久しぶりに、キー局の中であった。彼女は当時、助監督をしていて、とても優秀だった。その前は、ワイドショーのディレクターだったのだけれど、上司に直訴して、ドラマに来たのだった。今、彼女は単発のドラマをやっているが、なかなか、ドラマの仕事は回って来ないらしい。彼女のドラマに対する真摯な瞳を見ていると、一つは彼女と同じ釜の飯を食べれた事、そして、また一緒にドラマをやりたいという気持ちが僕の中でこみ上げてきた。頑張れ!Oちゃん。
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映画「八日目」

2005年02月22日 | 映画・DVD・ビデオ
映画「八日目」をロードショーで見た時、とても感動した。「会社が潰れてやけになっている社長」が「ダウン症の青年」と旅をする話だ。「社長」は「青年」の魅力に次第に、心を変えていく。そんな映画だった。エンドロールが出て、感動したので、ボーっとエンドロールを見ていたら、エンドロールが流れ切って最後に、「ダウン症とは・・・」という青地に白い文字で取りきりの画面がでた。日本語で書かれていたので、当然、日本の配給会社が上映するにあたり、「ダウン症」の人たち、その親や周りの人たちの事を考えて入れたのだろうが、僕は感動がさめてしまった。ちゃんと、映画の中で、「ダウン症」の青年俳優を起用して、「ダウン症」の事を少しでも知りつつ、映画という作品に感動を覚えたのに。もちろん、僕自身が「ダウン症」だったり「、ダウン症」の子供を持った経験が無いので、見方が甘いと言われるかもしれないが、先日、松田聖子主演、NTVでやった「ダウン症」を扱ったドラマには、そんなテロップは入って無かった様に思う。実話のドラマ化だったからかもしれないが。もし、映画配給会社の独断でテロップを入れたとしたら、僕はなんか日本的自主規制だなあと思う。「ダウン症」の関係者と協議した上で入れたのであれば、「ダウン症」を経験した事が無い僕には何も言う権利は無い。しかし、後日、この映画に出演していた「ダウン症の青年俳優」のドキュメンタリーをテレビでやっていたが、とても自然に映画の撮影に入っていった事が両親によって語られていた。
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映画「チルソクの夏」(ちょっと、ネタバレあり)

2005年02月22日 | 映画・DVD・ビデオ
「チルソクの夏」という映画を見た。僕が20年やっていた「番組制作」から「広報」という仕事への辞令を受けた日に見た「日はまた昇る」という「プロジェクトX」でも取り上げられた「VHSを造った男達の話」を映画にした佐々部清監督作品。「日はまた昇る」は、自分が同化できて、新宿東映を出たら、顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
その監督が2003年に作った映画だ。「チルソク」とは、韓国語で「七夕」の事。今年見た映画は音楽の使い方がとても上手いものばかり。「パッチギ」しかり、「Ray」しかり、そしてDVDで見たこの映画にかかる曲はイルカの「なごり雪」だ。話は2002年から1977年に遡る。主な舞台は1977年。僕が高三の時で、主人公達と全く世代がダブっている。佐々部監督は、自然な優しいリズムで見る者を引っ張っていく。見終わった後、すぐに大きな感動は来ないが、何故か、少しずつ感動に蝕まれていく自分がいる事に気付く。あの「スウィング・ガールズ」の主役・上野樹里も出ていて上手い。山本譲司が主人公の父親で「流し」をやっていて、これも雰囲気を上手く醸し出している。ちょっと、甘めの部分が正直じれったくもあるが、手堅い演出だと僕は思った。この映画も「パッチギ」の約十年後、下関と釜山での「日本人」と「朝鮮人」の話である。
正直、今日、新宿でこのDVDを借りようか、飲みに行こうか迷った。それだけ、自分の精神が「不安定」だったのだろう。家に帰ったのは正解だった。映画は僕の心を安定させる。今日はぐっすり眠れそうだ。
一緒に連続ドラマをやったT君がチーフ助監督でついていたのも、エンドロールを見て嬉しかった。彼は麻雀好きだから、今度電話して、麻雀をやりたくなった。
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