お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

ポテトチップス

2005年10月04日 | 料理・飲み物・食べ物
「ポテトチップス」を食べない。とても好きな人がいて、「ポテトチップス」を食べながら、テレビを見たり、仲間と部屋でだべったりしている光景を見る事がある。

うちの子供も「ポテトチップス」を買う事があるが、基本的に僕は食べない。

理由・・・「油っぽい事」「塩っ辛い事」「ついつい食べ過ぎてしまう事」などである。
僕はどちらかというと「潔癖症」なので、指が油っぽくなるのが嫌だ。ついつい、一枚でも食べると、手を洗う所が無い時は、ズボンとかで手を拭いてしまう。

それと、多分、「ポテトチップス」自体がアメリカで出来た商品だと思うが、「アメリカのケーキの過剰な甘さ」同様、結構、アメリカ人の「肥満」の要素の一つになっているのではないだろうか。

ダイエット中の僕にとっても「敵」なのである。

逆に、「ポテトチップス」が好きな人に「何故、好きなの?」と一度訊いてみたい。

とはいいつつも、僕にはお菓子で好きなものがある。一つは「あられに砂糖をまぶしたもの」、もう一つは「えび茶色のピーナッツに砂糖をまぶしたもの」である。
多分、この二つの「乾きもの」が出てくれば、お酒が進む事は間違いない。

それ以外のチョコレートとかキャラメルとかガムに関しては、それほど興味は無いが、昔はロッテの「ラムレーズンの板チョコ」が好きだった。確か、名前は「ラミー」。
「ラムレーズン」とつくと、惹かれる傾向がある。ハーゲンダッツのアイスクリームで最も好きなのは「ラムレーズン」である。

なんか、まとまりの無い「お菓子の話」をしたが、販売されている「お菓子の種類」の多さは、日本が世界一ではないか。こんなにいろんなお菓子が新製品として発売になっては、売れないものは淘汰され、どんどん新しいお菓子が出てくる国も珍しいと思う。

「ビール」「発泡酒」「その他の雑種」の種類も、「お茶関係の飲料」の種類も世界一だと思うのだが・・・。
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最近、「ファミレス」に行かない・・・。

2005年10月04日 | エッセイ・日記・意見
ドラマのプロデューサーをやっていた時、「ファミレス」によく行っていた。それは「脚本家との脚本打ち合わせ」の事もあり、「俳優のマネージャーといろいろキャスティングの話」をしたり、「プロデューサー同士で入って、現場のトラブルの善後策」を考えたりしていた。

「脚本家との打ち合わせ」は普通、会社に来て貰いするものなのだが、「緊急の手直し」や「脚本がとても遅れている時」、脚本家の自宅の近くの「ファミレス」で会って、真夜中に打ち合わせをする事が多かった。
そういう意味でも、24時間開いていて、幾ら長時間居ても、嫌がられない「ファミレス」は便利だった。

ドラマの演出家も、家族がいる人は「子供達に気を取られない」為に、「ファミレス」で、「演出プラン」を練ったりする様だ。

以前、新宿西口のホテルで、脚本家と打ち合わせをしていて、ホテルの喫茶コーナーが24時で閉まった時、新宿の近くには、「ファミレス」が無く困り果てた事があった。
奇策に出た。
「カラオケボックス」で「脚本打ち合わせ」をしたのだ。飲み物は頼めるし、朝まで開いているし・・・しかし、周りの部屋から小さく聞こえるカラオケの歌声を聞きながら、男二人で、歌も歌わずに、カラオケボックスで打ち合わせしている構図は、一般の人が見たら、「何、この人達?」と思われるだろうなあ~なんて思いつつ、打ち合わせを続けた。

こんな風に、「ファミレス」や「カラオケボックス」を利用している人達もいるので、不審がら無い様に。
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「香典」の金額

2005年10月04日 | エッセイ・日記・意見
通夜・葬儀というのは、突然やって来る。
この時、考え込んでしまうのが、「香典に包む金額」である。

とても親しい人の「親」だったり、「祖父母」だったり、「兄弟」「姉妹」だったり・・・。
もう一つは、最近一緒に仕事をしていないが、「仕事をした本人」だったり・・・。

会社の場合は、部長が幾ら包むかで、それより多いのはいけないと思うし、「人が亡くなるという事」は悲しい事なので、あまり、多額に包むのも如何なものかと思う。

自分が喪主をした経験から言えば、「香典は辞退した方がいい」のでは無いかと実感している。
何故なら、葬儀が終わって、「香典のお返し」をする時に、「故人の知り合い」でも、何の関係か、そして、住所が分からず、困ってしまう。
うちの場合は、そんなに大きな葬儀ではなかったが、「社葬」とか「芸能人などの有名人」が「供花や香典」を「辞退する理由」が分かる。
「供花」の並べ方、「香典」のお返しの作業が物凄く大変になるからだ。

話は、初めに戻って、「香典の金額」は自分と同じくらいの関係性を「故人」と持っている人と同額にする事にしている。

ところで、海外には何度も行ったが、外国での葬儀には、「香典」というものがあるのだろうか?
花を御棺の中に入れるシーンは「映画」等で見た事があるが、「お金を遺族に渡す場面」というのを見た事が無いので・・・知っていたら、教えて下さい。

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生まれてから死ぬまでの一生、村からでない人はいるのだろうか?

2005年10月04日 | エッセイ・日記・意見
交通機関の発達により、日本人はどこでも手軽に行けるになった。国内も国外も。

その性もあり、出張も大阪程度なら、日帰り出張が多くなり、仕事・プライベート含め、「一人の人間が一生の間で移動する距離」が飛躍的に長くなった。

「通勤電車」の中で考えていたのだが、今でも、「生まれてから死ぬまでの一生、自分の住んでいる村を一度も出ない」という様な人がいるのだろうか?
現在、田舎や離島に住む老人で、そういう人はいるかもしれない。
もちろん、そういう人は「パソコン」も知らず、「携帯電話」も使わないだろう。

「たくさんの距離を移動しまくっている人」と「一生、一つの地域から出ない人」・・・一体どっちが幸せなのだろう・・・。
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ひこうき雲

2005年10月04日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
「ひこうき雲」を野原に寝転がって、ずーっと見続ける。よく晴れた「日本晴れ(死語かな?)」の日に。
特に、秋の青空は真っ青で、その中をゆったりと伸びていく「ひこうき雲」を見ていると、こちらの心まで、和んでくる。

今の「子供達」にそんな「心の余裕」があるのだろうか?

秋はいい。暑くも無く、寒くも無い。何時間、野原や河原の芝に寝転んでいても、涼しい風さえ吹いていれば、ポカポカと暖かく、気持ち良い睡魔が僕を襲う。

「ひこうき雲」ができるのは、飛行機の高度が数千メートルから一万メートルの間。飛んでいる空間の温度が零下50℃くらいというのが条件だ。

だから、「ひこうき雲」は空港の近くでは、飛行機の高度が低過ぎて見られない。

そういえば、僕も最近、「ひこうき雲」を見ていない。東京の空が「日本晴れ」になる日は少ないし、高いところを飛んでいる飛行機を見られる場所に「自宅」も「会社」もないのかもしれない。



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